(12)大都会で散策
俺には父親がいない。
都会に出稼ぎに出ていた母さんが村に戻って来た時、俺が腹にいたらしい。
その頃すでに両親を亡くしていた母さんは一人で俺を生み、何も語らないまま十年前に死んでしまった。
当時は悲しくて寂しいばっかりだったけど、今思うと母さんって、超がつく美人なくせに頑固な人だったんだな。もっと気楽に不幸自慢して、気のいい男を捕まえていればよかったんだよ。
残された俺には身寄りは全くいなかったけど、牧場の親方の厚意で生き延びてきた。
親方はマジでいい人だったから、仕事は重労働だけどいい生活をさせてもらったと思う。だから全体としてはぬるい人生だ。
異国の風の神様の名前をもらったと自慢に思っていたら、実はその名前は女神様の名前だったとか、そんなことは生易しい。
ただの女神様じゃなくて、若い男を食いまくるビッチな女神様だったと知った時はどうしようかと思ったけど、まあどうせ誰もそんな真相は知らないからな。
響きが個性的でカッコいい名前って事だけでいいんだよ。
……うん、だから全然気にしていないよ。
気にしてないけど、ニヤけながらチラチラ見られたりするとイラつくんだよ、おっさん!
「……ということでいいですね? ……マイラグラン? 私の話は聞いていましたか?」
「えっ、あ、はいっ、聞いてます!」
「何だか頼りないからもう一度言いましょう。今日は私はもちろん、キルバインも外出しますから、一人で留守番になりますからね」
「……キルバイン……ああ、おっさんか。はい、わかりました」
俺は素直にうなずいた。
朝早くからいつもの居間に女領主様をお迎えして、俺は緊張してる。
気を抜くと膝を広げてしまいそうになるのを気力で閉じて、背筋を伸ばして座っている。
俺の青くて長い髪は、若いメイドさんたちがきれいに編み込みをしてくれたから、身なりは完璧だ。化粧とスカートを拒否するくらいは、多分問題はない。
おっさんの名前を聞き慣れなくてちょっと考え込んだけど、これも許容範囲だろう。
女領主様の前って、いつも緊張するんだよな。
だから何とか無難に対応できてホッとしているのに、おっさんは珍しくきれいに剃った顎を撫でながらニヤつきやがった。
「お前、やっぱり聞いてなかったじゃねぇか」
「ああ? おっさんがニヤニヤしているから、ちょっと気を取られただけだよ。俺の名前を聞くたびにニヤけるのは止めてくれ」
「ニヤけてねぇよ。いい響きの名前だなって思っただけだぞ」
「……ビッチな女神様の名前だけどな」
「…………ブハッ!」
「ほら、やっぱり笑ってるじゃないか!」
俺はおっさんをにらんだ。
自分だって「コガネムシのおっさん」としか言いようのない無精ヒゲのオヤジのくせに、キルバインなんてスカした名前だろ。
人の名前を聞いて、派手に吹き出してる場合じゃないぞ。
……とか言う俺も、美老女な女領主様が「キルバイン」と言った瞬間に笑いそうになったのは内緒だ。
ついでに言うと、外出するからとヒゲをきれいに剃った顔を見た瞬間、俺はおっさんを指差して笑ってしまった。
あれは悪かったと思っている。
だけど、もう俺は反省なんてしない。
おっさんのニヤけ顔に腹が立ってるんだ。無精ヒゲがなくなって無駄にイケメンなところも腹が立つ。外出なんて言ってるけど、やっぱり女か? 用事って女なのか?
そりゃあ、俺はもう放置されて泣き出すほどガキじゃないけど。慣れない環境に置かれた美少女様が不安になってしまうとか思わないのかよ!
……まあ実際、俺は一人になっても気楽にのんびりするんだけどな。
でも腹が立ったから、憂さ晴らしをすることにした。
いわゆる無断外出ってやつだ。
美老女様を玄関までお見送りに行き、ベッドに転がったまま呆れ顔のおっさんを送り出して。メイドさんたちがいなくなった時間を狙って、こっそり窓から外に出てやったぜ!
俺は田舎育ちの純粋な庶民だ。
だから領主様のお屋敷に居候して、新しい服を買ってもらって、上質の食べ物を与えられて、なんて恵まれ過ぎた環境にいると、貧乏性な俺としては退屈してしまう。
……いや、本当はかわいいメイドさんたちにお世話してもらうのに慣れないっていうか、衣装とか髪型とかを寄ってたかって整えてもらうのはいたたまれないっていうか。
正直言ってしまうと、若い女の子というものに慣れていないから落ち着かないんだ……。
むさ苦しいお兄さんとか、暑苦しいおじさんとか、たくましいおばさんに囲まれるのは慣れてるんだけどなぁ。あと、動物な。
だからこっそり脱走した俺は、一人での大都会を満喫している。
で、もちろん田舎者らしく、あっという間に道に迷った。
いや、俺も一応思慮ってものがあるから、来た道がわからなくならないように目印を探したりしながら歩いていたんだよ。
でも人は多いし、店はいっぱいだし、いい匂いにつられたり、馬車を避けたり、人混みに流されたりしているうちに方向がわからなくなっていた。
「……えーっと、ここはどこだ?」
市場のような通りで突っ立ち、俺は一人でつぶやいた。
始めに歩いていた通りではないのは確かだ。領主様のお屋敷があるだけあって、道幅が広いわりに人の数は多くなかったもんな。
それが今は、まっすぐ歩けないくらいの人、人、人。
簡単な布製の屋根を張っただけの店が向こうからあちらまでずらっと並んでいる。
どうやら、俺が立ち尽くしている辺りは日用品の店が集まっているようだ。目の前は服屋が十軒近く並んでいる。俺がおっさんに買ってもらったような既製服が、男物、女物、子供物とそれぞれ分かれて売られていた。
もちろん仕立てる前の布地を売っている店もその横に並んでいて、こちらは通りのずっと先まで続いていた。
俺のいた村は親方のデカい牧場があったせいか、田舎には珍しく独身向けにお手軽な既製服を売っている店があったし、女手のある家向けに布だけ売っている店もあった。
だから服が並んでいる光景は何度か見ているんだけど、俺の知っている服とか布じゃない。
何がこんなに違うんだろうって見ていたら、色が違うと気がついた。
ここでは色が多いんだよ。
青、赤、黄、緑、白、黒。
色の種類はそんなもんだけど、青なら薄いのから濃いのまであるし、緑に近い青とか紫に近い青もある。全ての色がそんな感じで、たぶん店が違えば同じ布地から作った服はほとんどないんだ。
そうか、これが大都会なんだな。
田舎は人口も少ないから、運ばれてくる布地の数が少ないんだ。
だから村の人たちはだいたい同じ色の布地から作った服を着ていて、それを手先の器用な女の人たちが刺繍をしたりパッチワークをしたりして個性的な服を仕立て上げていた。
でも、ここでは布地の数が多い。
いろんな産地から運ばれてきたいろんな布があり、いろんな染め方をしていて、それをたくさんの仕立て屋さんが服に仕立てている。
大都会って、マジですごいんだな!
「お嬢ちゃん、いい服があるよ。見ていかないかい?」
「おいおい、こんな別嬪さんに垢抜けない既製服なんて合わんぞ。この布を見てみろよ。お値段は控えめだがお嬢ちゃんのきれいな肌によく映る上モノだぞ!」
あんまり色あいがきれいだから、つい足を止めてぼーっと見ていたら、お店のおじさんやお兄さんが商品のアピールを始めてしまった。
ご、ごめんなさい。俺、完全な冷やかし客だよ。
今日の俺は服を買うほどお金持ってないし、おっさんにいっぱい買ってもらったばっかりだから欲しいとも思ってないんだ。
「えーっと、その、今日は買うつもりはないんだ。ごめん」
「じゃあ、このリボンを持って行きな。サービスだ」
「おい、抜け駆けはするなよ。うちのリボンも持っていけよ。この端の織模様がうちの店の目印だからな!」
買わないとお断りしたはずなのに、別の通りにたどり着くまでに何本ものリボンを押し付けられていた。
領主様のお屋敷にあった物に比べると庶民向けのお手頃価格だと思うけど、どれもきれいな色で見ているだけでわくわくする。
それによく見ると、それぞれのリボンの端に全部違う織模様や刺繍が入っていた。
「こんなにいっぱい……いいのかな」
靴屋が集まった区画でやっと休憩できるベンチを見つけて、そこで一息つきながらつぶやいたら、すぐ近くにいたかわいい女の子たちがいきなり近寄ってきた。
「ねぇねぇ、リボン、いっぱい持ってるのね。どこで買ったの?」
「え? ああ、これは向こうの服屋さんの通りで……」
「あ、これカワイイ! 新色ね!」
「この色とってもキレイ! どこのお店かしら……あ、二重太線のお店ね」
「こっちの丸二つも織り糸の組み合わせが好き! 私も見に行ってみようかな」
「見せてくれてありがとう! これ食べてね!」
俺がオドオドしている間に、かわいい女の子たちはとても楽しそうに俺がもらったリボンを見て、端の模様を確認して、おしゃべりしながらつまんでいた焼き栗を一掴み分くれた。
……俺、メイドさん以外の女の子と初めて話したかも。
焼き栗までもらっちゃった。しかも、何個かは女の子たちが皮をむいてくれて口に入れてもらったよ。何だこのハーレム的幸せはっ! 見た目は女同士だけど、俺男だしっ!
はぁ……なんか、嵐みたいだったな。
しかも、みんな目をキラキラさせていてかわいかったなぁ。
胸が大きくてふわふわしていて、オシャレ大好きっぽくて、女の子ってあんな感じなんだなぁ……。
俺がぼーっと思い出していると、また別の女の子の集団がやってきて、同じようにリボンを見て、今度は小さなリンゴパイをもらった。
どうやら向こうの角のあたりにある有名なお店で売っているらしい。
一個が手のひらよりも小さいし、美味しいし、メイドさんたちへのお土産にいいかも。
で、大都会に不慣れな俺もやっと理解してきた。
服屋さんたちがただでくれたリボンって、それぞれのお店のマークが入っている。で、俺が大量に持っているから人目を集めて、それで宣伝効果があったんだ。
なるほどね。
俺、絶世の美少女だもんな。
目立ちすぎる青い髪は頭巾で隠しているけど、十分すぎるくらいに目立っているようだ。
どのくらい目立っているかっていうと、俺がきょろきょろしているだけでみんなが親切におすすめの店を教えてくれるくらいだ。
正直に道に迷ったって言ったら、警備隊のお兄さんたちを連れてきてくれたおばちゃんもありがとう。
他にもいっぱい視線を感じていたけど、警備隊のお兄さんたちがやってきたらほとんどが消えていた。なんだ、後ろ暗い人たちにターゲットにされていただけか。危なかった。
警備隊のお兄さんたちも、とても親切だった。
心細そうに「迷っちゃいました……」って言っても、いい年してるくせに迷子なんかなるなよ、なんて笑われることもなかった。
反対に心細かっただろ?とかなぐさめられてしまった。
その上、途中の目印もろくに覚えていないとわかると、根気強く熱心に道を教えてくれて、最後には地図まで描いてくれ始めた。
いい人たちでよかった!
……待っている間に警備隊のかっこいい装備をじっと見ていたら、お兄さんたちの態度は急におかしくなったけどな。視線をさまよわせたり、何もないところでつまずいたり、ふわりと壁にぶち当たったりするんだぜ。
大丈夫かよ、警備隊さん。
そりゃあ俺は絶世の美少女だけど、こんなに簡単に惑わされたのなら大都会の治安が不安になるぞ。
でも、美少女様ってやっぱりすごい。
お店で買い物すると色々おまけしてもらえるし、お店の前で搾りたてのジュースを飲んでいたら同じものがやたらに売れまくってたみたいだし。
おまけにつられてついうっかりいろいろ買ってしまって、多くなった荷物を抱えてふーふー息を切らせていたら、やけに愛想のいいニヤけたお兄ちゃんたちが声を掛けてきて全部持ってくれたし。
美少女人生、最高!
……まあ、ちょっと油断は大敵だけどな。