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変革のギター弾きと保守のピアノ弾き

挿絵(By みてみん)

 カメレオンのように、他の色を真似て色を変えるボールがたくさんあると想像して欲しい。

 もし、そのボールの変化し易い性質が強ければ、そのボール群はやがて、多数派の色で統一されてしまうはずだ。自分の色を保てず、他の色に直ぐに染まるからだ。

 このボール群の中に、多少の異色が混じっても、例えば、赤の中に青が混じっても、簡単にはその青を受け入れない。多数派の色を採用するからだ。

 つまり、変化し易い群であるこのボール群は、多数集まる事で、反対に変化し難い性質を獲得した事になる。

 ただし、だからこそ、変化が起こる時は、一気に変化をするのだけど。

 さて。

 この例え話を、人間社会に当て嵌めてみよう。

 この特性は、集団主義で普段は保守的なのにその反面流行に弱く変化し易い、日本社会にそっくりじゃないだろうか?

 主義主張や思想。歴史を観れば分かるけど、実は日本はそういったものを比較的簡単に受け入れて、変化してしまうという特性を持っているんだ(しかし、独自の思想を自ら発展させる能力は低い)。その訳は、案外、このモデルが教えてくれるのかもしれない。

 だから、恐らくはこの簡単なモデルは、人間社会を分析する際にそれなりに役に立つのじゃないかと僕は考えている。

 もしかしたら、これを読んでいるあなたは、他人の真似とかじゃなく、他者の考えを受け入れるのには合理性こそが重要で、だからこんなモデルは役に立たないと思っているかもしれない。もし、そう思っているのなら、科学史を軽くで良いから、学んでみることを勧める。

 いかに人間が、単に『皆が信じているから』という理由だけで、論拠や証拠といった合理性を捻じ曲げて、それを“信念”にしてしまうかがよく分かるはずだから。

 パラダイム。

 思想の為の土台。信念系をこういうのだけど、その固定性は中々に強固なんだ。

 さて。

 以上の話は、ほんの一例に過ぎない。

 『変化』

 このキーワードで、色々と考えてみると案外と面白いものだ。エネルギーが働くとは要するに、変化を起こすという事だし、生物の進化だって変化だし、社会の歴史の歩みだって変化の連続だ。

 僕らは常に変化の中で生きている。どんな速度で変化するか、どんな風に変化するか。そして、常にそんな問題を突き付けられている。

 僕らには本質的に『変化する』というベクトルが備わっているとみなすべきだろう。

 熱力学第二法則。

 それに抗って“引き分け”に持ち込む為には、どうしたって僕らは変化し続けなければいけないのだ。例え、太陽の光が、僕らに力を与え続けてくれている状況下でも。そうじゃなければ環境の変化に適応はできない。やがては、崩壊をしてしまうだろう。

 でも。

 ただ矢鱈に変化をすれば良いってもんでもない。変化が激し過ぎれば、それはそれこそ崩壊を意味するはずだ。つまり僕らには変化する力と同時に変化しない力…… 早い話が保守的な面も必要なのだ。

 『変革と保守のバランス』

 だから、これはとても重要なはずだ。個人にとっても社会にとっても。

 だから例えば僕の中のそれを把握する事だってとても重要なはずなんだ。僕の中の『変革と保守のバランス』は果たして、どうなっているのだろう?

 もし、それを数値化できて、そして変化のパターンなんかも分かるととても便利な訳だけど、当然、そんなものは分かるはずがない。

 それで僕はイメージで、その代替とする事にしたんだ。“変革”の象徴と“保守”の象徴とをそれぞれ生み出し、そして何か“変化”が起こりそうな時は、そのイメージに喧嘩をさせる訳だ。

 “変革”の方が強ければ、僕は変化し易い人間なのだろう。反対に“保守”の方が強ければ、僕は保守的な人間だという事になる。

 そして。

 何故か、僕がイメージした“変革”の象徴はギターを持っていたのだった。“保守”の方は、ピアノ。

 二つとも小人のような姿をしていて、そして争う時は、両方ともいつも楽器を弾いていた。

 一応断っておくけど、僕は別にギターの方が変革的で、ピアノの方が保守的だなんて主張したい訳じゃない。これは飽くまで、僕の個人的なイメージであって、ここでの定義に過ぎない。

 僕は人生のある時から、この二つのイメージを利用して生活を送ってきた。変革のギター弾きと保守のピアノ弾きの喧嘩は、ピアノが勝つ事が多くて、そこから推察するに、僕は保守的な人間なのだろうと思えた。

 ただ、ならば僕が変革を好まないかといえば、そんな事はない。同時に僕は、とても変革を望む人間でもあった。臆病で変化を恐れはしているのだけど、いや、だからこそ、変化に対する憧憬も強いのだ。

 ただし、やっぱり“保守のピアノ”の方が強いみたいだけど。

 僕に保守の傾向が強いと分かったなら、後は簡単だ。僕が変化を拒んだ時、つまりイメージの中の“ピアノ”が勝ちそうな時、ちょっと無理をして“ギター”の応援をすればいいのだ。

 それできっと、僕の中の『変革と保守のバランス』は良くなるだろう。僕の人生は、潤うはずだと思う。

 で、

 今、自動販売機の前にいる僕の目の前に、ギターとピアノが現れていた。頭の中じゃなく、視覚として。

 そう。

 いつの間にか、その二つのイメージを利用するうちに、『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻が、僕には見えるようになってしまったのだった。

 因みに今は、どの缶コーヒーを買うかで悩んでいて、新商品かいつも通りのやつかでギターとピアノが争っていた。

 “ギターの勝ち”

 そう思う。ピアノ弾きがこけて、ギター弾きが可愛くガッツポーズ。

 僕は新商品の方を選んだ。こうして、時折、別のものを選択することで新しい何かを僕は経験する事ができる。もちろん、保守性も大事にすることで安定もできるのだけど。その双方にある役割を考えるのなら、こいつらはいつも喧嘩をしているけど、本当は相補的に協調し合っているのだと思う。

 喧嘩する事が、協力し合うということ。

 この二つに限っては、それは事実なんだ。きっと。

 『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻は、僕がコーヒーを飲み始めると自然と消えていった。

 それを見ながら思う。

 多分、統合失調症ではないだろう。

 統合失調症は、自覚症状がないのが特徴だけど、僕にはある。こいつらが幻だって分かっている。だから平気だ。そのはずだ。病院に行く必要はない。幻が見えるようになってから、僕は自分を正常だとそう言い聞かせてきた。ところがだ。

 『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』が見えた。友人宅でのことだ。僕は頭を抱えた。

 何故かというと、それが僕の『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』ではないようだったからだ。どうも、その友人のモノらしいのだ。あ、不便だから便宜的にこいつを“友人A”としようか。目の前にいるギターとピアノの姿は、いつもの自分の幻とは違うし、それに友人Aが悩んでいる時に現れたから、まず間違いはないと思う。

 自分のだけじゃなく、他人のモノまで見るなんて、僕はやっぱり病気なのかもしれない。

 それで、そんな心配を僕はした訳だ。

 因みに、その友人Aは学校を卒業して以来、ずっとフリーター生活をし続けている。そして何かしら技能を身に付ける気も、ちゃんと就職する気もないようだった。つまり、今を変えたがっていない。保守的な傾向が強い。

 案の定、ギターよりもピアノの方が明らかに強そうだった。大きい。ただし、やはり変化したいという欲求がない訳ではないらしく、ギターは凶暴に激しく暴れていた。

 それを見て僕は思う。

 “偶には、ギターを勝たせてやりたいな”

 凶暴なギター弾きの姿が、何故だか悲しく切なく思えたからだ。きっと、この友人Aも本当は変化したがっているのだろう。でも臆病だから、それができないんだ。つまりは、僕と同じだ。もっとも、僕よりもそれが酷いみたいだけど。

 だから。

 「なぁ、ずっとバイトしていたら、社員に誘われたりしないのか?」

 と、そんな事を僕は尋ねてみたんだ。そいつの“変革”を促してみたくって。しかし、やはり無駄だった。

 「あるけど、そんな気はないよ。社員って面倒臭そうじゃん」

 そう軽く言われてしまった。ただし、言葉とは裏腹に友人Aの“変革のギター”はその言葉に反応して暴れていたのだけど。ピアノに押さえつけられながらも。

 

 次の休日に、僕は別の友人と会っていた。仮にこいつを“友人B”としよう。そいつとはずっと会っていなくて、久しぶりに会う。その訳は簡単だった。さっきの友人Aが“保守的な傾向”を持つのだとすれば、この友人Bは“変革を好む傾向”を持つからだ。色々な技術を身に付け、職もよく変える。

 昼食でも何でもいい。この友人Bに何かしら選択をさせて、友人Bの『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻を見てやろう。僕はそう計画していた。果たして、どう見えるのか?

 話を聞いてみると、その友人Bはちょうど会社を辞めて独り立ちをしようか悩んでいる最中らしかった。それで、有難い事に特に努力もせず簡単に『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻が出てくれた。

 “やっぱり”

 と、僕は思う。

 そいつの変革のギターは、異様にエネルギッシュだったのだ。そして、保守のピアノを圧倒している。

 「うん。やっぱり、独立をしてみようと思う」

 友人Bがそう言う。傍らでは、ギター弾きが激しくギターをかき鳴らし、勝利を宣言していた。

 僕はそれを見て心配になって言った。

 「お前の行動力は、称賛に値するけど、もう少しくらい慎重になった方がいいって僕は思うぞ」

 すると、意外にもそいつは素直に「まぁ、な、そうかな」と、そんな事を言った。多少は不安なのだろう。ただ、やっぱり独立してしまいそうな気がしたけど。

 

 それから僕は『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻について悩み続けた。他人の幻まで見える。明らかに異常だ。これを病気だと判断して、精神科に行くか。それとも、このまま何もしないでいるか。

 もちろん、僕の目の前では、いつも通りにギター弾きとピアノ弾きが争っていた。

 「うーん」

 二つを観察すると、何も手を出していないのに、珍しくギター弾きが勝ちそうになっていた。つまりは、現状を変えて、病院に行くという選択。しかし、それから突如として、ギター弾きは曲調を変えたのだった。

 “もしかして”

 僕は思う。

 “別の選択肢があるってのか?”

 

 僕は友人AとBを久しぶりに遊ぼうと言って呼び出した。この二人はそれぞれ、『変革と保守のバランス』が悪い。友人Aはもう少し変化してみるべきだし、友人Bはもうちょっと保守的になるべきだろう。

 “もし、こんな事が可能なら”

 と、僕は思ってみたんだ。

 「飯、何を食べようか?」

 僕はそう尋ねてみる。その瞬間、二人の前に『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻が現れた。僕はチャンスを逃してなるものかと、二人のピアノ弾きを入れ替えた。友人Aの大きなピアノ弾きを友人Bに。友人Bの普通のピアノ弾きを友人Aに。

 その瞬間、二人とも変な表情になった。しかし、直ぐに馴染んだのか、何事もなかったようにその後を過ごした。

 “さて、どうなるかな?”

 僕はそう思う。もしも、単なる幻なら、何の効果もないだろう。しかし、そうじゃなかったのなら……。

 その日は、何の変化もなかった。

 しかし後日、友人Aに連絡を取ってみると、バイト先で社員に昇格したという話を聞いた。「面倒臭くはなるが、やっぱりいつまでもこのままじゃな」と奴は言っていた。僕は「おめでとう」とそれを祝福した。それで僕は次に友人Bに連絡してみたんだ。すると、

 「やっぱり、独立は止めたよ。もう少し慎重に行動してみる。安定ってのも重要だからな」

 と、そう奴は言ったのだった。

 「ああ、その方が良いと思うよ」

 僕はそう言って、その判断に賛成した。

 

 『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の幻が、何なのかは分からないけど、この能力は利用できる。なら、病院なんかには行かないで積極的に活用してやろう。

 それが、あの時、ギター弾きが勝った事で出した僕の結論だった。

 『変革と保守のバランス』

 前にも書いたけど、これはとても重要なはずだ。個人にとっても社会にとっても。パソコン画面。或いはテレビ画面。その中に流れるたくさんの人々の意思や主義主張。

 僕にはそれに伴うたくさんの『変革のギター弾きと保守のピアノ弾き』の姿が見えていた。

 社会の中のこのバランスが崩れた時、僕はそれ相応の行動を執り、状況に合わせてバランスを取る役割を担うべきなのだろう。

 そう思った。

同じなような、そうでないようなテーマで、曲も作りました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22170103

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