表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/32

第31話「倉庫の夜」

 倉庫の天井が、白かった。

 今回、大島は自分でダイブを切った。

 ヘッドセットを外して、チェアに座ったまま、天井を見た。

 今回のダイブは、シミュレーション内時間で九日間だった。

 点滴を外した。体を動かした。水を飲んだ。

 それからサーバールームに入らずに、倉庫の床に座った。

 壁に背を預けて、膝を抱えた。

 四十三歳の男が、倉庫の床に膝を抱えて座っていた。

 その姿を、もし誰かが見たら、おかしいと思うだろう。

 自分のほかには誰もいなかった。

 大島は膝の上に顎を乗せて、暗い倉庫の中を見た。

 山田の部屋の壁に、小さな額がかかっていた。

 その額の中身を、大島は確認していなかった。

 何が書いてあったのか?

 なぜか気になった。

 気になる。

 大島はその感情を、確認した。

 山田というエージェントの部屋の設定ファイルを開けば、壁の額の内容は確認できる。

 しかし大島は、設定ファイルを開かなかった。

 開く代わりに、次にダイブした時に確認しようと思った。

 山田に、「あの額は何ですか?」と聞こうと思った。

 次にダイブした時に。

 大島はその言葉が自分の中にあることを、静かに確認した。

 次がある、という前提で、考えていた。


 ノートを取り出した。

 黒い表紙のノート。

 フェーズ2のページを開いた。

 現実世界での実行。

 その文字を見た。

 長い時間、見た。

 それから、ペンを取った。

 フェーズ2のページに、一行だけ書いた。

 書いてから、ノートを閉じた。

 床に置いた。

 天井を見た。

 無数にあるサーバーのファンが低く唸っていた。

 三十二万四千のエージェントが、今この瞬間も、二〇〇三年の大阪で生きていた。

 橋本が煙草を吸っているかもしれなかった。田辺が土に向かっているかもしれなかった。山田が静かな部屋で茶を飲んでいるかもしれなかった。

 大島は天井を見ながら、その光景を想像した。

 想像することが、今夜は苦ではなかった。


 朝になった。

 倉庫の外に出ると、冬の光が目に刺さった。

 もう十二月になっていた。

 大島は冬の空を見た。

 高く、青い空だった。

 スマートフォンに、メッセージが届いていた。

 吉岡からだった。

「お元気されてますか?俺は今、実家の近くで仕事を探しています。餡子、また作りましょう」

 大島はそのメッセージを読んだ。

 シミュレーターの外からのメッセージではなかった。シミュレーターの中で、吉岡が大島に送ったメッセージだった。

 現実世界では、吉岡は存在しない。本来であれば、シミュレーターの中からこちらの現実世界にメールを送ることはできない。大島が月額数百円で契約したレンタルサーバーをメールサーバーとして割り当てることで初めてシミュレーター内部から送られたメールを、こちらの現実世界のメールとして受け取ることができる。ダイブする以前の自分であれば、わざわざこんな事していなかっただろうな、と大島は思った。 

 大島の手の中にあるスマートフォンの画面に、吉岡の言葉があった。

 「餡子、また作りましょう」

 大島は少し、笑った。

 小さな笑いだった。

 しかし確かに、笑った。

 返信を打った。

「元気にしています。また作りましょう」

 送信した。

 冬の空の下で、大島は少しの間、スマートフォンを持ったまま立っていた。


 倉庫に戻って、床に置いたノートを開いた。

 フェーズ2のページを見た。

 昨夜書いた一行があった。

 こう書いてあった。

 「保留」

 大島はその一文字を見た。

 消さなかった。

 書き直さなかった。

 ノートを閉じた。

 ヘッドセットを手に取った。

 装着した。

 点滴のチューブを確認した。

 目を閉じた。

 意識が溶けていく前の、最後の一瞬。

 大島は思った。

 山田さんの部屋の、あの額に、何が書いてあるか。

 聞きに行こう。

 暗闇の中に、溶けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ