(22)服の好み
「……おっさん。ちょっと聞いていい?」
「何だよ。将軍令嬢関係なら絶対に喋べらねぇからな! ……くそっ、お前が変な事を言い出したから、つられて俺まで変なこと話しちまったじゃねぇか!」
「ケチ臭い八つ当たりだな! ……じゃなくて。ここの家、人手が足りないのなら俺も手伝うけど」
「心配はいらん。ダライズの本邸よりは規模は小さいが、ダライズ夫人がいつでも滞在できるように人手は十分にあるぞ」
「それにしては、人の気配がないんだけど」
「俺が構われるのを嫌っているからな。……いや、そう言えばいつもより人が遠いな」
どうやら元々人が少ないわけでも、俺がいない間に人払いをしていたわけでもないらしい。
おっさんはぐるっと周囲を見回したながら、軽く首を傾げた。
「ここの執事とメイド長は俺を昔から知っているから、いつもはよく話しかけてくるんだが、今朝は全く来ていないな。何か欲しいのか?」
「うん、おっさん用のお酒のおかわりが欲しいんだ」
「酒はもう飲まねぇぞ。これ以上余計なことを喋ってたまるか」
「……ちっ。じゃあご飯でいいよ。昨日ほとんど食べられなかったから、もう腹が減ってきた」
「少し待ってろ」
おっさんはテーブルの上にあったベルを鳴らした。どうやら人を呼ぶときの合図のようだ。遠くまで響く高くキレイな音がした。
音もきれいだけど、ベル自体もきれいだなとしげしげと見ていたら、昨夜のおじいちゃん……たぶん執事さんがやってきた。
髪が真っ白でかなり高齢だけど、まっすぐに伸びた背筋と完璧に表情を整えた姿はさすがプロって感じだ。
でもその完璧な表情が、俺を見た瞬間に崩れた。
多分、普通の人なら眉を動かしたような気がした、という程度にしか思わないだろう。
でも俺の目は、全てを見逃さない。
おじいちゃんが俺を瞬間的にガン見した上、ものすごく変な表情をしたのを見てしまった。
……俺、また何か変なことしているかな?
俺は慌てて自分の身なりを確認した。
髪は丁寧に櫛を入れた。メイドさんが来なかったから、髪型は首の後ろで一つに束ねるだけ。でも昨夜の飾り紐を使っているから、それなりに可愛らしいと思う。
服については、着替えの事なんて持ってきていないから、今朝はおっさんの服を勝手に借りた。
でも、これが結構いいんだよ。
おっさんの服はデカイから、衣装箱から見つけたチュニックが庶民のちょっとしたワンピースドレスの長さになるんだ。余る腹回りは、細い帯でギュッと縛めている。
もちろん、これ一枚だと肌の露出が多くなる。
だからさらに衣装箱を漁って、チュニックの下に着るシャツとズボンも借りた。たぶん十代の少年用の服だろうな。ちょっと古いだけど、そこはお貴族様だから一回着たかどうかの新品同様の上等品だ。肌触りも最高で、少し余った袖と裾は折り曲げている。
ちなみに、昨夜の寝間着はおっさんのシャツだ。
スベスベのシーツの上で裸で寝ていいかって聞いたら、新品のシャツを投げつけられた。これも最高の肌触りだったな!
全身がほぼおっさんからの借り物だけど、王都の大通りを歩くわけでもないからな。おっさんもこれでいいって言ったし、おっさん自身が超普段着だからこんなもんだろ。
……でも、執事のおじいちゃんの考えは違った。
「……大変失礼ではございますが、お嬢様に衣装をご用意いたしましょうか?」
「お嬢様……ってもしかして俺?」
「多分そうだろうな。あー、こいつは昨夜言ったように訳ありで、女物の服は苦手なんだ。外出の予定はないから、今日はこのままでいい」
「それはなりません。今朝は若いメイドたちが気を回してお嬢様のお手伝いはご遠慮しましたが、これからお召し物を改めてはいかがでしょう。刺繍模様のお好みはありますか?」
「えっ、刺繍の模様? あの、俺は……わたしは男物しか馴染みがないので、簡素な男物のままでいいです。それよりご飯を……」
「……キルバイン坊ちゃんの奥方になるかもしれないお方が、簡素など!」
俺が慣れない女言葉を一生懸命に使ったのに、執事さんは全然感銘を受けてくれなかった。
いや、それどころか、突然キレた。
俺とおっさんがびっくりして動きを止めている間に、執事さんはスタスタと早足に扉口に戻り、両開きの扉をパタン!と大胆に開けた。
するとすぐ外の廊下に昨夜の上品なメイド長のおばさんがいて、五人のメイドさんが従っていた。
えっ、何で扉の前に立ってたの?
俺がまたびっくりしていると、メイド長さんは執事さんに無言でうなずいたようだ。若いメイドさんたちにも目配せしたかと思うと、あっという間に部屋の中に入ってきた。もちろん若いメイドさんたちも一緒だ。
でも、メイド長のおばさんが足を止めたのは……俺の前ではなくて、おっさんの前だった。
「キルバインお坊っちゃま。この中でお嫌いな色や模様はございますか?」
「は? 何で俺にドレスを見せているんだ? 俺は女体化なんてしていないぞ」
いきなり言われて焦るのはわかるけど、おっさん、かなりアホなことを言っているな。
おっさんのそのガタイと顔で女体化済みとか言われたら、いろいろ想像して死にたくなるよ!
俺は青ざめてしまったけど、メイド長のおばさんはわずかに眉を動かしただけだった。
そして何も聞かなかったかのように、若いメイドさんたちが捧げ持つ五着のドレスの説明を始めた。
「サイズがお嬢様に近いものを、取り敢えず五着ご用意しました。一番右は百合の花をイメージしたドレスでごさいます。お嬢様の雰囲気によく似合う刺繍で、色合いが落ち着いておりますので大人の雰囲気になるかと思います。次のドレスは水面をイメージした織り模様となっておりまして、あえて刺繍で飾ることはしておりません。可愛らしいお嬢様のイメージとは少し異なりますが、御髪を引き立てるお召し物かと思います。それから……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
立て板に水!な説明を、おっさんが遮った。
あの手強そうなメイド長のおばさんに楯突くなんて、おっさんさすがだな!
……などという俺の憧れの眼差しを裏切る引きつった顔で、おっさんは俺とドレスを交互に見ながら低く呻いた。
「俺にそんな説明をして、どうしろと言うんだ!」
「お嬢様がお召しになるドレスは、お似合いになることはもちろん、お坊っちゃまのお好みに合うものが良いかと思います」
「……何で俺の好みが必要なんだ?」
「それはもちろん、お坊っちゃまが舞踏会の夜に、自らこのお屋敷にお招きしたお嬢様ですから」
畳み掛けるように言われ、おっさんは黙り込んだ。
なんかヤバイ雰囲気なのはわかるんだけど……。
「おっさん、どういうこと?」
「……つまりだな、舞踏会からお持ち帰りした嫁候補に、俺の好みのドレスを着せろって事だ」
舞踏会からお持ち帰り……嫁候補……。
えっと、言葉としては間違ってない、かな?
昨夜は結局足が痛くて、馬車を降りてから部屋に入るまでずっと抱えて運んでもらった。
俺が泊まった部屋はおっさんの定宿の従者部屋、つまりダライズの時と同じパターンだから、同室といえば同室だけど、寝室とベッドは別だ。
幼妻と奥様業への意気込みはついさっき明らかにしたばかりだし、「持ち帰った嫁候補」と言われれば間違いではない。間違いではないけど「お持ち帰り」かと言われると……明らかに違うよな。
と言うか、貴族って婚前のお持ち帰りってありなのか?
俺は庶民なのに、おっさんの嫁として執事さんとメイド長さんに認められていいの?
ダライズの領主様の親戚と言うお貴族様なおっさんの嫁になれば、衣食住は安泰だよな。お母様は亡くなっているらしいから嫁姑問題もなし。お父様は学者らしいけど、今までノータッチってことは放任主義っぽい。
もしかして、今すぐ嫁になっても問題ないんじゃね? イヤッホーイ!
……なんて笑顔で言えるほど、俺は悟りを開いてないんだよな。
おばさん、おじいちゃん。ちょっと落ち着こうぜ。
婚約者ヅラしておっさんにくっついて回ったり、真面目に奥様修行したり、まあそのうち本当に嫁になってもいいんだけど。
おっさんはいい男だし憧れているし、バカ話の相手として大好きだ。でも……おっさんのためにドレスを着るなんて発想は無理! 全然、頭がついていかねぇよっ!
……いや、それよりもだ!
さっきからずっと、俺は突っ込みを入れたくて堪らないんだっ!
百歩譲って「坊ちゃん」までは許せる。
でも「お坊っちゃま」ってマジかよっ! 昔はともかく、今のおっさんが「お坊っちゃま」ってガラかよ!
指を差して笑いたい!
仮装は笑わないって決意したけど、これだけは笑いたい! ここは笑うべきだよな!
……なのに完全にタイミングを逃しちまった……どうしようっ!
俺は笑うに笑えず、苦悶していた。
なのに、メイド長のおばさんは俺の表情なんて見ていなかった。見ていたとしてもきれいに無視してくれた。
相変わらず物静かな微笑を浮かべたまま、ずいっ、ずいっ!とおっさんの前にドレスを突きつけていく。
今すぐ選べっていう事なんだろうけど……おっさんの目、もうかなり虚ろになっているよ?
「さあ、キルバインお坊っちゃま。どのドレスにいたしましょう? お気に召すものがなければ、別のものをご用意します」
「あー、メイド長に任せるというのは……」
「それは承りかねます。さあ、お坊っちゃまのお好みに合うものはどれですか?」
「……右から二番目。織り模様だけのやつだ」
「あら、意外なものを……。ええ、もちろんこれも素晴らしいドレスでございます。でもお坊っちゃまなら、お若いお嬢様用には、左端の華やかなお色目のものをお選びになるかと思っておりました。……でも、そう言えばこのお色味は……」
おばさんは俺とおっさんが指差したドレスとを見比べ始めた。
メイド長のおばさんイチオシのドレスは、白地にピンクと銀で花模様を刺繍したもの。
レースで縁取りなんかもしていて、確かにとっても可愛らしくてきれいだけど……俺が着ると思うと青ざめるくらい可愛い。
対して、おっさんが選んだのは少し落ち着いた無地。
全体の色は青みを帯びたグレーに見えるけど、よく見ると縦糸と横糸に白と青と黒を使っていて、その織り模様が水面のさざなみのようにも見えなくもない。
地味に見えないのは、淡いピンク色の織り糸が混じっているからかな。
デザインも露出が少なくて、レースも控えめで、何よりふんわりとしたラインだから俺の貧乳が目立たなくていい!
おばさんは意外そうだったけど、俺には納得の一着だな。
女の子になりきれていない男心にも負担の少ない、俺のどストライクだ。おっさん、ナイス選択だぜっ!
……と感謝の眼差しを向けようとしたら、ずいっと前に来たおばさんに視界を遮られていた。
「せっかくお坊っちゃまに選んでいただいたのですから、さあ、お嬢様、すぐに着替えましょう!」
「えっ、今から?」
「もちろんでございます」
メイド長のおばさんは、にっこり笑うと有無も言わせぬ勢いで俺を別室に連れて行った。
そこで俺は、あっという間に脱がされ、髪を解かれ、着せられ、髪を結われ、淡い色の口紅もつけられた。
最後の仕上げは、高そうな宝石のついた首飾りだっ!
ずっしりと重い首飾りに慄いて、俺はろくに鏡を見れなかった。でもメイド長さんには満足のいく仕上がりだったようで、満面の笑顔で何度もうなずいていた。
「さあ、早速お坊っちゃまにお見せしましょう。きっと見惚れますよ」
「……え、ええー……」
若いメイドさんたちにキラキラした目で見られるならともかく、おっさんに見惚れられてもなぁ……。
そんな事をグダグダ考えている間に、俺はおっさんが待つ居間に連れ戻されていた。
メイド長さんの動きは実に無駄がなくて拒めない。さすがだな。化粧の前にパイ一切れ食べさせてくれたし。
元の部屋では、おっさんがまだ酒をちびちび飲んでいた。でもその飲み方はいかにも不味そうだ。
そんなに不味いのなら飲まなければいいのにな。と言うか、もう飲まないって言ってたのに何やってんだ、おっさん。
「キルバインお坊っちゃま、お待たせいたしました。でもお待ちになった甲斐がありますよ」
「お、できたか? ……あ?」
コホンと品の良い咳払いをしたメイド長が声をかけると、おっさんはだらしなく酒杯を持ったまま振り返った。
俺を見た瞬間、おっさんは変な声を出したけど言葉は続かなかった。ポカンと口を開き、そのまま黙り込んで俺を見ている。
静かだな。でもこれは嵐の前の静けさだ。
さあ、来るぞ、来るぞ、おっさんの爆笑に備えて、腹に力をいれろっ!
……ん? 何も来ない?
俺をガン見しているおっさんは、酒杯を持ったまま動きをピタリと止めていた。いったいどうしたんだ?