第13話「現実」
大島幸隆は目を開けた。
倉庫の天井が白い。
白い部屋。点滴のチューブが左腕に刺さっている。心拍モニターが、規則正しい音を立てている。ヘッドセットを外すと、耳に静寂が戻った。
現実世界だった。
自動覚醒プログラムが作動していた。設定した連続ダイブ時間の上限、七十二時間を超えたために、システムが強制的に意識を引き戻したのだ。
大島は体を起こした。
体が重かった。三日間、点滴だけで生きていた故の体の重さだ。足が痺れている。首を動かすと、パきパキと音が鳴った。頭が重い。
立ち上がって、ゆっくりとサーバールームに移動した。
ラックの前に立って、モニターを確認した。シミュレーターは正常に動いている。三十二万四千のエージェントが、今この瞬間も、二〇〇三年の大阪で生活を続けている。
吉岡も、橋本も、山田も、今もそこにいる。
大島はモニターの数字を見た。
数字だった。演算リソースの使用率。エージェントの活性状態。イベントの発生頻度。
すべて正常だった。
大島はモニターから目を離した。
窓のない倉庫の中は、昼か夜かもわからなかった。スマートフォンを確認すると、午前三時だった。
大島は床に座り込んだ。
体を動かす気力がなかったのか、それとも別の理由があったのか、自分でもわからなかった。
冷たいコンクリートの床に座って、大島は何も考えない時間を、少しだけ持った。
吉岡は今、工場にいるか、家にいるか。
橋本は今、煙草でも吸っているのだろうか?
そういう考えが、浮かんだ。
浮かんで、消えなかった。
大島は壁を見た。
鉄骨と断熱材でできた、無機質な壁だった。
これが現実だ。
大島は言い聞かせた。
倉庫と、サーバーと、点滴のチューブと、冷たい床。これが現実だ。向こうは違う。向こうは俺が作ったものだ。向こうにいる人間は、全員俺が設計したパラメーターから生まれた存在だ。
それは正しかった。
しかし大島は、暗い倉庫の床に座りながら、一つのことが気になっていた。
吉岡が工場の床を見ていた、あの表情が。
あんな表情を生成するパラメーターを、自分は設定した覚えがない。
気のせいかもしれない。設定した覚えがないだけで、実際には組み込まれているのかもしれない。膨大なパラメーターの中の、一つの出力に過ぎないのかもしれない。
大島は立ち上がった。
水を飲んだ。体を動かした。
三十分後、再びヘッドセットを装着した。
点滴のチューブを確認した。モニターの数値を確認した。
目を閉じた。
戻る。まだデータが足りない。
意識が溶けていく前の、最後の一瞬。
大島は、自分がなぜ急いで仮想世界に戻ろうとしているのかを、あえて考えなかった。




