スポットライト(水無月上総さんへのクリスマスプレゼント)
忘年会シーズンになると、毎年のように忙しい。もっとも、この時期に暇なようでは先が知れている。
上総がアルバイトをしている居酒屋でも連日忘年会の予約が入っている。そして、この時期だけは営業時間を拡大して、そろそろ始発電車が走り出そうかという午前4時まで営業している。とは言え、忙しいのは最終電車が出る間際の12時頃まで。
「上総、今日はもう上がっていいぞ」
客がひけたのを見計らって店長が言った。上総は急いで着替えて駅まで走った。どうにか最終電車に間に合った。そして、自分が住むアパートがある駅ではなく、二駅ほど手前の駅で降りた。同じように最終電車に駆け込んだ連中と一緒に駅の改札を出ると、タクシー乗り場へ走る一団とは別にすっかりシャッターが下ろされた商店街に向かって上総は歩いて行った。お目当ての建物の前に到着すると、ポケットからカギを取り出しドアを開けると、明かりをつけて更に中へ入って行った。廊下の突き当たりには防音仕様になっている扉がある。扉の円状のガラスには白いマーカーで“練習場”と手書きで書かれていた。上総の目的はそこにあった。重い扉を開けると“非常口”と表示された誘導灯の明かりがうす暗い空間を緑色に照らしていた。上総は部屋に入りドアを閉めると、その空間の持つ独特のにおいを全身で感じた。
うす暗いままの練習場で明かりもつけずに上総は定位置へ進んだ。そして、大の字になって寝転んだ。何年も練習をしてきたこの場所だから、目を瞑っていても空間を把握することが出来た。
何度も読み返した台本はすべて頭の中に入っている。上総は冒頭からのシーンを通しで演じてみる。歩き方、手足の動き、顔の角度、表情の作り方。何度も何度も練習してきた。けれど、一度も納得のいく演技は出来ていなかった。
12月24日、上総が所属する劇団が毎年行っている。クリスマス公演。この公演を成功させるために多くの劇団員が毎日練習を繰り返してきた。そのクリスマス公演を前日に控えたこの日、上総は最後のチェックを行っていた。一通りの流れを終えたところで部屋の明かりが付いた。
「上総?来てたんだ」
同じ劇団の仲間、芽衣だった。芽衣は劇団の花形でいわゆる主演女優というやつだ。
「芽衣さん…」
上総は急に恥ずかしくなった。
今回の公演で上総が演じるのは冒頭で発見される死体役と何度か登場する通行人A。台詞などは一言もない。そんな役でありながら、こんな夜中にひとりで練習している。そんな姿を花形女優の芽衣に見られてしまったのだ。
「一人で練習してたんだ」
「まあ…」
「ちょうどよかったわ。私も最終チェックをしようと思っていたの。絡みをやってくれない?」
「えっ?ボクがですか?」
「他に誰が居るのよ」
「ボクじゃあ、その…。なんというか…」
「私のことを疑ってらっしゃるの?」
彼女の言葉にボクはハッとした。それはこの芝居で彼女が最初に言う台詞だったからだ。
「一応、それが我々の仕事ですから」
上総は思わず、相手役の刑事のセリフを口にした。その時、彼女が微笑んだようにも見えた。しかし、次の瞬間には疑われてショックを受けている女優の顔に戻っていた。こうして、彼女が関わるすべての場面を上総は演じ終えた。演じ終えると、彼女が拍手で労ってくれた。
「すごいじゃない!あなた、台本も見ずに…」
そこまで言うと、彼女は何かを思いついたように表情を変えた。
「もう逃げられないぞ!」
「頼む!どうしても行かなきゃならないんだ。頼むから1時間だけ待ってくれ!」
彼女が言ったのは犯人を追いつめた刑事の台詞だった。そのとき、犯人役が言うはずの台詞を上総はつられて口にしていた。
「あなた、もしかして、この台本の台詞を全部覚えているの?」
「ええ、まあ…。台本は時間があれば何度でも読んでいたから」
「ふーん…。ねえ、あなたはもう、自分の練習は終わったのかしら?」
「はい。ボクの役は死体と通行人Aだけなので」
「じゃあ、少し時間あるかしら?練習に付き合ってくれたお礼に何かおごらせて」
「そんな…。ボクなんかに…」
「いいから!女に恥をかかせるんじゃないの」
彼女が上総を連れて来たのは駅前の牛丼屋だった。
「一度来てみたかったのよね」
「はあ…」
「こんなところで申し訳ないんだけれど、好きなものを頼んでいいわよ…。って、ごめん!ここって牛丼しかないのね。知らなかったわ」
「牛丼は大好きですから。さっきも…。あっ!」
「そうなの?じゃあ、違うところにしようか?」
「大丈夫です。確かに、夕方バイト前にも食ったんですけど、この牛丼は特別ですから」
「ここの牛丼ってそんなに美味しいの?」
「いや、そういうわけじゃなくて…」
「じゃあ、どういうわけ」?
芽衣が上総の顔を覗き込むように見ている。頬杖をついて見つめる芽衣の顔はマジでヤバいと上総は思った。芽衣は上総が劇団に入った時からずっと憧れている人だった。
「芽衣さんと一緒だから」
「えっ?」
「芽衣さんと一緒に居るから、それがボクにとっては特別なことで…」
「ねえ、上総っていくつだっけ?」
「いや、一杯で十分です」
「プッ…」
なぜだか芽衣が急に噴き出した。そして、周りも気にせず大きな声で笑い出した。
「バカね!年のことよ」
「あっ…」
ボクは何をチンプンカンなことを言ったんだろう。上総は急に恥ずかしくなった。急に頭に血が上って顔が赤くなっているのが自分でも判った。
「に、27です」
「じゃあ、私より1つお兄さんなんだね」
意外だった。芽衣はもっと上だと上総は思っていた。それはきっと舞台での役柄のせいだったからなのかもしれない。そう思って改めて芽衣を見ても、やっぱり、上総に取っては魅力的な大人の女性にしか見えなかった。
店を出ると、芽衣はタクシーで帰っていた。上総は二駅分の道のりを寒空の下を歩いた。深夜の空気は冷たかったけれど、上総の心はとても温かかった。
公演当日。
事件が起きた。犯人役の役者が来る途中で交通事故に遭って病院に運ばれたという連絡があった。そんな緊急事態に監督はスタッフを集めた。
「代役をどうするかだが…」
辺りを見まわして監督は齋藤を呼んだ。
「犯人役?勘弁してよ。いくら俺でもあの台詞の多さは無理だ。今からじゃ、覚えきれない」
「うーん…。困ったな。なあ、日下部、お前ならどうする?」
「彼女に聞いてみればどうですか?」
そう言って、日下部は芽衣の方を見た。日下部は劇団のマネージャーだ。団員のことなら何でも把握している。すぐに芽衣が呼ばれて事情を説明された。芽衣は表情も変えずに冷静に話を聞いた。
「彼がいいわ」
芽衣は上総の方を見た。
「バカな!あいつじゃ無理だ」
「そうかしら?私は適任だと思うけど」
「何を根拠に…」
芽衣は監督の言葉を無視して上総を呼んだ。そして、いきなり犯人役に絡む台詞を発した。上総は昨日の練習の続きだと思い、犯人役の台詞をこなしていく。
「ウソだろ、おい!信じられん」
監督は思わずそう呟いた。同時にポンっと手を叩いて上総に告げた。
「頼んだぞ!」
状況が把握できない上総は呆気に取られている。そんな上総に芽衣はウインクをした。
公演が始まった。舞台中央であおむけに代の字で転がっている死体に向かって上総は言った。
「俺の大事な人を傷つけさせるわけにはいかない…」
舞台袖で見守っていた芽衣は柔らかな微笑みを浮かべて頷いた。
「惚れたか?」
隣に居た日下部が言った。
「当たり前よ」