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序章

 「渡したいものがあるので西警察署まで来ていただけますか?」


ほんの二日前に携帯がなった。聞き覚えの無い場所からの電話だった。


昔の名残で、「警察」と言う響きにドキリとしてしまった。


 『西警察署』名前に心当たりは無かった。しかし、女か男か微妙なラインの声の持ち主は、次に聞き覚えのある名前を告げた。


「村上 末利さん、ご存知ですよね。」


今度は比較的はっきり話したので男だと思われた声はこちらの返事を待たずに事務的に話を続けた。


「先日、お亡くなりになりましてね。検視の結果、自殺だったんですが遺留品の中にあなた宛の手紙がありましてね。お渡ししたいんですが_場所わかりますかね?___。」


まだ、話しは続いていたと思うが、そこから先は少しも聞いてはいなかった。いや、聞いていられなかったと言ったほうが正しいかもしれない。


自殺、遺留品、手紙。そんな言葉は耳を通して全て空気中に漂っていた。言葉は空気に触れると重みを持つ。そして僕の肩に重くのしかかる。事実は一つ。


末利が死んだ。


心に蓋をして、思い出さないように忙しく仕事をして、忘れようとしていた。ふとした拍子に頭に浮かんでこようとするその名を、何度もかき消し記憶の角に追いやってきた。しかし、そんな努力もむなしくなるほど彼女はやすやすと夢の中に現れては悲しい笑顔で、僕を見る。やりきれない夜を幾度と無く過ごし、彼女を恨んだことさえあった。なぜこうも苦しめるのか。しかし、そんな彼女が死んだと言う。信じられるはずも無かった。




西警察署は比較的大きくて、すぐに見つかった。名前を告げて電話の主を呼んでもらうと、奥の部屋へ通された。テレビドラマで見る取調室のような場所を想像していたが、とても綺麗な応接室で驚いた。子供のようにキョロキョロと部屋中を見回していると部屋のノックがなった。


「お待たせしてすいません。いやあ今日は暑いですな。私は生活課の岩瀬と言います。まあどうぞお座りください。わざわざご足労いただいてすいませんな」


僕に電話をくれたと思われる声の人物だった。その甘ったるい声からは想像できないくらいの巨漢で、真夏にも近い強い日差しの陽気に、額に大粒の汗を浮かべているのも納得できるような気がした。


「電話でもお話しました通り、村上 末利さんからの手紙をお渡ししたくてですね。」


岩瀬氏は汗を拭いながら話を続けた。


「お亡くなりになったことはご存知でしたか?」


彼は、僕に尋ねた。


「いえ。」


僕は答えた。


ここに来るまで、僕はこの事実を少しも信じてはいなかった。末利が仕掛けた大げさなドッキリだと思っていた。そのうち彼女が笑顔で現れて、笑いながら以前のように僕に話しかけてくると思ってた。だが末利が死んだのはどうやら事実のようだ。ドッキリでも、やらせでも無くて、正真正銘の出来事のようだった。つまり、彼女はこの世にはもう居ないのだ。


「そうですか。一ヶ月ほど前ですかね。」


彼は書類に眼を通しながら伝えた。抑揚の無いその声はとても不快に僕の耳に響いた。


「自宅でアルコールで睡眠薬を飲んだんですよ。彼女は一人暮らしだったので発見も遅く死後三日たってから、訪ねて来た伯母さんに発見されました。」


三日間も放置されていたのか。あまりのやるせなさに僕は絶句した。なんと孤独な死だ。


「彼女はおじいさんと暮らしていたはずです。おじいさんは何をしてたんですか?」


確かに彼女には家族は居ない。本当は居るが、今は居ないと言ってもいい。彼女にとって彼らは家族と呼べるものではないのだ。


「確かに、村上 義之さん、つまり末利さんのおじいさんですね、一緒には暮らしていましたが、おじいさんも三ヶ月前になくなっているんですよね。こちらは老衰です。まあ78歳ですからね。」


彼の、淡々とした声がひどく腹立だしかった。


おじいさんは亡くなっている。三ヶ月も前に。つまり彼女は三ヶ月前から一人っきりだったことになる。一人になる事をあんなに恐れていた彼女が一人で暮らしていたと言うのか。なぜ僕に知らせなかったのか。僕は彼女に問いただしたかった。重要なときに頼らない。僕はそんなに頼りない人間なのだろうか。


いや、違う。彼女を突き放したのは僕自身なのだ。助けられると思って彼女が居た場所から、あの場所から救い出してあげた。ちょっとしたヒーローの気分だった。でも、途中で手を離したんだ。他に守るべきものがあったから。大人の振りをして彼女を連れ出し、怖くなって途中で手を離した。最低なことをしたんだ。


「これが、その手紙なんですが、なにぶん自殺なので、遺書としてこちらでさきに読ませていただきました。彼女の死に不審な点がないか、それを調べるのが仕事なもので。」


不快な声が僕を現実に連れ戻した。そう、ここはまだ警察署内だった。あまりにも突然知らされた事実の多さに頭の回転は追いつかなくなっていた。もともと頭の容量はけっして大きくはない。


彼は、黄色い封筒を机の上に置いた。僕はその封筒には見覚えがあった。明らかに彼女が書いたものだと判断できた。


以前に彼女から手紙をもらったことがあった。そのときも黄色い封筒だった。そして今、そのときと同じ封筒が目の前にある。これは現実かそれとも悪い冗談か。


僕の思考は完全に麻痺していた。


彼女が死んだ?そんなはずはない。彼女は生きるのに必死だった。一生懸命前に進もうとあがいていた。僕は見守ることしか出来なかったけど、いや見守ることも出来なくなっていたけど、彼女は頑張れると信じていた。事実、彼女は僕にこう語っていた。


「私はどんなに辛くても自分から命を絶ったりはしないよ。それは弱い人がすることだもんね。」


前を見つめて濁りのない瞳で彼女はそう言った。強がりにも聞こえたし、決意にも聞こえた。大丈夫。君は強い女の子じゃないか。そんな陳腐な無責任な言葉を返した僕に末利は、力なく微笑んだ。今の僕が思い出すのは彼女のそんな力ない笑顔ばかりだった。


とにかく、一刻も早くここを出たくて、僕は手紙を受け取り、彼女の第一発見者でもある伯母さんなる人の住所を聞いて警察署を後にした。


渡された黄色い封筒には見慣れた、しかしひどく懐かしく感じる字で僕の苗字が書かれていた。


「藤原さんへ」


黄色い封筒に小さく書かれた僕の名前を見ていると、なぜだか、涙が流れそうだった。しかし、空を見上げて眼を閉じた。ここで、涙を流してしまったら、彼女の死を信じてしまうことになる。まだ、信じない。僕は心に嘘をつきながら不安な気持ちを押し流した。「よおし」


そんな気合の言葉を吐きながら、携帯で渡されたメモの電話番号を押した。とにかく、誰かに詳しく話しを聞かなければならないと思った。まだ僕には手紙を読むことは出来なかった。読めば、彼女の死を信じてしまうことになる。彼女がこの世に居ないことを認めてしまう。彼女が僕に残した思いを知ってしまうことになる。それはひどく怖いことに思えたし、まだ、真実を受け入れられる余裕はなかったのだ。とにかく、末利の死を警察などではなくもっと近い人から聞きたかった。事実だと認められる確証なるものを突きつけられない限り認めないつもりだった。それほど、僕にとって彼女の死とは信じられない出来事だったのだ。



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