(14)イケメン怖い
今までの俺は、相手がイケメンという時点で無条件にイラッと来ていた。でも女になったせいか、イラッと来る前にゾクゾクして、ドキドキする。
女って、女って、やっぱり顔が第一なのかよ!
思わず自分に突っ込みを入れていると、大通りから走ってきたデカい男が目に入ってきた。
ああ、おっさんだ。
背が高くて、体をものすごく鍛えていて、別に筋肉の塊って感じじゃないのに、デカいって思うんだ。
そんな俺の憧れな体型のおっさんは、俺たちから少し離れたところで勢いを緩めて止まった。でも足がすくんだとかじゃないのは確かで、油断なくあちこちを見て回っている。
でもすぐに警戒を解いて、手にしていた剣を鞘に収めた。
「これはまた、派手にやりましたね。ハリューズ様」
「目障りな虫を排除しただけだ」
「排除はいいですけどね。やり過ぎです。これの片付けは大変ですよ? 第一、女に見せるものじゃない」
「女、ではないはずだ。これは男だろう? 片付けはすぐに済む」
黒いイケメンは俺から離れ、ため息を付くおっさんが見ている人間だったモノを見やる。
それからすいっと手を上げて、虚空に何かを描くように指を動かした。
長い爪のよく似合うきれいな指が動きを止めると、路地を汚していたモノがすべて消えた。壁に染み込んでいた赤黒い色も消えていた。
すっきりした薄暗い裏通りに、黒いイケメンの金色の目だけが輝いていた。
惨劇の痕跡は、わずかなシミも残さず消え失せていた。
靴とかコインとかが幾つか残っているけど、血のシミがついているものは残っていない。
もしかしたら前よりきれいになったかもしれない裏通りを見回しながら、おっさんは嫌なものを見たようにわずかに眉をひそめた。
「……見事なことで」
「私とて、ここのご領主を怒らせたくないのだよ」
「まあ、そういうことにしておきましょうか」
軽く肩をすくめたおっさんは、赤いものが一番遠くまで飛び散っていた場所で足を止め、何かを拾った。
肉片的な何かかと思っておびえたけど、おっさんが目の高さに持ち上げて見つめているものは短剣のようだ。鞘のない状態で、刃の中ほどくらいで折れている。
あのお兄さんたち、あんなものまで持っていたのか?
それにしては武器で脅してこなかったような……下町のゴロツキと言えば、もっと扱いやすくて安価なナイフなんだけど。
「こんな物を持ち歩くとは、詰めが甘い奴らだな。……ボウズ、大丈夫か?」
低くつぶやいたおっさんは、青い顔をしている俺に目を戻して声をかけてきた。
はっきり言って限界だったから、俺は壁に背を預けたままずるずると座り込んでしまった。髪を隠していた被り物は完全にずれて青い髪がのぞいてしまったけど、気にする余裕はなかった。
髪は軽く一つに束ねていただけだったから、毛先は土についてしまった。
俺がぼんやりと毛先を見ていると、おっさんがしゃがみこんで俺の髪を持ち上げて毛先の土を払ってくれた。
「ボウズ、怪我はないか?」
「……うん、ないよ。……でも恐かった」
「だろうな」
「あの男たちとかあの血まみれとかじゃなくて、あのイケメン様が恐い」
「はぁ? まあ、わかるがな。あの方はハリューズ様、ドラゴンの呪いの件で会う予定だった魔導師だ。勝手に出歩いたおまえの気配を探し出してくれたんだよ。お礼を言えよ」
「うん。……でも恐い。なのにドキドキする。女って業が深いんだな」
「何の話だ?」
おっさんは首を傾げながら、俺の手を引っ張って立たせてくれた。
まだ足が震えているけど、立てないほどじゃない。でも、歩けるかどうかは微妙だな。
おっさんの服をつかんで体を支えながら、俺は深いため息をついた。
「おっさんも女になったら、あのイケメンがどれだけすごいかがわかるよ。何ていうか……そうだ、あの人になら殺されてもいいって感じ?」
「……絶対に女になりたくないな。まあ、まずは場所を移そうか」
派手に顔をしかめたおっさんは深いため息をつき、ずれ落ちる寸前の俺の被り物をきれいに直してから魔人のイケメン様を振り返る。
イケメン様は軽くうなずきを返してきて、指先をすいっと動かした。
たったそれだけの動きで、周囲にものすごい魔力が渦巻き始めた。
俺がびくりと震えた時には、すでに裏通りの風景は魔力に阻まれて薄れていた。
一瞬、全てが見えなくなった。
めまいがしそうなすごい金色の魔力の嵐の中に閉じ込められた、と思ったら、次の瞬間には見知らぬ建物の中にいた。
どうやら、魔法で転移したらしい。
「……ここ、どこ?」
「魔導院のダライズ分院だ。ようこそ、我が研究室へ。青き恩寵持ちよ」
俺が呆然としていると、イケメン魔人様がにっこりと笑って教えてくれた。
俺は牧場で働いていた。
世話をしていた軍馬様たちの方が俺のような下っ端庶民よりいい生活をしていて、俺はもっぱら馬様のシモの片付けをしていたもんだ。
で、気になったんだ。
あの怖いイケメン魔人が、指の動き一つで血やら肉やらその他もろもろの元人間を消してしまったけど、あれはどうなったのかなって。
俺は魔法に詳しくないけど、ある対象を別の場所に移動させる魔法と言うものがあるのは知っている。
時々やってくる王国のお偉い魔導師様が、お買い上げの馬と騎士を一緒にどこかへ送るのも何度か見てきた。
古い飼い葉なんかを片付けながら、魔法が使えればどんなに楽だろうといつも思っていた。
だから、イケメン魔人様専用の部屋という広い部屋に通されて「質問は?」と促された時、思わず尋ねていた。
「さっきのあれ、どうなったんですか!」
「……はぁ?」
「ん? おっさん、気分でも悪いの?」
「いや、お前、……他に聞くことはないのか」
あれ? そう言うものなの?
でも気になってるんだから仕方がないだろ。
目元に手を当ててため息をついているおっさんから、おそるおそるイケメン魔人様に目を戻すと、偉そうな金の輪を頭にはめた魔人は珍獣を見るような目で俺を見ていた。
あの金の輪は、魔導院の高位の偉い人の印らしい。
近くで見ると細かな紋様がびっしり彫り込まれた逸品だ。村の細工職人の親方が見たら、きっと唸りながらガン見するだろうなと思うとちょっと懐かしくなった。
そんな超お偉いハリューズ様は、おっさんに目を向けてひやりとするような笑顔を作った。
「ソレは、ずいぶん元気そうだな」
「ありがたいことに、すこぶる健康体のようです」
「ふむ、呪いと相性がいい人間もいるのだな。面白い。……それで、なんだったかな?」
ハリューズ様はおっさんから俺に目を移し、しげしげと見つめてくる。
もしかしたらただ眺めているだけかもしれないけど、俺の心臓的には「見つめられた」としか言いようがない。
俺は動悸を抑えようと胸に手を当てて、深呼吸をした。
「だからですね、その、さっきの、血とか肉とか骨とか……」
「ああ、そうだった。捨て場所の心配をしているようだが、あれは魔界の一角に移しただけだ。便利なのがいて、欠片も残さずに処分してくれるのだよ」
「魔界……処分……」
……あー、これは、深入りしてはいけないヤツだ。
でも処分を担当するのがナニモノかは知らないけど、人間の味を覚えさせたらダメなんじゃないの?
そんな事をふと思ったけど、魔界のナニかは普通の動物とは違うから大丈夫なのだろう。
たぶん。きっとそうだと思いたい。
うん、そうだよ、ただの餌付けだよな!
魔界のナニかに餌付けして何をするんだ?とか、もしかして故意に人間の味を覚えさせてるんじゃないの?とか、そんな余計なことは絶対に考えてはいけない。
黙り込んだ俺を、魔人様は興味深そうに見ている。
そんなに見つめられると、女の子としては胸がドキドキしてきちゃう……っていうか、絶対に珍獣扱いだろ。
もしかしたら、食ったら美味いかもとか思っているんじゃないのか?
伝説にあるような、ある種の魔獣の肝を食べると不老不死になるとか、不老長寿の薬になるとか、爆発的な回復力を得るとか、そういう感じ?
……うわ、どうしよう。まさか、食われたりはしないよな?
「ドラゴン研究にも最近は飽きていたのだが、ソレは面白そうだな。譲ってくれないか?」
え、ソレって、もしかして俺のことでしょうか?
青ざめて縮こまっていると、おっさんがまたため息をついた。
「ハリューズ様。何を企んでいるんですか?」
「たいしたことではないぞ。魔人族の血と掛け合わせるとどんな子が生まれるかとか、その程度だ」
……え? 掛け合わせる?
子?
……えええええっ?
俺、そっちの意味で食われるのっ?
俺は自分の体を抱きしめるように震えた。血の気が引いているのがわかるのに、頬は熱い。認めたくはないけど、赤くなっているんだろう。
たぶんこれは、俺の意思とは無関係の、イケメンに対する女の子的な仕様だっ!
赤くなりながら青ざめていると、おっさんがまたため息をついた。
そしてすっと動いて、視界を遮るように俺の前に立ってくれた。
イケメンすぎる魔人様が見えなくなると、それだけで落ち着いてくるから不思議だ。これが女体の神秘ってやつなのか?
危うく心の底まで女の子になりかけていた俺がほっとしている前で、おっさんは整えていた髪をぐしゃぐしゃとかき乱して首を振った。
「だめですよ、ハリューズ様。そう言う意図なら余計に、こいつをお譲りできません。こいつは俺の保護下にありますので」
「ふうん、お前が保護下においているのか。まさか、お前の隠し子とでも言うつもりかな?」
「……ハリューズ様、俺のことをそんな風に思っているんですか?」
「そういう話なら面白いと思っただけだよ」
ハリューズという名前のイケメン魔人は、俺をまたしげしげと見つめた。
金色の目がまぶしいほど輝いて、それから小さく笑った。
うわ、なんか笑顔が可愛くね?
イケメンが無邪気に笑うと意識が飛びそうなほど強烈だってこと、俺、初めて知ったよ。胸がドキドキしすぎて死にそうっ!
「魔人の目を見くびらないように。キルバインとソレに血縁がないことくらいすでに見抜いている。ところでソレの名前は?」
「こいつの名前は……」
おっさんが答えようとして、口を開けたまま止まった。
口を閉じて首までひねっている。
ああ、うん、覚えていないんだな。
というか、絶対覚える気がないだろ。さんざん笑っていたくせにな!
ま、俺もおっさんの名前を聞くたびに「誰?」と思うから、人のことは言えないけど、ちょっと気分を変えるためにからかうことにした。
まず、おっさんの腕にしがみついて、貧相な胸をぎゅうぎゅうと押し付けた。
胸よりも腹に手が当たった気がするけど、気にしたら負けだ。
そして仕上げは、上目遣いで困った顔。
……どうだ、おっさん、俺に悩殺されろっ!
「いやだわ、パパ。私の名前を忘れたの?」
「パ、パパだと?」
「ねぇ、パパ。私の名前、しっかり思い出してね? 思い出せたらパパのほっぺにチューしてあげる!」
「黙れ! お前の名前はマイラグランだ! どうだ、あっているだろ!」
「ちっ。覚えていたのかよ」
腕を振り払われた俺が舌打ちすると、おっさんは拳骨をぐりぐりと頭に押し付けた。
地味に痛い。
それに俺のさらさらの青い髪がぐちゃぐちゃに乱れてしまったじゃないか!
必死に抵抗しようとしていると、イケメン魔人のハリューズ様がふわりと座った。
おっさんの腕を掴んだ姿で動きを止めて目を向けると、イケメンすぎる魔人様は美しい姿勢で生真面目な顔をしていた。
「キルバイン。それからそのドラゴンの呪い持ち……マイラグランと言ったか。お前たちを見ていて思ったのだがな」
「はい?」
「隠し子設定は全く説得力がないな。パパなどと言っても、スケベ親父と若い愛人にしか見えないぞ」
「えっ、それはちょっとナシだろっ!」
反射的に俺は言い返した。
でも、聞いた瞬間はとんでもないと思ったんだけど、意外にはまっている気がしてきた。
俺はピチピチに若いし、エロくはないけど美少女だもんな。今まで通りに普通に接していたら、愛人がベタベタしているみたいだって美老女な領主様も言っていた。
でも、おっさんは反論もしないで黙り込み、俺の頭からも拳骨を離してしまった。
……もしかして、スケベ親父と言われたことがショックだったのか?
俺から見たら年齢的におっさんだし、男ならスケべなのは当たり前だ。巨乳好きのスケベ親父って、別に普通だと思うんだけどな。
それでもショックだっていうんなら、おっさんも難しいお年頃なんだな。
パパがだめなら……俺が美少女なのは変えようもないから「お父様」路線とかどうだ? それともお兄様と妹か?
その路線で行くなら、漢らしく兄貴だよな!
……とか思ったけど、おっさんの外見でアニキは洒落にならない。ガチのホモっぽくなるからダメだろう。と言うか、変な事を想像して俺がイヤだ。
俺の年齢的にギリギリだけど、ここは「お兄ちゃま」って呼んでやるかな。見た目は絶世の美少女だし、三十男でもお兄ちゃまって言われたら嬉しいはず……!
……ん、いやだめだ。
おっさんは確か年増好きだわ。
おっさんを少しでも助けてやろうと、俺はかなり真剣に考えたんだ。
でも肝心なおっさんが、悲壮な顔をして首を振ってしまった。
「おっさん?」
「もう何でもいい……どうせ俺はおっさんだよ……」
俺が顔をのぞき込むと、おっさんはため息といっしょにそんな事をつぶやいた。
え? マジか?
おいおい、おっさんって実はメンタル弱いんじゃね?
でも残念だな。生まれて初めて父親とか兄貴とかができそうだったんだけど……まあいいか。どうせおっさんの事は「おっさん」としか思えなかったからな!