(11)三つの選択肢
俺たちがそれぞれ青ざめている中、威厳あふれるご領主様は寛大にもそこに触れずにいてくれるようだ。かわりに、俺をまっすぐに見据えた。
「その髪の青い色……そなたがドラゴンの呪いを受けたと言う人ですね?」
「は、はい!」
「お名前は、何というのかしら?」
「マイラグランです!」
「……そんな名前だったのか」
少し立ち直ったおっさんがぼそりとつぶやいたけど、俺は聞こえないふりをしてやった。
まあ、たぶん俺の名前は知らないだろうと思っていたから驚いたりしないよ? おっさん、俺のことはボウズとしか呼んでいなかったし。
ピッチピチの超絶美少女をボウズ呼ばわりのままとか、普通に考えればおかしいよな。美少女に対する冒涜だ。
……とか言いつつ、俺も実はおっさんの名前を知らなかったりする。いい勝負だな。
だって、おっさんはおっさんだし。
俺がもっとガキだったころからずっと「おっさん」って呼んできたから、他の呼び方をすると考えると変な感じがするんだよね。
おっさんだらけのところでなら「コガネムシのおっさん」って呼べばいい。コガネムシなんて変な通り名をつける人は、たぶん他にはいないもんな。
あれ? そう言えば、どうして「コガネムシ」なんだろう。実はおっさん、あの年で昆虫が大好きなのか? それともただセンスが悪いだけ?
そのうち、酒が入って機嫌が良さそうな時に聞いてみるかな。
一方、美老女様は美しい姿勢のまま、おっさんに目を向けた。どうやらおっさんのつぶやきを聞き取っているようだ。何歳ぐらいなのかよくわからないけど、耳は全く悪くないらしい。
ご領主様の常識では、同室に住まわせるくらいの相手の名前くらいは知っておくのが普通のようだ。常識はずれの愚か者を見る目だから、とにかく視線が冷たい。
でも美老女様は、他に何かが引っかかったように眉を動かした。俺をじっくりと見つめ、首を傾げながらゆっくりと口を開いた。
「マイラグランとは、ずいぶん派手なお名前ね。でもこの青い子は、元は男だったと聞いていたけれど違ったのかしら?」
「こいつは間違いなく男でしたよ。真っ黒に日焼けした、体の丈夫な働き者でした」
「そう。でもその口ぶりでは、あなたも気づいていないようね。教養の範囲と思っていたけど、あなたは学問は嫌いだったようですね」
「えっ? 学問は、まあ、それなりですよ。はははは……」
「全然駄目だったのね。全く情けない。父君の家名が泣きますよ。筋肉だけでなく、たまには脳も鍛えなさい。……青いあなたも聞きなさい。いいですか。マイラグランというのは、東方の国の神話に出てきます。美しい女神の名前として」
へぇ、珍しい響きだとは思っていたけど、異国の神話から取ったのかぁ……って、え?
美老女な領主様は、今、なんとおっしゃいましたか?
聞き間違いじゃなければ「女神」って言った? 美しい女神の名前って言ったよな?
えっ、つまり、もしかしてまさか……!
「ええっ! 俺の名前って、女名だったのかよ!」
「そうですよ。でも、若い女性がその話し方ではいけませんね」
美老女様はぴしりと言う。
身を乗り出しかけていた俺は、慌てて背筋を伸ばした。
その隣で、黙り込んだおっさんがばりばりと髪をかき乱していた。
王国第三の大都市の領主様は、結論から言えばその地位に相応しい非常に厳しい人だった。
話があるから俺も同席しろと言われ、ならばと椅子に座ろうとすると、そこで最初の指導が入った。
「その座り方はなんですか。足も美しく揃えなさい」
「背筋を伸ばしなさい。人前で髪を触らない。あなたの育った場所では、髪を触る仕草に発情する男性はいなかったのですか?」
「やたらに手を動かさない。動けば自然に目が行くものです。男性の気を引いていると思わせたいのなら別ですが」
……さすがご領主様。容赦ないな。
なんかいろいろ、庶民の元男にはいろいろハードルが高かった。
足を閉じて座った事ないから足はつりそうだし、ぐぎっと頭の位置を修正されて首は痛いし、笑顔を強要されて顔は引きつるし、俺はもうだめかもしれない。
なのに隣に座っているおっさんは、美老女様がぴしりと言うたびに頷いている。なんで助けてくれないんだよ。俺は二週間前まで男だったんだよ!
恨めしげにおっさんを睨んだら、また美老女様の叱責が飛んできた。
「その男に頼りすぎるのも考え物ですよ。あなたがその男の妻になりたいのなら話は別ですが」
「妻って、俺は男だよ!」
「その言葉遣いは何ですか。今のあなたは、どう見ても女性ですよ。年頃の女性が、血縁のない成人男性にべったりの姿を見れば、実情はともかく、周囲はあなたをその男の愛人か妻と思うでしょうね」
「まだ隠し子の方があり得るだろ! ……じゃなくて……あり得ますよ!」
俺は頭が混乱しそうだ。
なのに美老女様は、こともあろうに俺のとっさの思いつきを何度も何度もつぶやいていた。
「ふむ、隠し子ですか……。隠し子とはいい考えね。キルバイン、その子はあなたの隠し子と言うことにしておきなさい」
「いやさすがに、三十二歳の俺が十六歳の子供ってどうかと思いますが」
「あら、その子は十六歳なの? でももう少し若く見えるから、その子の年齢を十五歳にしてもいいわね。そうしなさい。ついでに養女にしてしまいましょう。あなたは結婚する気がないようだから、問題はないでしょう? あなたが巻き込んでしまったのなら、貴重な恩寵持ちは身を呈して保護しなさい」
「……保護するのはやぶさかではありませんが、養女の件は少し考えさせてください」
おっさんは顔を引きつらせていた。
そんなおっさんを見上げ、俺はそっと袖を引っ張った。
「……おっさん、おっさん」
「ん? どうした?」
「なあ、キルバインって誰?」
「今の流れなら、当然俺だとわかるよな?」
「じゃあさ、おっさんってまさか三十二歳なのかよ?」
「……念のため聞いておくが、どの辺りが『まさか』なんだ?」
「思っていたより若いよ!」
「見たまんまだろうが! これだからガキは!」
俺とおっさんが睨み合っていると、美老女様が唐突におほほと笑った。
びっくりして美老女様を振り返った。
おっさんも目を丸くしていた。
美老女様はすっと立ち上がり、呆然とまだ座ったままの俺たちを冷ややかに見下ろした。
「あなた方、本当に親子なのではないの? キルバイン、心当たりはいくらでもあるでしょう?」
「十五とか十六の頃は、こいつの村には行っていませんよ!」
「あ、俺の母さん、出稼ぎ中に孕んで帰ってきたんだよな。大都市だったとしか聞いていないけど」
「ほら、やっぱり」
「違いますよ! その頃の俺は、生真面目な堅物だったのを知っているでしょう!」
「真実などどうでもいいのです。あり得るか否かです。秘密の妻にするか、養女にするか、どちらでもいいのよ。保護する口実がそれらしければいいのですから。ドラゴンの呪い持ちの若い娘を保護するとなると、隠し子でしたというのは悪くない口実です」
俺はどういう意味かと首を傾げた。
一方、おっさんは黒髪をバリバリとかきむしり、盛大にため息をついてから俺を見下ろした。
「あー、つまりだな、さっきの話に繋がるんだよ」
「さっきのって何?」
「いいか? お前はドラゴンの呪いを受けたが、生き残っている。性は変化しているものの、五体満足の健康体だ」
「うん、そうだね」
「ここまで元気な被呪者は珍しいんだ。普通に興味を持たれる。その上、お前は珍妙……いや類を見ない青い髪になっているし、容姿も悪くない」
おっさん、今、珍妙って言っただろ。
天下の美少女様におかしな形容をしないでくれ。
珍獣じゃないだけマシなのか? あとな、俺の容姿は悪くないどころか、超絶美少女様だよ。余裕の貧乳だけどな!
俺は心の中でそう訂正する。でもおっさんと美老女領主様の顔が真面目だったから、おとなしくおっさんの言葉の続きを待った。
「ボウズも男だったからわかるだろう? 希少な美少女を、ただおとなしく観察するか? 毛色の変わった愛人ならまだいい。若く健康なら、どんな子を生むかって方向に行くのがこわいんだよ」
「あー、えっと、俺、狙われちゃう?」
「保護者がしっかりしていれば少しはましになるはずだ。俺の愛人と、幼妻と、隠し子、どれがいい?」
「……えっ、何、その三択」
俺はドン引きしたのに、美老女な女領主様は生真面目な顔で補足し始めた。
「私のオススメは隠し子です。名目上の縁組だけでも効果はあります。でも一生分をまとめて考えると、キルバインの正妻になってしまうのが一番安定しているかもしれませんね。一生をこの男に縛られたくないのなら、気楽な一時的な庇護として愛人でも悪くないでしょう。ただし愛人の場合は、第二第三の庇護者候補が押しかけてくる危険もあるかしら。さあ、選びなさい」
「……えっと……」
言葉を失った俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
美老女様の顔はとても真剣で、冗談を言っているようには見えない。とすれば、ガチの本気だ。本気で俺に選べと言っているのだろう。
え、マジで?
二週間前までの俺は、本当に男だったよ?
……愛人とか正妻とか、聞きなれない単語が並び過ぎて頭が死にそう。あー、ふかふかベッドに倒れ込みたい。
でも美老女様は、俺の思考の逃避すら許してくれないようだ。
鋭い眼光に見つめられ、俺はヘラッと引きつった笑顔を浮かべていた。
「あの……オススメの隠し子でお願いします」
女の子になって間もない俺だから、他の選択肢の場合の未来を思い描けなかった。
正妻って奥さんだよな? おっさんが「俺の愛人」なんて言うと、無駄に現実味があっていやすぎる。
と言うか、おっさん! 幼妻ってなんだよ幼妻って!
ゾワッときたよ!
もしかして笑うところだったのかよ! 冗談なら冗談らしく分かりやすく言ってくれよっ!
おっさんの言葉の選び方って、時々ぶっ飛んでいるよっ!
とにかく三択から一つを選んだ俺は、十六歳にして父親を持つことになりそうだ。
父親だよ?
うーん、なんだかこそばゆいな。
だって俺は父親ってものを知らないし、今まで一度もそんな立場の人はいなかった。親方がそれに近かったけど、俺だけの父親代わりじゃなかったし。
だから、初めてのお父さんだ。そういう目でおっさんを見ると、急に父親っぽく見えてくるから不思議だ。
父親か……おっさんがなぁ……。
「……へへへ」
「何を笑っているんだ?」
「俺、母さんが死んで天涯孤独になってただろ? でも、便宜上の嘘でも、家族ができたんなら嬉しいな、と思って」
「……そうか」
俺がにやけながらそう言うと、おっさんはいかにも不機嫌そうだった顔をふっと改めた。
生真面目な表情は、おっさんの顔立ちのよさを引き立てる。でもなんで俺の頭を撫でているんだろうなぁ?
それに、ご領主様も妙に優しそうな顔で俺を見ている。
そうして並んでいると、美老女様とおっさんってちょっと似ている。顔立ちとか背の高い骨格とか。もしかしたら親類とかなのかもしれないな。
おっさんが父さんになるなら、美老女様とも親戚になるのかもしれない。大きな財布の遠縁のおばあさ……もとい金持ちの遠縁のおばさん。いい感じだ。厳しいところも親類っぽい。
いいな、悪くない。家族っぽいよ。
俺はこっそりと浮かれた。にやけそうになる顔をなんとか引き締める。でも全てお見通しのようで、ご領主様は俺にたっぷりとお菓子を用意してくれた。
悩むばかりじゃ何も進まねぇよな。まずは食べよう。うん、領主様のお菓子、最高に美味いっ!