(13)かなり絶体絶命
たまには浮かれるのも結構!
でも、油断大敵!
男の親切には裏がある!
元気だった頃の母さんは、いい笑顔でそう言っていた。今となっては、あれは未来の予見だったんじゃないかって思うよ。
だって、この状況はまさに、なぁ……。
神妙に後悔しながら、俺はそっと上目遣いで見回した。
なぜか俺は薄暗い裏通りにいる。それも狭い路地に追い込まれて、嫌な笑いを浮かべた男どもに囲まれていた。
いや、ほら、愛想のいいお兄さんたちが笑顔で近寄ってきて、荷物を持ってくれたんだよ。で、なんか楽しく話している間に自然な流れで裏通りに連れ込まれていた。
あれ? あれ? なんかおかしくね? って思っている間にこれだもん。お兄さんたち、マジで手慣れているね!
……俺も、男として十六年間生きてきた。
で、一応わかってはいるんだよ。こういうところに追い込まれた女の子が、どんな目に遭うかってことくらい。
これから美味しいお菓子をもらって、みんなでかわいい雑貨を見て回って、きれいな服をたくさん見ていっぱい買ってもらって、山のような買い物の箱も持ってくれる……なんてことは絶対にない。
もっと即物的で、ケダモノ的な展開しかないよな?
「えっと、俺、そろそろおうちに帰りたいんだけど」
俺はできるだけ子供っぽく言ってみた。
思ったよりガキだったと思ってくれたら、解放してくれないかなぁと……まあ期待はしていないけどね。
でも頑張って「おうち」なんて言ったぞ。俺のキャラじゃないのに!
と言うか、この場合のおうちって美老女様のお屋敷なのか? おうちって規模じゃないし図々しいか。
敢えて言うなら、おっさんの部屋?
……いや、それもなんか違う。
俺が密かに葛藤していたら、何を誤解したのか、一番近くにいた男がゲラゲラ笑いやがった。
せっかくイケメン風なのに、その笑い顔は大減点だな。
口ひん曲げて、奥歯まで丸出しにして最悪だよ。
自分では男らしいと思っているかもしれないけど、女の子ってやっぱり爽やかな笑顔が好きなんだぜ?
「心配すんなよ。用事がすんだらいい所に連れて行ってやるよ。きれいな姐ちゃんたちがいっぱいいるお店がおすすめだ」
「わあ、うれしい! ……ってわけないよなぁ。無垢なカラダをこの人数で弄ばれた挙句に、売春宿に売られちゃうってパターンだよな? いや、うん、俺の保護者が心配すると思うから、できればやっぱりおうちに帰りたいんですけど」
「へへ、安心していいぜ。俺たちがきちんと送ってやるよ。上玉を高く買ってくれる店にな!」
「あー……やっぱりそういう方向、ですよねー……」
品性の欠片もない笑顔の男たちの中で、俺もなんとなく笑顔を作っていた。
でも、もちろん顔が引きつっている。
うん、やばいね。
全然安心できないよね。
これ、いわゆる貞操の危機ってやつだろ?
……俺も男だったから、ぶっちゃけエロいことには興味ある。
だからと言って、貞操を失う側になりたいかって言われると、絶対に嫌なわけで。
まず、知らない人に触られるのが気持ち悪い。
相手が可愛い女の子じゃない時点で、俺の脳ミソが拒絶する。
しかも下品そのもののあいつらに触られて、俺が知らない未知のあれやこれやをされて、アンアンヒィヒィ泣いちゃったり……はしたくない、できない、絶対に無理!
つか、野郎のブツを拝んでも俺は少しも嬉しくないしっ!
いや待てよ、俺って上玉なんだろ?
だったら味見しないで清らかなまま売る方が高く売れるんでは……なんて思いついても、それを俺が提案したらダメだよな。
ドラゴンと遭遇した強烈な悪運を持つ俺としては、下手に藪をつつくのは怖すぎる。
「顔は極上だぞ。でも髪の色はわかんねぇよ」
「金髪かプラチナブロンドなら高く売れるんだが、ちょっと違うようだな」
「胸は全然ないか。ま、こんだけの上玉なら余裕で需要がある」
「変な格好をしているから、髪も体つきもよく見えねぇや。おい、誰かお嬢ちゃんの頭の被り物をとってやれよ」
一人の男の手が伸びてきた。
慌てた俺は、頭に巻きつけた布をぎゅっと両手でおさえた。
この手慣れた男どもが俺に声をかけてきたのは、俺がいかにも田舎出身風の美少女様だからだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
目立ち過ぎる青色の髪のせいじゃない。お屋敷を出る時にきっちり頭に巻きつけた被り物を取れば、男どもは俺の美貌に見惚れるより、尋常ではない鮮やかな青い色に度肝を抜かすだろう。
問題は、その後だ。
普通の絶世の美少女と、ドラゴンの呪いの痕跡が明らかな絶世の美少女、どっちがマシな未来が待ってるか。
もし男どもがドラゴンの呪いに詳しかったら、好事家に売っぱらうためにこの場では手を出さないでいてくれるかもしれない。でも当面の安全は保証される代わりに、どこかのお貴族様の奥座敷に閉じ込められる可能性が大きいわけで。
余裕の貞操の危機だけど、探し出してもらいやすい場所にいる方がマシかも?って話になる。
くそっ、俺が男のままだったら!
こんな都会の男どもに囲まれても、牧場で鍛えた筋力と瞬発力で逃げきれたのに!
……あ、でも男だったら声をかけられたり、巧妙に裏通りに連れ込まれることはなかったか。
せいぜい財布をすられるとか、憂さ晴らしにボコボコに殴られて終わりだ。……うわ、それはそれでイヤだな。
青ざめながらふと考えていたら、俺の被り物をつかまれていた。
俺も両手で押さえたけど、頭を隠していた布は少しずれたと思う。俺の視界に青い髪の毛がパラリと落ちてきた。
しまった! 今の、見られたか?
俺は焦りながら男の手を払いのけた。予想外の変な色を見たせいか、男の手は思ったより簡単に外れてくれた。でもその男は、眉をひそめながらさらに手を伸ばそうとしてきた。
その時。
遠くから、何かが来るのが見えた。
建物と建物の間から見える空の高いところから、矢のように飛んでくる。でも矢じゃない。形があると感じたのに、物理的な形を持っていなかった。
あえて言うんなら、光だ。
矢のような光は、瞬きをする間に俺の目の前まで飛んできた。
そして俺を取り囲む男たちの隙間を通り抜け、手入れの悪い穴だらけの地面に当たった。光は柔らかいものに対するように深々と刺さっていた。
「な、なんだ……?」
俺は自分の状況を忘れ、つぶやいた。
それに気づいた男たちが、地面を見ている俺を見て変な顔をした。……その次の瞬間、男たちが突然吹き飛んだ。
一瞬宙に浮かんだ男たちは、すぐに地面に叩きつけられていた。
まるで激流の中の小石のように土の上を転がり滑っていく。腕のようなものがちぎれ飛び、真っ赤なものが噴き上がった。
呆然と見ていた俺は、すべての音が消えていることに気付いた。
いや、音はしているはずだ。
地面に叩きつけられる音、肉がちぎれる音、骨が折れたり粉砕される音。たくさんいた男たちの悲鳴やうめき声だって、聞こえないはずがない。
なのに、音がない。
起こっているはずの音が、俺には何も聞こえなかった。
密集した建物の隙間から、青い空が見える。
真昼間の光は、時折雲によってかげりながら足元にしっかりと影を作っていた。
上を見上げれば、裏通りの住人たちの洗濯物が風に揺れているし、男たちの背後にちらっと見える大通りは今もたくさんの人が行き来しているはずだ。
そんなごく普通の日常の中で、噴き上がった血が古びた建物の壁にかかり、赤いあとを残しながら流れ落ちていく。
明るい陽光が照らす地面には、原型を失うほど千切れた四肢が転がっていた。命を失ったばかりの人間の体が、ただの無数の塊となって裏通りに落ちていた。
風の音も大通りの喧騒も聞こえない中で、俺は一人立っていた。
張り付くように壁に背中をくっつけているから、レンガの凹凸が背中に当たっていたけど、その痛みはあまり気にならなかった。
……ああ、そう言えば音だけじゃなくて、臭いもない。
えぐれた土の臭いも、裏通りのドブの臭いも、当たり一面に広がった血の臭いも、まき散らされた臓物の臭いも、俺には何も感じられなかった。
現実離れした無音、無臭の中、俺は目の前の惨状を見ていた。
俺の足のすぐ近くまで赤黒い液体が流れてきたけど、何かに阻まれるように逸れていった。
足元だけじゃない。人間が破裂すれば近くにいた俺も血まみれになるはずなのに、俺には一滴もかかっていなかった。
わずかに動かせた視界の端に、少し離れた路地の角に生じた真っ赤な色が見えた。
離れているのに、あんなところまで飛び散ったんだろうか。それとも逃げようとしたのに逃げ切れなかったのか。
この場にいったい何人がいたんだろう。……いったい何人が肉片になってしまったんだろう。
ガチガチ、ガチガチ、とうるさい音が聞こえる。
それは俺の歯の音だと気付いたけど、震えは抑えられなかった。
震えながら、俺はふと上を見た。
体は完全に強張って動かなかったけど、目だけはかろうじて動いた。
「……あ……」
建物の隙間から見える青い空から、何かがふわりとおりてきた。
光を拒むように黒いものが、ばさりと広がった。
まるでドラゴンの翼のようだったけど、よく見るとそれは厚手の布でできた外套だった。魔導師が着るような、全身をすっぽり覆い込む形をしている。
その外套が緩やかに身に沿うように閉じていき、黒い靴先が地面に触れる。その時初めて、小石と土を踏む音がした。
空中から降りてきたのは、背が高くて細身の男だった。
身につけているものは全てが黒い。外套もその下の服も靴も黒い。ついでに髪まで黒かった。全身黒尽くめの男は、俺の前に立つと乱暴な手つきで俺を上向かせた。
顎を掴まれて痛い。でもそれを訴える気力はなかった。
足が震えてきた。
目の前の男がとんでもない魔力を持っているとなぜかわかった。そのせいかどうかわからないけど、俺は無性に怖かった。
「ドラゴンの呪い持ちだな?」
そう聞かれたけど、俺は答えられなかった。
うなずくこともできない。目をそらす事さえできなかった。
こんな血まみれの路地にいるのに、足元の人間だったものに何の感慨も示さない男が恐い。
足の震えが全身に広がる中、俺は無理矢理に上向かされた姿で男を見ていた。
その時、誰かが走ってくる音が聞こえた。
ボウズとか叫んでいる声も聞こえたから、たぶんおっさんだ。
聞き慣れた声に、俺は不覚にも少しほっとした。
そのせいか、目の前の黒い男の顔立ちが馬鹿馬鹿しいほど整っていることに突然気づいた。
俺も絶世の美少女だし、それなりにきれいな人は見てきたつもりだ。でも黒い男はそんなレベルじゃなかった。
目、鼻、口、顔の輪郭、耳、首。
全ての造形が完璧だ。職人が何十年もかけて位置を絞り込んでいったようにバランスも完璧だ。
肌なんかは若く見えるけど、どう考えても若造ではあり得ないような圧倒的な雰囲気がある。
とにかく、人間離れしているとしか言いようのない美貌で。
俺を見下ろす目は、まぶしいほどの金色だった。
この世にはいろんな目の色の人間がいる。
俺の生まれ育った田舎では茶色の目が一般的だったけど、ダライズの街では緑色の目が多いようだ。
でも、各地でいろいろな目の色の人種がいるけど、金色の目を持つのはある一族にしか存在しないはずだ。学のない俺だけど、そのくらいは知っている。
いや、一族というくくりでいいのかな。
肉体的には人間だ。でも人外の美貌と魔力を持った、果てしなく魔族に近い人間。先天的に強大な魔力を持ち合わせ、鮮やかな金色の目が特徴の希少な種族。
すげぇ……もう大昔の伝説の中にしかいないと思ってたよ!
「……魔人族っていたのか……!」
「魔人族など、混血が進んで見えにくくなっているだけで別に珍しくはないぞ。ドラゴンの呪いの色を持つおまえの方が希少だ」
とんでもないイケメンは、俺を見つめながら薄く笑った。
唇の端がすうっとつり上がっている。邪悪一歩手前の表情なのに、背筋に震えが来るほどきれいだ。
文句なしの、恐ろしいくらいのイケメンだった。