表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/32

第30話「山田からの電話」

 田辺と話した翌日、大島は中村と二人になる機会があった。

 田辺が用事で早退して、農地に中村だけが残っていた夕方だった。

 中村は大島を見ると、珍しく話しかけてきた。

「吉岡さん、辞めたんですね」

「そうです」

「大島さんが引き止めなかったと、橋本さんから聞きました」中村は言った。「意外でした」

「なぜですか」

「こういう商売で、技術者を手放すのは損やと思って」中村は言った。「大島さん、いつも合理的やから」

「合理的ではなかったですね、今回は」

「そうですね」中村は言った。それ以上は追わなかった。

 中村はしばらく黙って作業を続けた。

 それから、ふと言った。

「俺はいつ、切られますか」

 唐突な質問だった。

 大島は中村を見た。

「切る予定はありません」

「本当ですか」

「本当です」

 中村は少し考えた顔をした。

「田辺さんに比べると、俺は使い勝手が悪いのはわかっとります」中村は言った。「農業の経験も浅いし、細かい仕事が得意やない。橋本さんの紹介やけど、それほど深い関係でもない」

「それで」

「いつ用が済んだら終わりか、ずっと考えとります」中村は言った。「ビクビクしながら仕事するのも、しんどくて」

 大島は中村を見た。

 この人間のことを、大島はあまり深く考えてこなかった。

 田辺の代替として入ってきた人員。農作業の補助。それ以上の位置づけを、大島は与えていなかった。

「中村さん」大島は言った。

「はい」

「俺はあなたのことを、ちゃんと見ていなかったかもしれない」

 中村は少し目を丸くした。

「突然、何ですか」

「思ったことを言いました」大島は言った。「あなたがここにいる理由を、俺はちゃんと考えたことがなかった」

「理由て、橋本さんの紹介で」

「そうじゃなくて」大島は言った。「あなたがここにいることの、あなた側の理由です。何があってここに来たのか」

 中村はしばらく大島を見た。

 それから、農具を地面に置いた。

「長い話になりますよ」

「時間はあります」


 中村の話は、長かった。

 もともと建設会社に勤めていた。現場監督をしていた。会社が倒産して、職を失った。再就職がうまくいかなかった。家族との関係が壊れた。気づいたら橋本の組の末端で、荷物の運搬をしていた。

「そうやって流れてきました」中村は言った。「ドラマみたいな話やないですよ。ただ、一個一個失っていっただけで」

「家族は」

「別れました。子供が二人います」中村は言った。「会えていないです、ずっと」

「会いたいですか」

「会いたいですよ」中村は言った。「でも、今の俺の状況で会いに行けるわけがない」

 大島は黙っていた。

「大島さんは、家族はいますか」

「いません」

「そうですか」中村は言った。「俺は、いる方が辛いこともありますね。いない方が、割り切れるかもしれない」

「そうは思いません」大島は言った。

「なんで」

「あなたに会いたい人がいるというのは、あなたがここにいる理由になると思うから」

 中村はしばらく大島を見た。

「どういう意味ですか」

「子供に会えるようになるために、生きていく理由があるということです」大島は言った。「俺にはそれがない」

 中村は少し黙った。

「大島さんに、生きていく理由がないように見えないですけど」

「そうですか」

「なんか、必死に何かを探しとるように見えます」中村は言った。「それが何かは、俺にはわからんけど」


 その夜、大島は一人で農道を歩いた。

 中村の話が、頭の中にあった。

 会えない子供の話。失っていくだけだった話。

 これもパラメーターの出力だ。

 大島は思おうとした。

 しかし、「必死に何かを探しとる」という中村の言葉が、それより先に来た。

 俺は何かを探しているか。

 歩きながら、考えた。

 フェーズ2は、まだ動いていない。

 動かない理由を、大島はずっと「データの精度を上げるため」と自分に言い聞かせてきた。

 しかしそれは、もう嘘だった。

 データは十分に揃っていた。とっくに揃っていた。

 では何のために、まだここにいるのか。

 俺はここにいたいのか。

 その問いが浮かんだ。

 大島は立ち止まった。

 夜の農道の真ん中で、立ち止まった。

 山の向こうに、かすかに街の灯りが見えた。

 紀の川の向こうの、どこかの町の灯りだった。

 ここにいたい。

 その感情が、大島の中にあった。

 否定できなかった。

 橋本がいるから。田辺がいるから。中村がいるから。吉岡がいなくなっても、この場所に何かが残っているから。

 しかし、ここは俺が作った世界だ。

 それも、事実だった。

 二つの事実が、大島の中で並んでいた。

 どちらを選ぶか、という問いではなかった。

 どちらも本当のことだった。

 大島はその両方を持ったまま、歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ