(16)これは秘密
視力の変化? ああ、なるほど。
それはあるかもしれない。
耳元で聞こえたおっさんの言葉を反芻し、俺はちょっと考えてからうなずいた。
「やっぱり目が良くなったのかな。いろいろ思い当たるかも。おっさんの白髪もはっきり見えるし、お姉さんの胸の谷間もばっちり見えるもんな。あ、おっさんは見えた?」
「……はぁ? まさか、セアラのか? ……いや普通は見えねぇよ。子供向けの顔をしているけど、あいつは隙がないことで有名だぞ。特に胸の谷間なんて鉄壁の守りとまで言われているんだぞ? 本当に見えたのか?」
「うん、すごくエロい谷間が見えた。さっきみたいに、ちょっと屈んだ時なんかに見えない?」
「見えないな。お前の外見のせいで、あいつの守りが緩んでいるのかもしれないが」
おっさんは真剣に考え込んでいる。
俺もたいがいだと思うけど、おっさんも巨乳好きだよな。
しかも俺って外見だけは最高級の美少女様なのに、おっさん気が緩みすぎだよ。女の子にこういう話をしたら、間違いなくセクハラオヤジってことで人生終わるよ?
半分呆れたけど、ま、俺とおっさんだけの会話だからいいか。
それより、実は俺にはもっと気になることがあった。
ちょうどいい機会だからおっさんに知ってもらおうと思いつき、俺は手を動かしてもう一度おっさんに屈んでもらった。
そしてすぐそばにある耳に、こっそりささやいた。
「あのさ、実は俺……あの怖い人の魔力も見えたんだよね」
「怖い人って誰だ? アイシスか?」
「アイシスさんよりもっと怖い人だよ。あの魔人さん」
「ああ、ハリューズ様か。……っておい、本当に見えるのか?」
「見えたよ。びゅっと飛んできて、ドバーッと広がって、最後にしゅるっとお片付けした時とか、いきなり魔法転移をやった時とか。多分、おっさんは見えてないんだよな?」
「ああ、俺は全く見えねぇよ。……だが、びゅっとかドバーッとかしゅるとか……まあ、伝わるからいいか」
あれ、なんでおっさん、顔に手を当ててるんだ?
的確な表現だったと思ったんだけどな。呆れられるような要素はどこにも……。
「……まあそれはそれとして、お前、見えたことはしばらく黙っていろよ。魔導院にもだ」
「えっ、セアラお姉さんの胸の谷間って、そんな国家規模の機密だったのかよ!」
「ハリューズ様の魔力の方だよ!」
「え、ああ、そっちね。……でもあの怖い人に秘密なんてできるの?」
「ハリューズ様にはある程度はバレているだろうな。でもあの人が何も言っていないのなら、秘密ってことでいいんだよ」
おっさんは一度伸びをしながら背筋を伸ばし、鋭い目つきで周りを見た。
検査のお姉さんは新しい検査器具を準備しているようで、向こうの部屋を歩き回っている。
その距離を目測で測ったおっさんは、俺の頭を撫でるふりをしながら早口で囁いた。
「近いうちに、お前は王宮に連れて行かれる事になるようだ。何かあっても逃げ切れるように、その目の良さは内緒にしておけ」
「……王宮って?」
「あー、王様の家って言えばわかるか?」
「そのくらいはわかっているよ! そうじゃなくて、なんで俺がそんなところに行くんだよ?」
「実はな、お前の噂がもう漏れているんだよ。いろいろな貴族がお前の顔を見たいと騒いでいるらしい」
「……なんで?」
「青い髪の美少女だからじゃねぇのか?」
「そりゃあ絶世の美少女だけどさ。俺は男だから、お貴族様たちと会ってもお上品にできないよ?」
「ああ、そうだな。お前は口を開くと間違いなく男だな」
ニヤッと笑ったおっさんは、ぐしゃぐしゃと俺の髪を撫で乱して、手を離した。
でも、その手が空中で止まった。
どうしたんだろうとおっさんを見上げると、おっさんが顔を強張らせて何かを見ている。視線をたどって振り返ると、お尻のラインがエロいセアラお姉さんがいた。
おかしい。
セアラお姉さんは相変わらずとても優しそうな笑顔なのに、目がものすごく怖い。
「えーっと、おっさん、どうしたんだよ?」
「いや……あいつが俺をゴミを見るような目で見ているんだが……」
そうかな。
どっちかと言えば、ゴミというより毒虫を見つけた時に近い気がする。
それも普通の毒虫じゃなくて、殺しておかなければあっという間に大繁殖する恐怖の害虫っぽいというか。
どちらにしろ「死ね!」に等しいくらいに思っているのは間違いない。
……あれ、なんでおっさんが殺意なんて持たれているの?
「もうキルバインったら、いくらマイラちゃんが可愛いからって、触り過ぎはどうかと思うわよー?」
「は? いや待て、セアラ。こいつは男だぞ?」
「以前はともかく、今は女の子でしょう? イヤだわ、あなたってやっぱりロリコンだったのね。がっかりよ!」
セアラお姉さんは笑顔を消して、ジロリとおっさんをにらんだ。
口調も急に怖くなった。
これはマズイな。
俺は何とか話を逸らそうと、ぐいぐいと二人の間に割って入った。
「……えっと、ねえ、セアラお姉さんって、もしかしておっさんを狙ってたの?」
「昔はね。でも諦めて次に行って正解だったと思うわ。こんな小さくて可愛い子にベタベタ触るキルバインなんて、見たくなかったわ!」
「ちょっと待て。その言い方では俺がロリコンみたいじゃないか!」
「そうだよ、おっさんはロリコンじゃないよ! おっさんはお姉さんみたいな巨乳の年増系が好きなんだぜ!」
「はぁ? 熟女ですって? 私はまだ三十歳になってないわよ! まだ半年もあるんだからっ!」
セアラお姉さんは一人でプリプリ怒って、どこかへ行ってしまった。
え、お姉さん、ちょっと待ってよ!
俺は熟女とは言っていないよ!
……微妙にぼやかしたつもりだったけど、年増はやっぱりダメだったらしい。
というか、今二十九歳なんですね。
確かに微妙な年齢だ。おっさんもその辺りの地雷は教えてくれよ!
うーん、大失敗だった。
おっさんを助けようとしたはずなのに、言葉の使い方を間違えてしまったよ……。
ため息をついた俺は、おっさんと顔を合わせた。
顔をしかめていたおっさんも、ため息をついて髪をバリバリとかき乱した。
「あいつを怒らせてしまったのはまずかった。俺もたいがいだと思うが、お前も言葉を気をつけろよ。女を怒らせると、あとが怖いんだからな」
「……うん。骨身にしみた。セアラお姉さんに謝ってくる。……おっさんも一緒に来てよ」
「馬鹿か。一人で行ってこい。誠意を見せるんならお前一人の方が印象がいいぞ」
「それはわかってるけど、一緒に来てくれよ! 俺、女の人って慣れてないから怖いんだよ!」
「はぁ? 今はお前も女だろう」
「心はまだ男なんだよ! 彼女いない歴十六年だった俺を甘く見るなよ!」
俺の半泣きが効いたのだろうか。
結局おっさんは、ものすごく優しい目をして俺と一緒に来てくれた。
……そんなに彼女いたことがないのが可哀想なのかよ! 身寄りのない住み込み従業員だから、恩を返そうと一生懸命働いていただけなのにっ!
若い女の子って言えば、親方のお嬢さんくらいだったんだよ! あの人もガンガンに気が強くて怖かったけどな!
でもおっさんは、いい男だ。
俺が年増なんて言ってごめんなさいってセアラお姉さんに謝ったら、ただの付き添いだったはずなのに、なぜかおっさんがロリコンだの変態だの罵られていたけど、いい男だ。
あまりにも気の毒だったから、おっさんがどんなに優しくてかっこいい漢かってことを熱く語ったら、もっとおっさんが罵られてしまった。
……何でだろう。
俺自身が無事だったから、ますます巻き込んで悪かったと思う。
「あの、おっさん、ごめん。マジでごめん」
「……いや、予想の範囲だったから気にするな」
「うわぁ、おっさんはアレを予想してたの? それなのに俺の付き添いしてくれたの? ヤバイ、おっさんかっこ良すぎ!」
「…………もうそのことはいい。と言うか黙ってくれ。あいつにきかれたらまた罵倒される」
「でも……」
「それより、メシ食いに行くか。屋台に行ってみたいって言ってただろ?」
ボコボコにされて疲れきったおっさんは、ぐったりしながらも俺を街に連れ出してくれた。
行き先は大通りのお上品なお店じゃなくて、ちょっと裏通り寄りの安い屋台の飯屋だ。
庶民育ちの俺には、お上品な料理より貧相な素材で作った大雑把な料理の方が合ってる。
じっくり時間をかけて仕込んで、豊富な香辛料で味付けした肉は美味い。でも、大雑把に塩振っただけとか、内臓を濃い味付けで煮込んだのとか、そう言うのも大好きなんだよね!
あと、雑穀だらけの固いパン!
噛めば噛むほど味が出てくるこれを、最近無性に食いたくなってたんだよ!
「うめぇ……! このガチガチの外側が最高っ!」
「そうか、よかったな」
「こっちの煮込みも、牧場でよく食ってたのに似ていていいな! この豆だらけのスープもなんか懐かしいよ。母さんがよく作ってくれたのに似ている!」
「……残ったら全部食ってやるから、好きなだけ頼め。お、向こうのテーブルの魚の唐揚げもよさそうだな。お前、川魚も好きだっただろ?」
「おう!」
「杏の蜂蜜煮も美味いぞ。……よし、俺も酒を飲むかな!」
俺がガツガツ食っている間に、おっさんも復活したようだ。
少食になってしまって、どうしても残ってしまう料理を肴に、ガンガン飲み始めた。
でもおっさん、麦酒ならまだしも、それは強い蒸留酒……うん、まあ、今日は疲れただろうからいいか。
俺も浮かれて食い過ぎだし。
こういう食事をしていると、女の子になってからは全然量が食べられなくなったけど、舌は昔のままなんだなとしみじみしてしまう。
そういう事に気付いてくれる人がいるって、やっぱり嬉しい。
これだからおっさんは好きなんだ!
翌日ニヤニヤしながらそう呟いたら、検査の続きをしていたセアラお姉さんにものすごい目で見られてしまった。
あれはいったい何だったんだろう。
次の日から、俺とおっさんが二人で歩いていると分院中でヒソヒソ言われ始めたことと何か関係が……あるのかな。ありそうだな。絶対あるんだろうな。
……おっさん、ごめんな。