(18)初めての舞踏会
夜というものは、太陽がないから暗い。
満月のときは明るいけれど、昼間の明るさに劣るのは当然だ。
普通の夜に庶民が明るくするためには、ロウソクとか薪とかで火を燃やすしかない。魔法が使えたら光を出したりできるようだけど、一般庶民には無縁の世界だ。
だから夜に舞踏会を開くなんて、お貴族様だけに許された最高の贅沢なんだよね。
廊下にロウソクを惜しげもなく配置し、庭には松明を掲げ、舞踏会会場の大広間には巨大な魔法の光を生じさせる。
生まれて初めて体験する舞踏会は、本当に昼間そのもののように明るかった。
特に大広間は、足元に小さな影があるだけで、天井も壁も床もどこもかしこも明るかった。
だから、きれいなお姉さま方のドレスを飾るレースの編み目一つ一つまで見えるし、日焼けのないきれいな白い肌にぽつんとある小さなホクロもはっきり見える。長いまつ毛の一本一本まで数えられそうだ。
逆に言えば、シワとか白髪とかもはっきり見えてしまうはずだ。
それを隠し切ってしまう化粧術って、マジすごいよな!
……で。
そんな華やかなドレス姿の美女がいっぱいいる大広間で、視線をぶっちぎりで集めてしまう俺ってすごすぎる。
ちょっと前まで、泥まみれ汗まみれの労働ばかりだった俺が、賞賛されたり視線を集めてるんだもんな。なんか気持ちいいかも。
……けど、やっぱり、怖いっ!
しかもなんで俺、王宮にいるのっ?
王宮って王様のおうちだろ? 王都にあるんだろ?
ダライズの街から王都まで馬車で三日の距離って聞いていたのに、一瞬で移動してしまったよ! 魔法移動って高難度の魔法のはずなのに。俺のような小娘を引っ張り出すためだけに繰り出すなんて、ハリューズ様の魔力ってチート過ぎっ!
「ハ、ハ、ハハハ、ハリューズ様っ! もう帰りましょう! それがダメなら逃げていいですか!」
「まだ始まったばかりじゃないか」
「でも俺、王宮の舞踏会なんてガラじゃありませんからっ!」
「気にするな、すぐに慣れる」
ハリューズ様は涼しい顔でそう言って、ふと俺を振り返った。
小柄なのをいいことに、ハリューズ様の背中の影に隠れていた俺の顔をわざわざ覗き込み、指先で顎をクイっと持ち上げてニィッと笑った。
「お前はもっと楽しむべきだよ。……向こうの壁際にいる女性が見えるかな? あの髪飾りは孔雀火蜥蜴の鱗だ。紛い物しか市場に出てこないのに、あれは実に見事な本物だ」
「……へ、へー、本物なんですか……」
「偶然拾われたものなのか、生きたまま剥いだものなのか、もしそうならどこでその個体をみつけたのかも興味があるな」
「……ごめんなさい、俺、そう言うの全然興味ないんですっ!」
俺は顎を固定する美しすぎる指先をそろっと外し、じわっとまたハリューズ様の影に隠れようとした。
でも、もちろんそんなことは許してもらえないらしい。
両肩に手を置いたかと思うと、わざわざ人がいっぱいいる方向へ俺を押し出して、耳元に囁いてきやがりましたよっ!
「向こうにハゲおやじがいるだろう? あの見苦しい腹にあるベルトをごらん。あのバックルは肉食系蛟の骨を使っている。輝きはもちろん、内に貯まった魔力はなかなかに素晴らしい」
「……えっ、ベルト? バックルが何だって?」
周囲からの視線に脅えながら聞き返したけど、ハリューズ様はちっとも気を悪くした様子がない。何が楽しいのか、今までで一番さわやかな笑顔を浮かべた。
「お前、ちょっと彼におねだりしてみないか?」
「……はぁっ? 何言ってるんですか! それにハゲおやじって、あの人さっき宰相閣下って呼ばれてた人じゃないっすか!」
「ふむ、そういえば今は宰相になっていたな。だが女好きは変わるまい。せっかく美しい女になったのだから、女の武器であの上質品を巻き上げてこい」
「無理ですよ! と言うか女の武器って何ですかっ!」
「簡単なことだ。ダンスに誘って、真上から胸を覗き込ませて、どこかの控え室に誘えばいい」
うわぁ、本当に簡単ですね!
じゃあまずはダンスのお誘いをしてみるか……なわけないだろっ! 相手を見て言えよっ!
……と、気楽に言える相手だったらいいのにな。は、はははは……。
それにハリューズ様の目はマジだ。本気で胸を真上から覗き込ませて、ハゲおやじ……じゃなくて宰相様がどんな反応をするのか知りたいと思っている。
思わず胸元を手で押さえ、俺は引きつった笑顔を浮かべた。
「ぜ、絶対無理ですよ。俺、これでも男だから、お、男を誘うのはちょっと……」
「なんだ、まだ男と寝てないのか? さっさと子作りを試してみろ。もう身体ができあがっているはずだぞ」
「……無理です……勘弁してください」
俺はもう涙目だ。
もう逃げたい。走って逃げたい。
お姉さん方の嫉妬とか、男どもの遠慮のない下品な視線とかだけでも精神力をガリガリ削ってくるのに、ハリューズ様のセクハラ以前の実験動物扱いって軽く死にたくなる。
なのに至近から見つめられて胸がドキドキしてるなんて、全てイケメン過ぎるのが悪いんだっ!
一緒に会場入りしたアイシスさんを探したけど、今は少し離れたところにいて俺を助けてくれそうにない。
だってアイシスさん、ずーっと酒をガバガバ飲んでいる。
たぶん、声をかけただけで邪魔をするなって睨みつけられるだろうな。
外見は可愛い系の美人なアイシスさんは、悩殺的なドレス姿ってこともあって男が放っておくはずがない。でもその度にジロリと睨まれ、それに怯まずに近くに居続けた男たちはバケツ大の容器で酒を渡されて潰されていた。
まあ、バケツ酒に関しては悪気はないと思う。アイシスさんも洗面器のような盃で飲んでいるから。
……あれ、酒の飲み方じゃないよなぁ。
中身が水だとしても、普通はあんなに一気に飲まないから。
「帰りたい……それが無理なら、常識人の味方が欲しい……」
ため息をついたら、心の声まで漏れてしまった。
女装させられてるけど、ここは王宮の大広間。庶民なら一生縁のない華やかな場所だ。
周囲からの視線に怯えていても、天井とか柱を見上げるとワクワクしてくる。
見渡せば豪華絢爛な美男美女だらけだし、傍観者としてならこの状況もドキドキ楽しめるはずなんだよ。
せめて、俺が元男だと覚えてくれていて、現状が絶世の美少女であることを把握していて、繊細な男心と清らかな体を守ってくれるような、そんな頼もしい味方がいれば……!
……まあ、無理だろうな。
そう言えば、ハリューズ様を見た瞬間の係員さんたち、ものすごく慌ててた。
招待状は出していても、絶対に来ないと思ってたようだ。入り口で警備をしなければいけないはずの衛兵まで、血相を変えてどこかに走っていったのにはびっくりしたな。
ま、その後は俺まで王族とか大臣とかがいるような上座に案内されて、あっという間にハリューズ様目当ての人たちに囲まれて怯えるばっかりだけどな!
でも、俺に気付いて二度見するのはいいけど、青い髪をガン見するのはともかく、胸とケツを凝視するのは勘弁してくれ!
どうせ貧乳で凹凸も寂しいよ!
今度は用心深く心の中で叫んだ時、大広間の入り口辺りで騒めきが起こった。
衛兵の皆さんが慌てたような感じはないから、遅刻してやってきた人がいただけのようだ。
でも、それだけにしては周辺の女性の皆さんの様子がおかしい。ハリューズ様を見た時の女の人の反応に似ているけど、もっと楽しそうで好奇心いっぱいだ。
あ、わかったぞ。
これはイケメン様の登場だな。それもかなりの優良物件とみた。
いったいどんなすごいイケメン様だろう!
……なーんて気になったのは、純粋な好奇心だ。女の子の本能とかじゃない。……絶対にそんなのじゃないからなっ!
「ほう、思っていたより早かったな」
つい拳を握って自分に言い聞かせていたら、いつの間にか俺の真後ろにハリューズ様が立っていて、楽しそうにつぶやいた。
うわ、なんで俺の腰なんかを引き寄せているの?
脇腹に手のひらがあたって、なんかくすぐったいよ。吐息が頭のてっぺんに当たってる。……はっきり言って近過ぎます!
俺は偉大なるハリューズ様の手から逃れようとしたけど、顔と同様に美しい造形の手はますます俺の腹に触れてくるだけ。ついでに言えば、もう背中は完全にハリューズ様と密着している。
ひぃー、やめてー!
俺、イケメンに密着されて喜ぶほど女の子になっていないんだよ!
「暴れるな。そんな怯えた顔をしていると、奴が殺気だってしまうぞ」
「……や、奴って?」
「見えなかったのか? お前の保護者殿だよ」
保護者と聞いて、俺は慌てて入り口に目を戻した。
ダライズの女領主様の姿勢のいい頭が見えないかと背伸びしてみたけど、人だかりがひどくて何も見えない。
なおも背伸びしようと立ち位置を変えた時、突然俺の体がふわりと浮かんでいた。
「え、えええっ?」
「律儀に黒い服を着ているのが見えるかな? お前のドレスの色を教えた甲斐があった」
どうやら、ハリューズ様に持ち上げられたらしい。あまりにも軽々だから魔法も使っているんだろうな。
でも俺はそんな事より、人だかりをかき分けながらこちらにやってくる人物に気を取られていた。
周りの貴族たちと比べると、一回りほど背が高い。
華やかな色が多い舞踏会なのに、その人はハリューズ様が言ったように黒を基調とした衣装を着ていた。ただし黒一色ではなくて、飾り紐とか襟飾りとかで鮮やかな差し色を効果的に使っている。
腰には剣を帯びていて、すっきりと撫でつけた髪は黒い。
俺が予想した美老女様ではなくてがっかりしたけど、その人は独特の雰囲気を持ったすごいイケメンだった。
若造では持ち得ない男の色気が漂っていて、身のこなしには無駄がない。
まるで肉食獣が歩いているような、一種の優雅さが物騒さとともに漂っていて……。
……って、おい、もしかして……?
「……誰かに似ているって言うか……おっさん?」
おっさんの顔立ちにそっくりなイケメンは、目があうと唇の端を少しだけ吊り上げるおっさんの笑みを浮かべた。