(9)鏡よ鏡よ鏡さん
この世には、美少女という人種がいるらしい。
俺はしみじみと感動していた。
腰まである髪は真っ直ぐでサラサラのスルスル。
白くて華奢な腕と足はすんなりと伸びていて、小さな手にはピカピカの爪。
首は細く、頭は小さい。口もちょっと小さめで、鼻は心持ち上を向いているけれど絶妙の形で。
何と言っても、特徴的なのは大きな目だ。目尻が少しつり上がっていて、それが顔全体を小悪魔めいた印象にしている。女の子にしては気が強そうなところが蠱惑的でいい感じだ。
完璧だ。
胸がささやかすぎるのと、髪の色が人としてはあり得ない青色でなければ、逆恨みを買いそうなくらいに完璧だ。着ている服が男物であっても、この国なら働く女性にはよくあることだから馴染んでいる。
牧場で見慣れていた全体が丸っこいおばちゃんたちや、牧童に混じって男と同化していたデカイおねえちゃんたちとはまるで人種が違う。
いや、人種どころの違いじゃないな。同じ人類とも思えないレベル。
すげぇよ、まじで。
美人度で言えば、バズーナ姐さんに張るよな。色気がないけど、その分若くて可愛いから、男受けは圧勝すると思う。
……まあ、俺の事なんだけどね。
「あー、俺ってヤバイくらいに可愛いよなぁ」
鏡の前で俺がしみじみとつぶやくと、背後から野太いため息が聞こえた。
あれ、おっさんっていつからそこにいたんだ? 誰もいないと思って、鏡の前でうっとりしてしまったじゃないか。
小っ恥ずかしくなった俺は、鏡越しにおっさんを睨んだ。
「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ。おっさん」
「いや、あれだな。コレで中身がアレでなければ、あれなのになと思っただけだ」
おいおい、アレとかあれとか、いったいなんだよ。アレとかコレとかばかり言って、もうジジイになってしまったのか?
俺が人種「美少女」なのを認めてくれるのはいいけど、微妙に失礼なおっさんだよな。
だいたいだな、この外見で中身が俺だから、超絶小悪魔様なんだぞ?
軽くイラついた俺は、鏡の前で胸を張って髪をかきあげた。
今着ている服は、新しく買ってもらったものだ。もちろん着慣れた男物。店のおばちゃんは不満そうだったけど、男装する庶民の女の子ってわりといるから変な顔はされなかった。
ただお手軽な既製服だから、身長とか手足の長さにあった服を選ぶと、ちょっとぶかぶかだったりする。俺、全体的に細いし、絶望的に胸がないし。
でも、それが首の細さを引き立ててはいる。
だからこの格好で可愛らしくポーズを作ると、幼いのにちょっとエロい感じになる。ついでに、青くて長い髪を首の後ろを見せるようにかきあげたりなんかすると、かなりくると思うんだ。
俺はおっさんを肩越しに見上げながら、ニヤリと笑った。
「ほら、よく見ろよ。俺ってかなりイケてるだろ。こんな超絶美少女様の魅力がわからないなんて、おっさんって枯れてんじゃねぇの?」
「バカか。俺がお前みたいなガキに盛ったら、ほとんど犯罪じゃねぇか」
「ふーん。そんなこと言ってるけど、意識のない俺様の体を探ることはできなかったんだろ? ヤバイよなぁ、抑えがきかなくなりそうだったとか?」
「はぁ? あの時は俺も混乱していたんだよ。ちょっとしたことですぐに軽蔑してくるアイシスもいたし。いつもは仕事なら、ガキでも熟女でも、股ぐらを覗きこむくらい全く気にならねぇよ」
おっさんは髪をガシガシかきながら、またため息をついた。
さすがにもう聞き飽きたおっさんのため息を無視して、俺は鏡の中の美少女鑑賞を再開した。
今、俺たちはダライズという街にいる。
この国で第三位の大都市らしい。
田舎の牧場で働いていた庶民の俺にとっては、こんな場所があるのが信じられないほどの大都市だ。
大きな家がずっと向こうまで続いていて、大通りはいつ見ても人があふれている。市場には見たこともない野菜や果物が並び、きれいな店には恐ろしく高そうな物がこれでもかって勢いで並んでいる。
俺が目と口を大きく開けっ放しにしていると、おっさんは「王都はもっと大きくて人が多いぞ」と言って笑っていた。
いや、普通は驚くから。
庶民は生まれた場所しか知らないものだって知ってるだろ?
なぜ俺がここにいるかといえば、おっさんに連れられてきたからだ。
おっさん、すっかり責任を感じているらしくて、解決の手がかりが探すためにここに連れてきてくれたんだ。
確かに俺は、おっさんの注文があったから馬の配達に同行した。そしてあのドラゴンは、魔獣退治をしていたおっさんたちと遭遇したことでさらに攻撃的になっていたんだろう。
たまたまその場に居合わせてしまって、呪いの吐息を浴びせかけられた。つまり俺は巻き込まれただけなんだ。
でもだからと言って、おっさんを恨んでいるかと言えばそうでもない。ドラゴンなんて、天災と同じだもんな。
それに正直、こうして連れてきてもらって俺は助かっているんだ。
男のままなら一人でもぎりぎり生きていける。でも女になった上に青い髪なんて、まず元の生活には戻れないからね。
無力な女の子が無事に生きていけるほど、世の中は平和じゃない。
……でも、もっと言えば。
俺、親方とバズーナ姐さんの間に挟まれているのが居た堪れなかったんだ。
四十歳を越えたバツイチの親方と、二十代の半ばから後半の独身の姐さんだから、さっさとやる事やるか、勢いで押して押されて結婚するかしかないと思うんだよ。
もう硬い事を言っているお年頃じゃないだろ?
なのに、普段は「押して通るものなら押しまくれ!」な勢いのバズーナ姐さんが、片思い歴十年越えの内気な乙女みたいになっているし、親方は親方で、鈍いわけじゃないし憎からず思っているみたいなんだけど、姐さんの事は流しているようでもあってよくわからない。
姐さんから相談を受けるのはイヤじゃないけど、話が長くなりすぎるのは辛い。親方から「バズーナの様子がおかしいがどうしたんだ?」とか聞かれるのも困る。
そういう事情から、俺は牧場に戻ることなく、おっさんの厚意に甘えてここに来ている。居候ってわけだ。
で、俺が見とれていた巨大な鏡があるこの部屋は、大都市ダライズでのおっさんの定宿らしい。
当たり前だけど、同棲じゃないぞ。同衾だってしていない。
おっさんの定宿には、寝室は一人一部屋ずつあるんだ。贅沢だろ? それもでかいベッド付きなんだ!
俺がうっとりしながら見ている大きな鏡は居間にあるんだけど、その他に寝室が三つもある。その三つの寝室のうち、二つをおっさんと俺でそれぞれ使っている。残りの一つは荷物置き場だな。
で、俺に割り当てられたベッドなんだけど、これが三人で眠ることができるくらいにデカかった! 慎ましい庶民育ちで、長く牧場の住み込み従業員をしている俺には夢のような大きさだ。
その上、倒れ込むと一瞬体が沈み込んでしまうくらいにふかふかなんだ。どうやら羽毛らしい。
干し草を詰めた布団も嫌いじゃなかったけど、一度この贅沢を覚えてしまうとな。
正直、これは戻れないと思った。
もうね、俺、一日中ベッドの上にいたいよ!
そう感動していたら、おっさんの部屋にあったベッドはもっとでかくて、その上装飾がゴージャスだった。天蓋付きのベッドって、男でも使うんだなぁ。
どうやらおっさん用の寝室が主寝室ってやつで、俺の寝室は従者用だったらしい。
いや、別に不満はないんだけどね。おっさんは俺より体がデカいし、俺は保護してもらっている立場だから。
でも思ったんだよ。
こういうすごい部屋を平然と使っているおっさんって、いったい何者なんだろうなって。
俺だったら巨大な寝台の端っこで眠ってしまいそうなのに、この間覗いたら、おっさんは真ん中で寝ていたんだ。……横に長剣と短剣と投げナイフを並べていたけどね。
どうせ同衾するなら生身の人間のお姉ちゃんにしろよ、と思ったけど、傭兵ならこんなものなのかもしれない。
俺は田舎者で貧しい庶民育ちで、だから世間知らずだと思ってる。でも、普通の傭兵がここまで厚遇されないことくらいは知っている。
信頼を得ている有名な傭兵団なんかになると、一回に稼ぐ金額が大きくなるって聞くから、ちょっとした大富豪並みの財産を持っていることもあるらしいけど。おっさんはいつもだいたい一人とか多くて数人で行動していて、そんな大規模な傭兵団を持っている感じはなかった。
まあ、指揮官とかは似合ってそうだよな。
おっさんの腕っ節の強さは間違いないし、荒くれ者たちをも従わせる迫力みたいなものもある。傭兵たちのまとめ役みたいな職業もあるのなら、実は財産持ちの可能性はある気がする。
……というか。
おっさんが「定宿」って言ってるから、俺も定宿って言ってるけどさ。
俺たちが滞在しているのは、宿屋じゃない。個人の家って方が近い。いや、ダメだな。「家」でもちょっと違うんだ。
普通に言えば、控えめに言っても「お屋敷」なんだ!
つまり大都会の一等地に建っていて、このお屋敷に来て一週間以上経っているけど、未だに足を踏み入れたことのない区画があるのに全然不自由じゃないレベル。
しかも、装飾がすごい。
こんな贅沢なお屋敷のご主人だから、かなりの大金持ちなんだろうと思うけど、ご主人は今は留守らしくてまだ会ったことはない。
俺の予想では、ここのご主人はたぶん女の人だな。
で、おっさんはヒモ。
住む部屋をもらって、時々お小遣いをもらって、女主人様の気が向いたらパリッと身綺麗にしてベッドを温めにいくってやつだ。
傭兵やっているだけあって、おっさんはいい体をしているし、顔の作りも悪くない。何と言っても、体力があるのは間違いなしだもんな!
超絶美少女の俺がそんなことを考えながらニヤついていると、おっさんは疲れきった顔でため息をついた。
……あれ?
もしかして俺、心の中で考えていたことを口にしてしまったのかな。
うん、あり得るな。最近の俺、いろいろあったせいで緊張することが多くてさ、その反動でおっさんと二人だけの時はかなり気が緩むんだよ。
男だった俺を以前から知っているし、女の子になった事情も知っていて、俺への態度が前と全く同じというのも居心地がいいんだよね。
まあつまり、こういう事はよくあるってことだ!