運命の番は君だったと言われても、今更です。
⚠︎本作には高所からの落下描写が含まれます。苦手な方はご注意下さいませ。
龍族が治める国エメラルド。
獣人と人族が住まうエメラルドでは、運命の番なるものが存在する。唯一として愛を一身に受けることとなる運命の番という存在は、誰もが皆憧れる幸せの象徴だった。
そんな国で伯爵令嬢として生を受けた人族マーガレット・オーパル。
彼女はなんと、龍族の王子の番だった。
「僕の番! この子は僕の運命だよ!」
この一言で、まだ生まれて間もない赤ん坊だったマーガレットはあれよあれよと王子妃の座につく事となった。
それから十五年、決まったレールを真面目に一度として逸れる事なく歩んだ。
「君を妃に迎えられる日が待ち遠しいよ」
全ては自分を慈しんでくれる婚約者レナード・シューレンペールのために。
「私もです。レナード様」
美しい王子とその婚約者の仲睦まじい姿は世間からも絶大な支持を集めていた。
彼女たちをモデルとした恋愛小説が出されたほどである。
誰もがこのまま何事もなくゴールインをすると信じて疑わなかった。
しかし、事件は起きた。
それは、彼の立太子を祝うパーティーでのことだった。
「マーガレット。君は私の番じゃなかったようだ」
舞踏会上は瞬く間に静まり返り、次の瞬間にはざわめきが起こる。
皆が思った。
何事だと。
「ぇ……?」
マーガレットは小さく呟いた。
頭が追いつかなかった。
「こちらにおいで」
放心するマーガレットを気にも止めないレナードが甘い声で誰かを呼びつける。
マーガレットはその相手に目を見開いた。
「なんで……」
相手は、妃教育で忙しいマーガレットにやっと出来た初めての友人だった。
「婚約の破棄をここに宣言する。そして、真の番はエミリー・ラグノ。我が誕生祭に参加してくれた皆が証人だ!」
かつて自分に向けられていた柔らかな視線が、今は友人へ向けられている事実に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
「ごめんなさい、マーガレット。でも、祝福してくれるわよね?」
「マギーは優しいからな。もちろん祝福してくれるさ」
追い打ちをかけるように、二人がそんなことを言う。
「メグ!」
聞かなくなって久しい自分の愛称が叫ばれた記憶を最後にマーガレットの意識は途絶えた。
◇◇◆◆◇◇
次に目を覚ました時、初めに視界に入ったのはベッドの天蓋だった。
マーガレットが体調を崩した時、今までなら必ず目が覚めるまでレナードがそばにいた。否、目が覚めてからも回復するまで付き添ってくれた。
「レナード様……」
虚しいかな、その彼は新しい番を見つけ新たな道を進み始め、マーガレットはひとりぼっちになってしまった。
天蓋に描かれた龍が優美に泳ぐ美しい絵が余計に彼女を苦しめた。
「お嬢様、今日も届きましたよ~!」
すっかり塞ぎ込んだマーガレットは部屋(もっと言うとベッド)から出なかった。
唯一の楽しみは、意識が戻ってから毎日のように届く一輪の花。
「今日は、ガーベラなのね」
「とっても素敵ですよね! 一体誰が贈って来てくれているんでしょう?」
差出人は不明だった。
侍女いわく、毎朝アプローチに【親愛なるマーガレットへ】というメッセージカードとともにポツンと置かれているとか。
昨日はフリージア。一昨日はその前はポピー。その前はなでしこに、マリーゴールドに――と、まぁ多種多様な花がひっそりと届くのだと。
「マギー。今、いいかしら?」
花を愛でていたマーガレットの扉がノックされ、聞こえてきた柔らかい母の声に意識が浮上する。
「母さま? どうかしたの」
「お客様が――そのフィン君が来ているのだけれど」
そっと顔を覗かせた母が懐かしい名前をあげた。
「フィン?」
なぜ彼が、というのがマーガレットの正直な感想だった。
フィンとの交流はもうずっと前に無くなっていたのだから当たり前だ。
「お通ししても良い?」
フィン・アークエット。
母同士がとても仲が良く家柄も同等、おまけに歳が近かったので幼い頃はよく遊んでいたものだが、交流はそれ迄だ。
他の異性が近づくことを良く思わなかったレナードの要望で長くは続かなかったからだ。
「えっと、」
マーガレットは迷った。
ずっと前に途切れた親交を今更どうすればいいのか分からない。
「とりあえず、会ってみてはどうでしょうか!」
黒子に徹し、話を聞いていた侍女がマーガレットに進言する。
「きっと気分転換になりますよ! 折角ですから、可愛くしましょう!」
「そうかしら……」
その日のうちに、再会の場は設けられた。
マーガレットは美しい庭園の中央に在るガゼボで恐縮して座っていた。
「久しぶりだね、マギー」
「えぇ、お久しぶりです。フィン様」
これが王太子妃として求められている事なら、いくらでも言葉が出る。しかし、今はもう、マーガレットはただの伯爵令嬢だ。
「あー、緊張するよね」
あまりにもガチガチな自分の姿に、相手が疑問符を浮かべているのが手に取るようにわかる。
(何を話せばいいか分からない)
家族を除いて、大半の時間をレナードとガヴァネスとしか過ごさなかったマーガレットはとても内気に成長してしまっていた。
しかし、王太子妃の座を用意されていたマーガレットにそれは許されない。社交界での活動は必須だ。結果、作られたのが、フィンもよく知るであろう凛とした、もうひとりのマーガレットだった。
「少し散歩しないかい?」
ろくな返事もできない申し訳なさにどんどん小さくなるマーガレットにフィンが声をかける。
「ここに来るのは久々だし、君と花でも見れたらいいなって。案内をお願いしても?」
(花……)
花を交えれば幾ばくかマシな受け答えができるかもしれない、藁にもすがる思いでマーガレットは彼の手を取った。
「もちろんです」
ゆっくりとした足取りで、広大な庭園を説明を交えながら散策する。
「やっぱり綺麗だね。懐かしいや」
「はい、庭師が心を込めて手入れをしてくれているので――」
「あ。あれは?」
「あちらの花はクリスマスローズですね。あら? まだ見頃ではないはずなのですが……」
ゆったりと流れる時間にマーガレットの心の余裕も少しずつ顔を出し始めた。
そうして、穏やかな日々が続いて、あくる日。
「心配していたんだ。あの日、僕もいたからさ」
いつものように庭を散策して、休憩がてらベンチに腰掛けていたそんな折に、フィンが口火を切った。
あの日とはあの日のことだろう。
「深い憤りを感じたよ。僕なら、あんなことはしないのにって」
「フィン様……」
くるりとマーガレットに向き直ったフィンが徐に片膝を着く。差し出された手中では、リングケースに収まったダイヤモンドの指輪が輝いていた。
「マーガレット。僕じゃダメだろうか」
「ぇ」
「妻になってくれないか」
レナードに婚約破棄されて、はや一ヶ月。
巷では既に立太子したレナードと新たな番のエミリーの話題で持ち切りだ。
婚約破棄騒動直後こそ、マーガレットにも好奇の目が向いていたが、それももう落ち着いている。
自分を見上げる真剣な目にマーガレットは揺らいだ。
(あぁ、どうしたら)
もう一ヶ月、されど一ヶ月。
レナードから心が完全に離れたかと問われれば、十五年を捧げてきた相手をそうそう忘れることは出来ない。だから、答えは【否】ではある。
深く、深く、愛していた。
(でも)
マーガレットは伯爵令嬢である。
令嬢の使命は婚姻で家を発展させることだ。果たせなければ、それはただの穀潰し。もちろん、心優しいマーガレットの両親はずっと家にいて良いと言ってはいるが。
(もういいかしら)
マーガレットは現に婚約を破棄された【ニセモノ令嬢】として、嘲笑の的だった。
これ以上の申し出はないだろう。
「――よろしくお願いいたします」
差し出された手を包み込むように取り、ガバリと顔を上げたフィンに微笑んだ。
「やっっっっったー!!!」
「わっ」
自分を抱き上げてその場でクルクルと周るフィンがあまりにも嬉しそうで、マーガレットは思わず笑った。
それは、皆が待ちに待った瞬間だった。
久々に聞いた笑い声に陰から見守っていた者らは安堵した。
「必ず幸せにするよ!」
同じ人族の彼なら、番だなんだということは万が一にも有り得ない。
あんな絶望を味わうことはない。
この日を最後に、花が贈られてくることはなくなった。
最後の花はスイートピーだった。
(今度こそ、幸せになれる)
そう思っていたのに。
「ごめんなさいね? マーガレット」
あやふやな気持ちで答えたから、バチが当たったのだろうか。
「ごめん、マギー。ほんとに、ごめん……」
マーガレットはまた絶望の縁に立たされた。
幸せの前に立ちはだかるのはまたもやエミリーであった。
「なんだかみんな私のことを好きになってしまうみたいね?」
彼女は困ったように笑い「許してね」なんて言う。
「『許す』ってなに……?」
何故、自分がこんな目に合わなければならないのか。
(あぁ……もう、無理。ムリだわ……)
自分だけが世界から切り離されたように不幸だった。
(もう、頑張れない――)
◇◇◆◇◇
ジューンブライドといえば、女性なら誰もが憧れる幸せの花嫁の象徴。
――きゃあああああ!!!!
小聖堂のカリヨンが祝福の音を鳴らすが、それには似つかない驚愕の悲鳴がそれを上回った。
「マギー! マーガレット! 待ちなさい、お願い落ち着いて!」
そう叫ぶのはマーガレットの母だ。
くるりと向き直り、マーガレットは歪んだ笑みを浮かべる。
「私は落ち着いているわ……?」
「そうね、そうよね。わかったから、そこから降りなさい。お願いよ」
母親は娘を刺激しないようにと努めて声を落とすが、焦る気持ちが滲み出ている。
「いい子だから」
無理はない。
ハラハラと涙を流すマーガレットが立っているのは、ボールルームの二階バルコニーの手すりなのだから。
「あの人とは一緒にはなれない。無理……。無理なのよ」
「マーガレット。それだけじゃ、母様は分からないわ。お願いよこちらに来て、話して。何があったの」
フラッシュバックする先程の出来事にガクガクと足が震える。
『マーガレット、おめでとう』
『エミリー……』
新婦の控えの間で静かにその時を待っていたマーガレットの元へ、エミリーが訪れた。
この時、既にあの日から一年もの時間が経過しており、さすがのマーガレットもかつて婚約者を奪った恋敵に邂逅しても、気持ちが波を立てることはなかった。
ただただ凪いでいた。
『ありがとう』
なぜ、彼女がここにいるのかは単純明快。
マーガレットが元王太子妃だからだ。
国王と王妃がマーガレットをいたく可愛がっていた過去があり、異例ながらも伯爵家の結婚式に王と妃、そして王太子と王太子妃も参加することになったという経緯である。
『まだ何かあるの?』
形式的な挨拶だと、すぐに立ち去るものだと思っていた。しかし、エミリーは一向に部屋を後にしようとしない。
流石に顔を顰める。
いくら過去のことでも水に流せているほど風化もしていない。
(というか、この子自身も気まずくないのかしら)
運命の番という不可抗力的な要素が働いたからとは言えど、友人の婚約者を略奪したのだ。
深く喋るつもりなんて、こちらには微塵もないのに困る。
『あなたにね、謝らないといけないと、思って』
『え?』
雲行きが怪しい。
まるで、いつぞやの日を追体験しているようだ。
『マギー、お義母様が呼んでいて――』
コンコンと言うノックとともに顔を出したのは、もうひとりの主役である新郎のフィンだ。
助かったと思いフィンに声をかけようとした時、マーガレットは彼の表情の機微を見逃さなかった。
『エ、エミリー……どうしてここに』
『あら、フィンさん』
面識が無いはずの二人が、何故か親密な関係に見えた。
(そんなことって)
マーガレットはすぐに察した。
あぁまたなのかと。
『ごめんなさいね、マーガレット』
エミリーがするりとマーガレットの手を取る。
(嫌、嫌よ)
そう思っているのに、言っているのに、伝わらない。
『私ね――』
『ごめん、マギー』
エミリーの声を遮ったのは、開けた扉の前で立ち尽くしたフィンだ。
『やっぱり、君とは一緒になれない』
心臓を握りつぶされたかと思った。
『ごめん、マギー。ほんとに、ごめん』
息が吸えない。
『エミリーに恋をしてしまった。こんな気持ちで、君の家と縁を結ぶなんて出来ない』
誠実なのか不誠実なのか。フィンの言葉は右から左へとマーガレットの耳を通り過ぎていく。
そうして、座るマーガレットの前にしゃがんで下から覗き込んでくるエミリーと目が合った。彼女の顔がみるみるうちに卑しく歪む。
『みんな私のことを好きになってしまうみたいね?』
まるで相手が勝手に。とでも言うみたいだ。
彼女の表情からしてそうじゃないのに。
『許してね?』
許すとはなんなのか。
『キャッ! え、マーガレット?』
マーガレットはガタリと席を立つ。
(もうダメ、ほんとに。ムリ。もう無理)
エミリーの手を払いのけ、扉の前で居心地悪げに突っ立っているフィンを押し退けて、廊下に出る。
『あら、マギー。中々来ないから、迎えに来――マーガレット?』
迎えに来たという母をも無視して、訳も分からず走る。
どこに向かっているのかなんて、自分自身分からない。
『マーガレット!』
後ろからは母が自分の名前を叫ぶ声が聞こえる。
『う、うぅ……うわぁあああああああん』
泣き叫んで走った。
「う、うぅッ、ぐずッ」
たどり着いたのは、開けたバルコニーだった。
(なんで、どうして、なんで)
突如開け放たれた両開きの二階のガラス戸へと、中庭で新郎新婦を待っていた参列者の面々が顔をあげる。
――何事?
――あ、二階からブーケトスとか?
――えーなにそれ素敵すぎるわ!
――え、でもまだ挙式もしてないわよ?
脳天気な話し声が意味をなさない形でマーガレットの脳内を通り過ぎる。
そして、とうとうバルコニーの手すりに足を掛けた。
自分が何をしているか、混濁した思考の川を泳いでいる彼女は分かっていない。
「マギー!」
追いついた母と言葉を交わす。口を出る言葉は意志とは関係なしに、ボロボロと苦いものが出てくる。
ふわりと風が吹く。
特段強い風ではなかった。だが、マーガレットを空へと誘うには十分であった。
「あ」
マーガレットが手すりからとうとう足を踏み外した。
――きゃあああああああ!
その瞬間を目撃した者から悲鳴が上がる。
ぞわりとしたいやな浮遊感に対する嫌悪と、これで終わるんだという安堵がマーガレットの中で溶け合った。
(もう、次の人生なんていらない。この世に女神の救済が本当に存在するのなら、どうか私を生まれ変わらせないで)
しかし、望んだ終わりは来なかった。
「メグ!」
女神の代わりにマーガレットを迎えたのは、低く落ち着いた男性の声と身体をすっぽりと包み込まれる安定感。
それにどこか既視感を感じた。
「良かった……間に合った……」
恐る恐る目を開けて視界に飛び込んできたのは、とんでもない美丈夫だった。
「え――」
こんなド級のイケメンを忘れるわけが無い。
マーガレットの危機を救ったのは、この国で国王と王太子に続いて次に尊い人である王弟――改め、大公ユリウス・シューレンペールだった。
「大公様……」
マーガレットを横抱きにしたまま、危なげなく地上に降り立ったユリウスは彼女を見つめる。
「随分とよそよそしいな」
唖然と呟くマーガレットにユリウスは苦笑した。
「昔のようにユーリとは、もう呼んでくれないのか」
なぜ彼がこんなところにいるのか。
だが、すぐに思い直す。王に準ずる方々を皆招いているという事に。そりゃ、王弟であるユリウスもいるに決まっている。
(招待客の一覧に名前があったじゃない……)
王族でいえば、彼とはレナードの次に交流があった。まぁ、それもフィンと交流が途切れた時と同様の理由でなんとも短い付き合いだったが。
「ユ、ユリウス様」
「あぁ。――まぁ、今はそれでいいさ」
満足そうに頷くと、そっとマーガレットを解放する。
「どこか痛むところはないか?」
「はい、大丈夫、です。その、ありがとうございました」
ちろりと舌なめずりをしたユリウスがホッとしたように相好を崩す。
「みたいだな、良かった。じゃあ、メグ。俺の妻になれ」
「へ?」
文の前後が全くもって繋がらない。
「え、あ、え?」
「匂いが取れた」
「匂い?」
何のだ? とは質問できなかった。
「マ、マーガレットっ!」
息を切らせて駆け付けた母がひしりとマーガレットを抱き締めたからだ。彼女を抱き締める腕はふるふると小刻みに震えている。
「良かっ、た。ほんとに、良かった……」
衝動的とはいえ、申し訳ないことをしてしまった。
「お母さ――」
ごめんなさいと続くはずだった言葉は、不自然に途切れ、マーガレットの視線は母の肩越しにボールルームの入り口に縫い付けられていた。
「マーガレット!」
「マギー!」
足を踏み外したきっかけを作った二人が駆け寄ってくるのが見える。
(あ、そうだ。わたし――)
マーガレットはなぜ自分がバルコニーの手すりに足をかけていたのかを思い出した。悪夢のような出来事がフラッシュバックする。バルコニーから落ちたことじゃない、二度目の婚約破棄とエミリーの下卑た笑みだ。
(来ないで!)
何故かエミリーを前にすると途端に声が出なくなる。さっきと同じだ。ガタガタと足がまた笑い始める。
(もう止めてよ、これ以上何を望むのよ!)
叫びたいのに、ぶちまけたいのに、言葉が喉で塞き止められたように詰まる。
マーガレットの目線を辿り、何かが変だと気がついたユリウスがちろりと舌なめずりをする。
「マーガレット」
落ち着いた低音ボイスに意識がふわりと逸れる。
視界から二人を排除するように立ったユリウスが腰を折り、マーガレットと目線を合わせる。
「大丈夫」
そう言ったユリウスの感情は読み取れなかった。
「ユ、ユリウスさま??」
母の抱擁から抜け出したマーガレットが不穏な空気を背負ったユリウスを慌てて追いかけようとするも、足が竦んでその場から動けなかった。
(大丈夫ってどういうこと?)
くるりと踵を返したユリウスが、一直線にこちらへ駆けつけようとしている二人の首根っこを掴む。
「「「え」」」
重なったのはマーガレットとエミリー、フィンの声。
――ダアァァァァァァン!
次の瞬間、二人が地面に縫い付けられた。
一部始終を見た参列者たちがどよめき、ユリウスの突飛な行動に恐慄いた。
――やはり恐ろしいな。
――まただわ、何を考えているのでしょう。
――舌なめずりを見た時に俺は『あぁ』と思ったぞ。
――折角の結婚式を台無しにしたいのかしら。
――あぁ怖い。これだから蛇は嫌なんだ。
――まさか、花嫁を攫う気なんじゃない?
ヒソヒソと聞こえてくるのはユリウスに対するマイナスな言葉。それらに、彼が【最恐大公】との名前をつけられるほど貴族界では恐れられる存在だったことを思い出す。
(なんてこと言うのよ)
最後に聞こえた言葉は、怪しいことを言われたので当たらずとも遠からずだが。
マーガレットは好き勝手言う周りに憤った。
だがやはり、喉に力が入ると声が出ない。
「一体何事だ」
そのカオスな状況を更にカオスにする人物が投下された。
挙式に合わせてやってきた国王と王妃だ。
未だ中庭でたむろする一同に首を傾げる。
「エミリー?」
両陛下は開けたその場所の惨事に眉を顰め、ともにやってきた王太子は叔父の足元に転がった自身の婚約者の存在に目を白黒させた。
「レ、レナードぉ」
「叔父上! 一体何の真似ですか!」
自身の婚約者の危機と判断した王太子が一気にユリウスへ距離を詰める。
舌なめずりをしたユリウスは向かってくる王太子の覇気をいとも簡単に受け止めた。
二つの大きな力がぶつかり合う。
誘発される地響きに立っていられない。
「よさんか、二人とも」
そんな中、やはり冷静な国王が止めに入る。
「どういうことだ、ユリウス。余程の理由がないと、到底許されんぞ」
伸びた今日の主役のひとりと同じく地面に押さえつけられている息子の婚約者の存在に難色を示す。
統治者の鋭い眼光に、王妃とユリウス以外の皆が唾を飲み込む。
「臭わないのか、これが」
不快感に顔を顰めるユリウスに一同が首を傾げる。
「匂い、だと?」
王の視線が地面に貼り付けられた少女に移った。
「――私にはさっぱりだな。お前は舌がよく利くからなぁ。一体なんの匂いだと言うのだ」
「ダミアナだぞ、これ」
「なんだと?!」
ユリウスの言葉にマーガレットを含めた皆が動揺した。
「ダミアナって……」
マーガレットは思わず呟いた。
――え、重犯罪じゃない。
――おいおい。じゃあ、真の番とか怪しくねぇか?
――あの子あんなに自分だと豪語していたのに……。
疑いや軽蔑が混じった視線がエミリーを襲う。
「な、何よ! 私は未来の王妃よ! そんな目で見るなんて、レナードが黙ってないんだから!」
瞬く間に敵へと回った周囲にエミリーが毒づいた。
「レナード、なんとか言ってよ!」
レナードは「違う、こんなはずじゃ」と顔面蒼白に、エミリーどころじゃない様子だ。
「どこで手に入れた」
ユリウスの質問に間髪入れずエミリーが怒鳴る。
「煩いわね、何処でだっていいでしょ?! ただの香水じゃない何がいけないのよ?」
エミリーのあまりの世間知らずさに皆が絶句する。
「女はみんな、香水くらいつけるでしょ!」
違う、そういう問題じゃないのだ。
「巫山戯てるのか?」
ユリウスが嫌悪を隠しもしない目をエミリーに向ける。
「何? 何なの、はっきり言ってよ!」
ダミアナは外来種の花の名前だ。
この国では栽培は勿論のこと、種や苗の輸入、その多関連全てが禁止されている。
理由はダミアナが放つ匂いや成分が獣人の嗅覚を狂わせるから他ならない。特に催淫の効能が強力で、その昔、嗅いだ者がその匂いを纏った者を自身の番と勘違いしてしまうという事件が多発した事があるほどだ。
「金木犀に隠れて判り難いが、この女がつけている香水はえらく臭いぞ」
ユリウスが国王を見上げて顔を顰める。
「くさいって、何よ!」
運命の番を探すことすら困難にするダミアナは、獣人が八割を占めるこの国では危険以外の何物でもない。
「もう一度聞く、どこで手に入れた」
「あぁもう煩い! お父様よ! 男爵家に迎え入れてくれた日にプレゼントとして貰ったの! もういいでしょ?! あんた何なのよ? 何様?!」
その解答にまたどよめきが起こるが頭に血が上っているエミリーは周囲の様子を見る余裕もない。
「おい、兄貴。こんな突っ込み所しかない女を息子の嫁になんて何考えてる?」
「養女なことは知っていたが、まさかこんな……不甲斐ない」
「感覚も思考も鈍らせている全ての元凶はこいつが漂わせてるその臭いだ。とりあえず、これを嗅げ。嗅覚のリセットになる。まだ試験段階だがないよりマシだぞ」
ユリウスがそう言ってジャケットの内ポケットから取り出したのは試香紙だった。
受け取った国王が王妃と王太子に渡し、それぞれが鼻にムエットを翳す。
「衛兵! この者を取り抑えろ!」
「なんてこと――」
「あぁ……そんな」
それぞれ、目が覚めたように絶望の色を見せる。
「やめてよ!!!! 離してっ!」
国王が的確に指示を飛ばす横で、一歩後退った王太子がフラフラと辺りを見渡した。
「ねぇ、レナード。助けて? レナード!!」
衛兵に拘束されたエミリーが婚約者を呼ぶ。
しかし、彼には一切届きはしない。
ズルズルと連行される婚約者には目もくれず、彼が視界に捕らえたのはマーガレットだった。
「マーガレット――マギー……」
疲れ切った表情の元婚約者にマーガレットは恐怖を覚えた。
(来ないでッ!)
こんなこと望んでいない。
「ぃゃ……」
マーガレットの悲痛な呟きをレナードは逃さなかった。絶望を顔に滲ませ、その場に縫い付けられたように足を止める。
「君だった。君だったんだよ」
マーガレットはレナードの訴えを受け入れることは到底出来なかった。
「運命は……」
もう引き返すには、時は過ぎすぎてしまった。
(真実なんて、望んでいない)
首を横に振ることでしか返せない。
「マギー……」
「ごめんなさい……ごめんなさ、」
「メグ。謝るな。謝らなくていい」
両手で顔を覆ったマーガレットを包み隠すようににユリウスが抱き込んだ。
「レナード。お前がダミアナの毒牙にかかっていたことには同情するが、その持て余した感情をメグに向けるな」
ユリウスの規則正しい心音がマーガレットの乱れた感情を鎮めてくれる。
「これ以上何をこの子に求める。お前があの時、この子に言った言葉を俺はまだ……。これからも許さないからな。お前がこの結果を招いたんだぞ。拒絶されても仕方がないことを」
「ぇ」
「『祝福してくれる』だなんて――お前は言ってはいけない言葉をメグに向けたんだからな」
「あぁ……ぁあああああ……」
レナードが伸ばした手はマーガレットに届くことはなかった。
そして後日、マーガレットが身投げ(もどき)に走った理由を知ったユリウスと両親は激昂。
フィンもダミアナに毒されていたことが発覚したが、それで流すには事が大きすぎたため、一連の出来事の顛末を知ったフィンの両親も青ざめる事態に。
もちろん、フィンとの婚約は破棄(まだ結婚式をあげるギリギリ前なので)になった。
◇◇◆◆◇◇
「君がここにいるなんて、夢のようだ」
ハプニングで片付けるには重々しい結婚式から半年が経過した現在、マーガレットはユリウスの屋敷を訪れていた。
「大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか! 今まさに心臓が飛び出しそうだというのに」
マーガレットの手を引きながら、ユリウスが噛み締めるようにニマニマと笑う。
「来てくれてありがとう」
この半年間、こうして数度と会っているが屋敷へ呼び出されたのは今回が初めて。
「本当は俺が君のところに出向くのが筋なのだろうが」
「そんな、呼ばれれば来ますよ?」
もうそれほどの仲だろうなんて勝手に親近感を抱いているマーガレットだ。いつも来てもらっているのでたまにはと思って申し出たが、即座に切られる。
「いいや。俺が惚れているのだから、それが当たり前なんだよ」
ハッキリ言葉にされたのは今回が初めてだった。
「ほ、惚れ……」
花のせいとはいえ、二度も裏切られたマーガレットにはこれぐらい大袈裟なのがちょうど良いのかもしれない。
「だがしかし、その。今日はどうしても見せたいものがあってな――」
そうして連れられたのは、マーガレットの生家とは比べ物にならないくらいに広い庭園。
「綺麗……」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。俺が育てているんだ」
「え、ここ一帯、全てですか?!」
見渡す限り全てが花で彩られていた。
これを全て自分でとは畏れ入る。
「あぁまぁ。俺さ。まぁ見ての通り、花が好きなんだ。その、つまり――」
不自然に言葉を切ったユリウスを不思議に思いながらも、マーガレットは庭園を埋め尽くす花に興味が逸れてしまう。
(フリージアにポピー、あれは……マリーゴルド……)
他にも植えられた多種多様な花々にマーガレットは引っ掛かりを覚えた。
「あれ……」
目に届く範囲だけでも、かなりの種類の花全てにマーガレットには見覚えがあるのだ。
困惑するマーガレットを置いて、ユリウスが早口に言葉を紡ぐ。
「初めて君を見たのは、生まれたばかりの君が祝福名を授かりに王宮へ訪れた時だった。君を見つけた時、心が震えた。俺の唯一だと」
固まるマーガレットにユリウスがいつの間に摘み取っていた花を手渡した。
「だが何故か、それを感じたのは俺だけじゃなかった。レナードに掻っ攫われて君は王太子妃になった。一夫一妻な上、王弟は王の嫡子より立場は下だから、指を咥えて見ているしか無かった。君が幸せそうだったから、良くなかったけどそれで良かった。そして、状況はあの女が現れたことで一変した。メグ、君は絶望を感じていただろうが……。ごめんな、俺は叫ぶのを我慢することで精一杯なほど歓喜していた。チャンスだと思ったよ」
苦々しい笑顔で、花を持ったマーガレットの手を上から包み込む。
「ここまで言えば聡明な君ならわかるだろうが――」
一度ゆっくりとユリウスが深呼吸をする。
「花を贈っていたのは、俺だ。愛の告白のつもりだった」
そう告げたユリウスの顔は真っ赤だった。
「傷心の君にすぐに交際を申し込むのはどうも憚られて、君の中で気持ちに区切りが着くまではと、それまでは花で伝えようと……。それがまさか裏目に出て、早々に二度目の婚約が決まるなんて、思わないだろう……?」
「じゃあ、あの、最後の花は……、スイートピーは」
覚えていたのかとユリウスがどこか気まずそうに笑う。
「意味は色々あるが、一番は君の『門出』を祝う意味合いが強かったな。あとは、俺の決意を込めた」
決意が何を意味するかは頑なに教えてはくれなかったが、ユリウスの精一杯の優しい気遣いを感じて胸がきゅぅッと痛くなった。
(でも嫌じゃない痛み)
先程から地面を見つめるユリウスとは目線が合わない。
「ユーリ様」
マーガレットはわざと下から彼を覗くように、上目遣いで彼の視界へ入り込んだ。
「この花にも意味が?」
「あぁ――。あぁ、もちろんだよ」
二人揃って手に収められた鮮やかなピンクのマーガレットに目を落とす。
「花言葉は『真実の愛』だ」
[Fin]




