(17)突然の招待
魔導院分院での検査を終えた三日後。
俺はおっさんの定宿でだらけ切っていた。
正確にはダライズのご領主様の邸宅にいるんだけど、それを考えるとド庶民な俺は萎縮してしまうから、ここは「おっさんの定宿」とだけ思うことにしている。
ちなみに、美老女なご領主様は今日も留守だ。
領主という身分は、かなり忙しいらしい。
ついでに言うと、おっさんもいない。どうやらおっさんにも仕事があるらしい。今日はヒゲ剃ってなかったから、女じゃないな。
……あれ、前も女じゃなくてハリューズ様との面会だった気がするな。
ま、おっさんの下半身事情なんてどうでもいいんだけどね。
大事なのは構ってくる人がいないってことだ。だから俺は、一人で心置きなくダラけ切っている。
気を利かせたメイドさんたちが座り心地のいい椅子を外に出してくれたので、それにダラっと深く体を預け、半分寝そべるような格好でお菓子をつまんだり小鳥の観察をしていた。
まあ、俺も疲れたんだよ。
精密検査は全身に渡ったし、胸のサイズから未知の下半身までセアラお姉さんに事細かに検査されて精神的に疲れたんだ。
内診は勘弁してくれたけど、肉体的にはほぼ成熟しているとか言われてメンタルに来たんだよ……。
「……はぁー、小鳥ってかわいいよな……」
俺は庭の木の花に集まる小鳥を見ながら、ぼんやりとつぶやいていた。
小鳥は、マジでかわいい。見ているだけで癒される……。
俺がぼーっと見ているのは、村でもよく見ていた鳥だ。
甘い果物とか木の花の蜜とかが大好物という小さくてかわいいやつらが、たぶん十羽かそれ以上集まっている。
大都市なのに田舎と同じ小鳥がいるのには驚いたけど、領主様のお屋敷は広いし木もたくさんあるから、餌場としても繁殖場所としてもちょうどいいらしい。
そう言えば周辺にも大きなお屋敷が多いから、この辺りは大都市にしては木が多いんだよな。
俺のいた村では、さえずりがきれいだからってよく捕まえる人がいたけど、あの小鳥は鳥カゴに一羽ずついるより、たくさん一緒に飛び回る姿の方がかわいいんだ。
そんなことをぼんやり考えていたら、小鳥たちが一斉に飛んで行ってしまった。
やっぱり予想以上にたくさんいるハヤブサが飛んできたのかと思ったら、もっととんでもない人たちが現れた。
どのくらいとんでもないかと言えば、今は亡き俺のタマがきゅっと縮こまる幻覚があったり、俺の乙女な心がキュンとしたような錯覚があったりするくらいだ。
な、なんでイケメン魔人様がここにいるんだよ!
いつ来たんだよっ! 来たなら来たって早めに教えてくれよ、メイドさんたちっ!
「……ハ、ハリューズ様ではありませんか。ごごごごご、ごきげんよう……!」
「今日も元気そうで何よりだ」
美老女様にしつけられた通りの挨拶をしたつもりだったけど、声が震えてダメだった。
でもハリューズ様は俺の失態なんて全く気にしていないようだ。
お菓子を握りしめたまま立ち上がった俺に、にっこりと笑いかけてくれた。
うわ……ステキな笑顔……!
どうしよう、俺の心は男のままなのに、ハリューズ様症候群としか言いようのない動悸息切れと過度な赤面が始まってしまった!
ついでに、ゾワゾワっと背筋が寒くなって鳥肌がたってきた。
真正面から金色の目を見てしまうとものすごい魔力を感じるんだけど、これでも漏れ出ている分だけだろうからなぁ……魔人族の魔力って底無しだな!
……というか、ヤバイよな。
領主の邸宅というダライズで一番安全な場所だけど、今はおっさんも美老女様も不在なんだ。
魔人様が知的好奇心から、俺の肝を食いたくなったり、ドラゴンの呪い持ちな美少女を性的に食いたくなったりしたら……誰も助けてくれないだろう。いや、助けようとしてくれても無理と言うか。
そんな怖い想像に怯えていたら、ハリューズ様の後ろから見覚えのある巨乳美女が現れた。
まじで救世主に見えるぜ、アイシスさん!
……と思ったのに、いかにも嫌そうなため息を返されてしまった。
俺、まだ変なこと何も言っていないのに。
軽く凹みかけて、アイシスさんが分厚い外套を重ねる魔導師の服ではなく、鮮やかな色合いのドレスを着ていることに気づいた。
首元が広くあいて胸の谷間がチラリなドレスっていいですよね。最高です!
素っ気ないため息をつかれたことを忘れ、俺は思わずアイシスさんのそばへ駆け寄った。
「アイシスさん、今日は一段ときれいですね!」
「迎えに来たわよ」
「……へ? 迎えって俺の? どこかへ行くの?」
「これに着替えなさい」
相変わらず、アイシスさんは魔術関係以外の説明はしてくれない。
普段はこんな感じで冷たい対応をする人だけど、俺が分厚い資料を半泣きで読んでいたら飴玉くれたりするんだよね。だから俺はアイシスさんの事、けっこう好きだったりする。
そんなことを暢気に考えていた俺は、アイシスさんが示したモノを見て青ざめた。
「あの、あの、それは……」
「サイズは合わせています。早く脱ぎなさい」
「いや、でも、それっていわゆる……ド、ドレスってやつでは?」
「一人では着れないでしょう?」
俺の動揺と質問を丸無視して、アイシスさんはドレスをふわりと広げた。
しかもただのドレスではない。鮮やかな青い刺繍が入っているけど、黒一色のドレスだ。
これを俺が着るの?
十五歳と言っても誰も疑ってくれない美少女な俺が?
まあ、ぶっちゃけ俺は美少女すぎるから何着ても似合うし、ド派手な青い髪があるからこれくらい地味な色の方が映えるかなぁとは思うけどさ。
十代半ばの美少女のドレスって、もっとこう、ふわーっとしてキュンキュンくる綺麗な色では……。
と言うかですね。
まさかアイシスさんは、女装ってだけでも荷が重い俺に、この場で着替えろって言っている、のか……?
「……あの、俺、ここで脱ぐの?」
「あなた、男でしょう?」
「いや、男だけど、こんな開放的な場所で絶世の美少女の生着替えとか、絶対にヤバイでしょ! ほら、そこの超絶イケメン様がじっと見てるよ! 絶対に性的な意味じゃないだろうけどね! それに向こうの血の気の多そうな警備のお兄さんたち! お仕事忘れてこっち見てるし! 俺、まだ清い女の子なんだよ!」
「清純ぶってるの?」
「違うよ! 男の頭の中を知っているから怖いんだよっ!」
俺は必死で訴える。
目元に何かが滲んだ気がするけど、外見は美少女だから気にしないぜ!
……でも相手は乙女の涙が効かない相手。泣いた分だけ損をする。全く心を動かされていないアイシスさんは、ふんと鼻を鳴らして口元のホクロを強調するように唇を歪めた。
「減るものじゃないんですから、さっさと着替えなさいよ」
「無理だよ! アイシスさん、女の子の裸を見たら、男は猛獣になること知らないの!」
「さあ? 私が着替えていても誰も何もしませんよ」
「……そりゃあアイシスさんだから、男も怖がっているってだけで……じゃなくて! 俺は非力なんだから配慮してください! マジでお願いします!」
「ケチ臭いわね。出し惜しみするなんて」
「……えっ、そりゃあ出し惜しむほどじゃないけど……でもやっぱり繊細な乙女心が……」
「心は男では? それとも脱ぐとすごいの?」
「……全然すごくないです」
だめだ、反論の余地がない。
逃げ道を失った俺は、うつむくしかなかった。
でもそれまでの必死の懇願を哀れに思ってくれたのか、アイシスさんはブツブツ文句を言いながら室内で着替えることを許してくれた。
着替え方がわからないだろうからと手伝ってくれたけど、服はあっさりはぎ取られた。当然、俺の貧乳は見られてしまった。
俺も男だ。いつものように鼻の先で笑われるのも覚悟したさ。
……笑われる方が幸せだった。たぶん、ものすごく同情的な目で見られてしまった気がする。
うん、なんと言うか、こう、ぐさっときた。女の子も大変だよね。
でもそのおかげか、アイシスさんは着替えを手伝ってくれている間、ずっと優しかった。
胸元に多めに詰め物を入れてくれるぐらいには優しかった。俺の青い髪に櫛を入れて結い上げる手つきも優しくて、ちょっとドキドキしたなぁ。
……魔人様の待つ部屋で鏡を見た瞬間、げっそりしてそれどころじゃなくなったけどね。
「うわぁ……」
俺は絶句した。
いつものように楽しくポーズをつける気力はない。大きくてきれいな鏡の前なのに、もう棒立ちしかできなかった。
でも、魔人様はとてもご満悦のようだった。
「ふむ、私の見立て通り、よく似合うな」
「あの……このドレス、ハリューズ様が選んでくれたんですか……」
「君は細いから、それを生かしたドレスがいいだろうと思っていた。全てが素晴らしいが、特に首のラインは絶品だな」
「あー、首はいいですよね。……でも……ちょっと露出が多すぎる、かなぁ」
俺は自分の胸元に目を落とした。
首から肩にかけてを露出させるのはいい。ハリューズ様が言う通り、俺の細い首から肩とか胸にかけてのラインはぐっとくる。背中が広くあいているのも最高だと思う。
問題は、胸だ。限りなくなだらかな胸だ。
詰め物を入れるにしても限度があるから、まあちょっとは凸を作ったけど余裕の貧乳だ。それを、これでもかとはっきりと見せつけているというか、柔らかな布地がストンと身体に沿うデザインだった。
たぶんアイシスさんくらいの胸があれば、横乳チラリで息を飲むようなラインができあがると思うんだよね。
でも俺の場合は……俺は巨乳派だから、何とももの悲しい。
いや、それもメンタル削るけど。
何というか、もっと……自分の胸を直視するのは、思っていたよりずっと辛かったんだ。貧乳とかそういう以前に、生まれて十六年間ずっと男として生きてきた人間として。
俺は自分が女体化していることに慣れてきたと思っていた。
長くなった髪も、その髪を可愛らしく結いあげられることも、時には薄い化粧をしてもらうことも、自分からはしたくないけど、してもらうくらいなら別にいいかって思っていたんだ。
でも、完璧に女の子である事実を目の当たりにすると……ダイレクトにぐさっと来た。
男だった俺は、もういないんだ。
理不尽な呪いへの憤りより、今の姿を見ているとただ無性に哀しくなる。
……その一方で、鬱々とした心を無理やり蹴っ飛ばしてくれるのも、美少女すぎるドレス姿だ。
小柄で細身で、そのくせ超絶に美少女な顔立ちで。
髪は南国の鳥よりも鮮やかな青。
それら全てを強調する、体にぴったりと沿う黒を基調とした高価そうなドレス。
一言で表現すると……ヤバイ。
はっきり言って美少女すぎる。どこに連れ出されるのかわからないけど、こんな姿では絶対に注目される。いやそれどころか、今日の俺を振り返らない男は男じゃない!
冗談抜きでそんなレベルだ。
男が振り返えるだけじゃなく、そのまま惚れられることだって見えてくる。それにたぶん、と言うか絶対、超絶美少女の青い髪は蒐集家の心をくすぐって煽りまくると思うんだ!
普段はスカした男どもが、俺をうっとり見るのは悪い気はしないよ?
ちょっと気持ち悪くなる時もあるけど、基本的に勝った!という無意味な満足感がある。
若いメイドさんとか女の子たちに囲まれて、綺麗とか可愛いとか言われるのもドキドキする。だって男の子だもの。
でも、見惚れるを通り越して、惚れられると思うと怖くなるんだ。
だって惚れるの先には欲情しかないもんな。
……俺も男だから、行き着く先は下半身の問題になるのは知っているんだよっ!
その上に蒐集家となると……未知の世界すぎて怖い。
珍しい色の髪が欲しいとかなら、切って渡せばいい。限界まで長くなるのを見ていたいっていうだけなら、たぶん身の危険はない。
でも、毛並みのいい馬とか足の速い馬とか、そういうのを手に入れたら何を考えるかってことだ。きれいな馬は増やしたいよね、同じような毛並みの子供が欲しいよね。
若いメスなら、絶対に期待するよな!
「……ハリューズ様、どこに行くか知らないけど……俺のこと守ってくれる?」
「いい子にしていれば、命は守ってあげよう」
ハリューズ様はにっこり笑ってくれた。
青ざめた俺はドキドキしまくったけど、もちろん全然安心できない。
……おっさん、なんでこんな時にいないんだよ! 一人にするなよっ! 八つ当たりできる相手がいなくて泣きそうだよっ!