妹編
兄編より長めです。
幼い頃に事故で両親が亡くなり兄と二人きり、親戚にたらい回しにされたあげく──投げ込まれたか拾われたのか思い出せないが──長らく生活している孤児院で、毎年夏に行われている行事のようなものがある。
孤児院の子供達が集まり、怖い話をする。
発案者である兄は『百物語』と言っているけれど、毎年百話も話すなんて出入りの激しいこの孤児院では到底無理な話である。
今年はそれ以前の問題で、一番手である兄の話に、新しく入ってきた子が叫んでしまい、近所の迷惑になるということで大人達に解散を命じられてしまったところだ。
内容は、仲の悪い兄弟が肝試し中に古い家を見つけ、探険しているうちにケンカをし、近くにあった井戸に兄が弟を突き落として殺し、死んだ弟が復讐にやってくる──話となるはずだった。新入りが叫ばなければ。
……しかし、『恐怖を与える』という意味では成功したので良しとしよう。
私達にはもう時間がないのだから。
男女に分けられただけの大部屋からこっそりと抜け出し、兄が待っているだろう物置部屋へと向かう。
中に入ると、予想通り兄が待っていた。
「──でさ、話の途中で新入りが叫んで『百物語』は中止になって部屋に戻れって追い出されたんだ」
兄は棚に無造作に置かれている壷の一つに話しかけていた。
普通ならばおかしいと思うだろうが、私にとっては見慣れた光景である。
『──ふむ。少々やり過ぎたか』
低い声が、耳ではなく脳に響くように届いた。
声の主は兄の前に鎮座している壷である。
「やり過ぎでも何でも、もう時間がないのだから仕方ないわよ」
言って、私は近づいた。
──壷との出会いは数年前に遡る。
当時、私と兄は、仲の良かったお姉さんが引き取られてしまったために落ち込んでいた。
新しい生活があるので、こちらから会いに行ってはいけない。手紙を書いても届けることはできないと言われてしまった。
せめてお姉さんが幸せになっているかが知りたいと、院長室に向かったら、扉を開ける前に声が聞こえた。
「この間のは心臓が悪かったが、それ以外の部位は問題なかったそうだ」
「そうですか、それは良かった」
聞き慣れたその声は、孤児院に住む身寄りのない子供達の引き取り手を探してくれている男性と、院長のものだった。
「今こちらに残っているもので状態の良いものは──」
院長の口から、孤児院にいる何人かの名前が上がる。
「次は──そうだな、半年後にしておくか。最近連れ出す頻度が高くなっている。用心するに越したことはない」
「では、半年後までに体調管理を怠らないように気を付けましょう」
それから、色々な話をしていた気がするが、私と兄は気づかれないように院長室から離れることで精一杯だった。
「……俺、聞いたことがある」
人気のない物置部屋の奥に逃げ込み、誰も来ないことを確認してから兄が口を開いた。
「院長は親のいない子供を売って金を貰ってる、って」
その噂は私も知っていた。口さがない大人達の心ない発言に、嫌な思いをしていたが、まさか、事実だとは思わなかった。
しかも。
部位、状態という言葉。
「……臓器売買」
私の言葉に、なんだそれ、と兄の視線が動いた。兄の脳にはない単語だったらしい。
「身体をバラバラにして売られちゃった、ってこと」
おそらく、お姉さんはもう生きてはいないだろう。
「──小賢しいガキ共だ」
急にそんな声が聞こえた瞬間、私の目の前から兄の姿が消えた。
次いで、棚に何かがぶつかる音。
棚にぶつかったのは──兄だ。
「兄さ──っ!?」
兄に近づこうとしたが、髪を毟り取ろうかという勢いで引っ張られ、私は床に投げ飛ばされた。
見上げれば、先程まで院長と話をしていた男性が苛ついた様子で見下ろしていた。
「仕方ない、今更一人や二人消えた所で問題はないだろう」
そう言い、再度私に手を伸ばしてきた。
意識を取り戻した兄が私を助けようと男性にしがみつき、私自身も抵抗したが、大人の力に子供が敵うはずもなく。
「──このっ、鬱陶しいんだよ!!」
男性の腕が振り上げられ、思わず目を閉じた。
──が、予想した衝撃は訪れなかった。
目を開くと、男性は床に倒れていた。
正確には、男性だった『モノ』。
何故か、男性の首から上が消えていた。
血は流れておらず、首の断面は骨や血管なども見えず、ただ、闇のように黒く染められていた。
『五月蠅い』
と、そこで聞き覚えのない低い声が聞こえた。
『そして不味い。久々の餌がこれとは──』
言いかけ、止まる。
姿は見えない。だが、見られている気配を感じた。
「……壷が喋ってる」
兄が呟いたので視線を向けると、床に転がった壷を凝視していた。
先程兄がぶつかった衝撃で棚から落ちたのだろう、埃に塗れた黒い掌サイズの壷が──動いた。
「動いた!?」
『一々五月蠅いぞ小僧』
言いながらも、壷は何故か楽しそうだ。
「……助けてくれたのは、あなた?」
どう呼べば良いか分からないが、気になったことを聞いてみた。
目の前の禍々しい壷は、どう見ても誰を助けるようには見えない。
『助けた訳ではない。眠りを妨げられた故、一番騒がしい奴を喰らったまでのこと』
至極当然、とでも言うように、壷は淡々と話した。
『なあ、お前って何なの? 名前は?』
興味津々と、兄は壷に話しかける。恐怖などを感じてはいないようだ。
『我が何か……長らく眠っていたせいで忘れたな。人間の恐怖を糧にしていた記憶はあるが。名前はない。好きに呼べ』
「じゃあ『壷』って呼ぶ」
それから、何故か気の合った様子の二人(兄と壷)は、私達が男性襲われた理由と、今いる孤児院の現状について話し合った。
『人間とは残酷な生き物だな』
人を喰らった化け物が嘯く。
確かに、首から上のない男性の死体の横で会話をする私達は残酷なのかもしれないが。
『それで、お前達はどうしたい? 我が願いを叶えてやろう』
「……代償は?」
壷の言葉に私は訊ねた。化け物が無償でそんなことをするはずがない。
『我の糧である、人間の恐怖を得る手伝いをして欲しい。この壷から離れられぬ故』
動けるくせに何を、とは思ったが、何があるか分からないので口には出さない。
「それって、俺達に人を殺せってこと?」
『そうではない。簡単に人間を殺せば糧が減るではないか。そこに転がっているのはただの八つ当たりだ』
八つ当たりだったのか。
『協力してくれるのであれば、願いを叶えよう。そしてお前達に危害を加えることはしない』
──遠回しに脅しているようだが、正直、私にとっては渡りに船といった状況だった。
ちら、と兄を見る。
「俺は……こいつが無事ならそれでいい」
こいつ、と私を指して兄は言った。
「たった二人の家族だから、一緒にいられたら、それで」
──兄は人が良すぎる。
それだから、私は──。
「……私も、兄さんと一緒にいられるなら、それでいい」
私の言葉を正確に捉えたのだろう、壷は嗤った。
『良かろう──契約成立だ』
『百物語』とは、壷の糧の一つである『恐怖』を生み出すためのもの。
参加者の恐れていることを婉曲的に、作り話として兄が話し、恐怖を煽る。
しかしその恐怖は微々たるもので、糧としては足りないのではないかと聞いたら、今まで喰らった人間をゆっくりと消化しているので不足はないらしい。
何度か孤児院に住む職員や、新しい養子縁組担当の業者に怪しまれたが、その都度壷は相手を喰らったり記憶を改竄したりと、私達を助けてくれた。
──しかし、もう終わりの時が来てしまった。
私は壷を見た。
「……私達、もうすぐ高校を卒業するの」
義務教育が終わるまでは、なんとか誤魔化し、生き延びることができた。
だが、それ以降は、孤児院を出て、自分の力で生きなければいけない。
何の後ろ盾もない、身寄りもない、帰る場所のない私達。
兄だけならば、もしかしたら生きていけるかもしれない。
でも私は──。
「孤児院を出たら、いつか兄さんと離れなけばならない時が来る。私は、それだけは嫌なの」
兄さんと、離れたくない。
兄さんの隣に自分以外の誰かが立つなんて認めたくない。
兄さんが私以外の誰かを選ぶなんて許せない。
「だから、今、ここで、私達を殺して欲しい」
私だけ死んでも駄目だ。兄が生きている限り誰かが兄に近づいてしまう。
兄だけ死んでも駄目だ。私は兄がいないと生きていけない。
兄が目を見開いている。
妹がこんなに執着していただなんて、気持ち悪く思っているかもしれない。殺されることに憤っているかもしれない。でも私は、兄を手放したくない。
「……ごめんね、兄さん」
兄の視線に耐えられず、顔を俯ける。
その頭を、優しく撫でられた。
「言っただろ? 一緒にいられたらそれでいい。俺は、最期までお前の側にいる」
「……兄さん」
それは、家族としての感情なのだと理解はしている。
だが、その言葉だけで、私は十分だ。
「壷、もう協力できなくて悪いんだけど……」
『気にせずとも、お前等は我に協力してくれたのだから問題ない。願いを叶えると約束もした』
「……ありがとう」
そう言うと、壷は嗤った。
『化け物に礼を言うとは、お前等はやはり面白い』
──その後、追加であるお願いをしたら、壷は快く了承してくれた。
兄と手を繋ぎ、壷から伸びる闇に包まれる。
これから、壷は私の願い通りに孤児院を壊滅させるだろう。
それが原因で、誰かが不幸になるかもしれない。
だが、それはもう、私には関係のないことである。
──私は私の願いのために、他の全てを犠牲にした。




