(19)保護者が回収
突然現れたのは、おっさん似のイケメン……ではなく、本物のおっさんのようだ。
俺が呆然と見ていると、びっくりするほど洗練されたイケメンに変身しているおっさんは、ハリューズ様を冷ややかに睨みつけていた。
「これはどういう事ですか? ハリューズ殿」
心なしか、話し方や発音もお上品になっているようだ。
無精髭は全くない。きれいに剃られていて、右頬に薄くある傷跡が目立つくらいだ。普段のおっさんなら傷跡は凄みになっていたのに、今日のおっさんは色気になっている。なぜなんだ?
あ、そうか。
おっさんって、そう言えば元々の顔立ちがものすごく整っていたんだな。
いつもはボサボサの髪と髭でぼやけていたんだけど、そういうものをなくしてすっきりさせると顔立ちの良さが前面に出てくるんだ。
その無駄にきれいな顔は、鋭い目と頬の傷跡によって危険な色気を醸し出している。
若い女の子だったら怖がりそうだけど、男慣れした女の人の目には恐ろしく魅力的に見えるんだろう。実際、周囲のご婦人方の目はヤバイくらいに潤んでいるし。
もちろん、俺はこういうおっさんを見ても怖くないよ。
敢えて言うなら、男の色気に全力で嫉妬するだけだ。
なんだよ、無駄なイケメンぶりは。お上品なこの舞踏会の場で「コガネムシのおっさん!」って呼んでやろうかって思ってしまったじゃないか!
……でも本当は……ちょっとだけ見惚れてしまったけど。
いや、ちょっとだけだぞ?
だって仕方がないんだ。俺は今、女の子だから……じゃない。違う、俺は男だ。女の子じゃない。だからおっさんに嫉妬や羨望の目を向けることはあっても、見惚れることなんてあるはずがないんだ!
そうだよ、ありえないよな!
……なのに、ちょっとだけでも見惚れたってことは、ま、まさか頭の中がだんだん女の子になってきたってことなのかっ!
「……う、うわあああぁぁぁ!」
俺はひっそりと叫んだ。
田舎育ちの庶民でお作法とか知らないガサツな人間だけど、こういう場所で大声をあげられる人間じゃない。死んだ母さんや親方が厳しかったからと言うより、こんなお上品な場所で、お上品な人々に囲まれている状態で、いきなり叫んで目立つ度胸がないだけなんだけど。
俺って小心者だよ。
だから衝動的に叫んでしまったけど、声はかなり小さい。俺を抱え上げているハリューズ様がちょっと眉をひそめた程度だから、遠巻きになっている周辺のお貴族様たちには聞こえていないはずだ。
でも、すぐそばまで来ていたおっさんには聞こえている。
改めて俺に目を向けたおっさんは、ちょっと優しい顔になって俺に両手を差し出してきた。
「ほら、こっちに来い」
「おっさん!」
おっさんの言葉は、いつもの言葉に戻っていた。だから俺は何だか嬉しくなって、素直におっさんに両手を伸ばした。
諸悪の根源であるはずのハリューズ様は妨害しなかった。むしろ投げ出すように俺を手放す。魔法で俺を投げたのか、俺の体は羽毛のようにふわりと宙に浮かんで、ぼすんとおっさんによって受け止められていた。
「……ハリューズ様、危ないから投げないでください。こいつは物じゃないし、猫でもないんですよ」
「普通の女よりは猫に近いだろう? お前が保護している、無邪気で好奇心旺盛で美しい愛玩猫だ」
ハリューズ様はニヤッと笑った。
恐ろしいほどの美貌が、いたずら好きの子供のような可愛い顔に見えた。
俺は受け止められた格好のままおっさんの頭にしがみついていたんだけど、ハリューズ様のいつもの魔族めいた微笑との落差に、ごくりと唾を飲んでしまった。
今日のハリューズ様、お美しくて恐ろしいのは当然だけど、コワカワ過ぎて腰が砕けそう。
「さて、キルバインが保護していることも示せたから、あとは任せるぞ。……また面白いことがあったら私を頼るがいい。呪い持ちのマイラグランよ」
「えっ? は、はいっ!」
うはっ! ハリューズ様に名前で呼ばれたよ!
俺は無駄にドキドキして気合の入った返事をしてしまったけど、ハリューズ様はもう完全に興味を失ったようだ。振り返りもせずにどこかへ歩き去っていった。
うーん、こんな風に置いていかれると、ちょっと寂しくなってくるかも。
「おい、ボウズ、大丈夫か?」
「……あ、おっさん。……ハリューズ様が怖かったよ」
「そうか」
「ハリューズ様に、女の色仕掛けで宰相様から物を巻き上げろとか言われたよぉ! こんなドレスも着せられて、じろじろ見られて気持ち悪かったっ!」
「ああ、まあ、お前にはキツイだろうな」
「それに、それに……アイシスさんに貧乳を見られたよ……アイシスさんがめちゃくちゃ優しくてどうしようかと思ったんだよっ!」
「……お前、だから今の外見を忘れるなよ……」
抱えられたまま、正確には左腕の上に座った状態の俺が必死で訴えたのに、おっさんに気の抜けたため息を吐かれてしまった。
でも、ふと周囲を見たおっさんは、急に慌てて俺を床に下ろした。
床に足をつけた途端、俺も正気に戻った。
おいおい、俺たち何やってんだよ。
いい年したイケメンが、涙目の美少女を抱っこして、顔寄せ合ってひそひそ話だぞ?
やってる事はいつもの俺とおっさんなんだけど、こういうのって端から見たらヤバいんだよな? ハリューズ様が前言ってたけど、いちゃついているように見えるんだよな?
うわ、やば。
おっさんのロリコン疑惑を裏付けてしまうっ!
三十を超えた男がロリコンなんてヤバイよなぁ。今日のおっさんは腹が立つほどイケメンなのに。……ははは、ザマァ見ろ!
こっそり八つ当たりをした俺は、気分的に少しすっきりした。
だから、心に余裕を持って素朴な疑問を聞いてみた。
「おっさん、その仮装はどうしたんだよ?」
「仮装じゃねぇよ。……お前がハリューズ様に連れて行かれたと聞いたから、様子を見にきたんだよ」
「マジかよ……やばい、おっさんの優しさが身にしみる。よし、決めた。これからはおっさんが仮装しても女装しても絶対に笑わないよっ!」
「……せっかくの正装なのに、ひどい言い様だな」
苦笑いを浮かべたおっさんは、自分の頭に手を伸ばした。
でも、きれいに櫛を通して整えていることを思い出したのか、舌打ちして手を下ろした。
うーん、せっかく美麗なイケメンになっているのに、おっさんは窮屈そうだな。今のおっさんなら、にっこり笑ったら大概の女の人はメロメロになりそうなのに。なんかもったいない。
でもそれを言うのなら、絶世の美少女になっている俺も中身はこれだし、仕方がないものは仕方がないよな。
一瞬、別世界の人のように見えたイケメン変身中なおっさんだけど、やっぱりおっさんはこうでなければな!
俺はしみじみと親近感に浸りながら、はあっとため息を吐いた。
「おっさんが来てくれて本当に助かったよ。ハリューズ様と一緒だと無駄に目立ってしまって、ものすごく居心地が悪かったから。……でもおっさん、よくこんな舞踏会なんかに入って来れたなぁ」
「それはまあ、伝手があるからな」
「伝手……ってことは、まさかおっさん、ダライズの領主様以外のヒモもしてたのかよ!」
「おいっ! ……何度も言うが、俺はヒモじゃねぇぞ! ダライズ夫人の親類だ!」
一瞬声が大きくなりそうだったけど、すぐにおっさんは我に返った。
それでも集まっていた周囲の視線には別人のような営業用スマイルを振りまいて、俺には小声で凄んできた。
ちっ。子供の冗談にマジになるなよ。
オトナゲねぇなぁ。
でも……凄まれたけど、さらっと聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。俺は目を剥いておっさんをまじまじと見上げた。
「……ダライズの女領主様の……親戚?」
「似ているだろうが。目がいいくせに気付かなかったのか?」
「だって、おっさんはヒモだと思ってたし」
「……俺の母親がダライズ出身なんだよ。俺がガキの頃に死んでいるけどな」
「へぇ、そうだったんだ。……という事は、もしかしておっさんってお貴族様? 全然そう見えなかったよ!」
「まあ、見えないだろうな。十五の年から傭兵をやってる俺が、お上品な日常に馴染めると思うか?」
あー、うん、本当に庶民の生活に馴染んでいるもんなぁ。
むしろ、堅気の庶民よりむさ苦しいというか、人相が悪いというか、荒くれ者たちを実力でねじ伏せて従わせていたっていうか……でも俺、そういうおっさんに憧れてきたけどな。
でも、そうか……ヒモじゃないのか……守備範囲の広い勇者じゃなかったんだな!
「ついでに言えば、父親は学者だ。ありえないだろ?」
「へぇ! おっさんって学問とか苦手なのに、マジか! ははは、確かに家を飛び出すよな! まだヒモの方がおっさんに合ってるよ!」
「笑いすぎだぞ、ボウズ。そういうお前も、今日はよく化けているじゃないな」
「俺が美少女なのは当然だけど、化粧術がすごいんだよ。あと、このドレス。最高に似合うとは思うけど、この露出度はハードル高すぎ! あと、男を手玉にとるとかも絶対無理!」
「ふぅん、女は大変だな」
俺が切々と訴えると、おっさんは改めて俺を見た。
頭のてっぺんから足先までジロジロと見られたけど、おっさんの場合は全然怖くない。まあ、当然と言えば当然だよな。おっさんはただ純粋に面白そうにしているから。
村の祭りの時に仮装を褒めてくれた時と一緒だ。
確かあの時の俺は十代前半で、悪ノリした親方に狼の格好をさせられたんだよな……。本物の狼の毛皮を使えばいいのに、なぜかピンク色に染めた羽毛だった。
村人たちには指差されて笑われるくらいに大受けだったけど、なぜかおっさんだけはよく出来ているって感心していた。
おっさんのセンスって、やっぱりよくわからない。
それとも、ピンク色で羽毛の生えた狼って本当にいるのか?
……いるかもしれないな。魔獣ってスゴイのがいるからな。おっさんなら知っててもおかしくないかも。
そんな昔のことを思い出していたら、おっさんがやけに気取った仕草で手を差し出してきた。
……おい、おっさん。
いくら俺が田舎者と言っても、この手の出し方が何を意味するか知ってるぞ?
俺はジロリとおっさんを睨みつけた。
「……おっさん、俺は女じゃないんだけど」
「そんなに睨むな。せっかくキレイな格好しているから、踊りに誘ってやってるだけだ。俺のリードはかなり上手いぞ」
「だったらそんなにニヤけるなよっ! 誠意が足りねぇよ! だいたいお上品なダンスなんて知らないし。それより靴がきれいすぎて足が痛くなってるんだけど」
「王都にも定宿があるから、もう帰るか?」
「うん」
俺はぶんぶんと頷いた。
すると、おっさんはちょっと笑って、今度はすっと腕を出してきた。
あ、これも知ってる。今日見たよ。
淑女な俺に、腕につかまれってことだろ?
それでも念のためにそっと周りを見回して、男性の腕にどうやって触れればいいかのヒントを探す。ざっと見た結果、どうでもいいらしいと結論を出した。
若くて純情そうなお嬢さんは、軽く腕に手をかけるだけだけど、肉食系っぽいお姉さん方はがっつり腕を絡ませているし。もうちょっと年配になると、落ち着いた感じで腕に触っているようだ。
たぶん俺の年齢なら、軽く触れる感じ、かな?
俺はそっとおっさんの腕に手を伸ばした。
黒い服に触れると、おっさんの服はとんでもなく上質だとわかった。こんな服を普通に着こなすって、やっぱり貴族生まれは違うな。
まあ、俺のドレスもハリューズ様の見立てだから負けてないけどね。
控えめに触れただけで歩き出そうとすると、おっさんはさりげなく俺の手を肘の辺りへと移動させた。そして、俺の手にポンポンとでかい手を重ねるように叩いた。
そうすると自然としっかりとおっさんの腕に体重をかけられるようになって、足への負担がかなり軽くなった。
「おっ、これはいいな。ありがとう、おっさん」
「しっかり体重をかけていいぞ。スカートの裾を踏むなよ」
「うーん、それはあまり自信ないや」
正直に言ったら、おっさんはまた笑った。
ちっ。おっさんもドレスを着てみればいいのに。そうすれば女の格好がどれだけ大変かがわかるよ。
ま、俺と違って絶対似合わないだろうけどね。