第12話 亀裂
第二回の製造から、さらに二ヶ月が経った。
流通ルートは、橋本のネットワークを通じて大阪市内に広がっていた。売上は順調だった。山田の介入以来、外部からの干渉は無かった。
大島は毎日、データを取り続けた。
流通のボトルネック。価格設定の最適解。警察の動向パターン。摘発リスクが高まる条件と、それを回避する方法。買い手のセグメント別の特性。リピート率と離脱率。
これらをすべて、脳内に蓄積した。
現実世界に持ち帰るためのデータとして。
あと三ヶ月もすれば、十分な情報が揃う。
大島はそう計算していた。
そうしたら、いったんダイブを切り上げて現実世界に戻る。フェーズ2を始める。
問題は、吉岡から来た。
ある夜、製造作業が終わった後、吉岡が工場の隅に座って動かなくなった。
大島が声をかけた。
「どうしました」
吉岡は少し間を置いてから、言った。
「今日、中村さんから聞いたんですけど」
「何を」
「うちの製品を使った人間が、先月、一人死んだそうです。過剰摂取で」
大島は吉岡を見た。
吉岡の顔は、沈んでいた。
「知ってました」大島は言った。
「知ってたんですか?」
「橋本さんから報告がありました。使用者の問題です。品質の問題ではない」
吉岡はしばらく黙っていた。
「大島さんは、気にならないんですか」
「気にはなります」大島は言った。「ただ、それはこのビジネスやる以上当たり前に起きます」
吉岡は顔を上げた。
普段と違う目をしていた。何かを決めようとしている目だった。
「俺、少し限界かもしれません」
大島は吉岡を見た。
離脱フラグ。
大島の頭の中で、冷静な分析が走った。
吉岡のパラメーターに、道徳的葛藤への感受性が設定してあった。長期的な関与によって、そのパラメーターが閾値を超えた。想定の範囲内の展開だ。対処方法は三つある。金銭的インセンティブの増加、感情的な説得、または代替人員の確保。
大島は選択した。
「吉岡さん」
「はい」
「あなたがいなければ、このプロセスは回りません」大島は言った。「本当のことです。あなたの技術は、代えが利かない」
吉岡は黙っていた。
「報酬を上げます。次の製造から、取り分を倍にします」
「お金の問題ではないんです」
「それはわかります」
大島は少し間を置いた。
「あなたが感じていることは、正しいと思います。それは否定しません」
吉岡が顔を上げた。
「ただ、一つ聞かせてください」大島は続けた。「あなたが今ここを離れた場合、あなたの生活はどうなりますか。橋本さんとの関係は?あなたが知っていることを、あなたが黙っていられる保証は?」
吉岡の顔が、少し変わった。
大島は続けた。
「あなたを脅しているわけじゃない。ただ、現実を確認しているだけです。あなたが出口だと思っているものが、本当に出口かどうか」
しばらくの沈黙があった。
吉岡は工場の床を見た。
「わかりました」吉岡は最終的に言った。「続けます」
大島は頷いた。
「ありがとうございます」
吉岡が先に帰った後、大島は一人で工場に残った。
蒸気釜の前に立って、電源を落とした釜を見た。
さっきの会話を、頭の中で再生した。
自分が言ったことを、一言一句、反芻した。
正しかった。合理的だった。吉岡を引き止めるために最も有効な手段を選んだはずだ。金銭的インセンティブは効かないと判断し、現実的なリスクを提示することで離脱を防いだ。
これは現実世界でも使える手法だ。技術者を離脱させないための、有効な心理的拘束の方法として記憶しておく。
大島はそこまで考えて、止まった。
工場の中が、静かだった。
換気扇を止めたから、虫の声が聞こえた。遠くで、川が流れている音もした。
大島は、今自分がやったことを、もう一度考えた。
吉岡は、人が死んだことに動揺していた。
大島はそれを、出口のない場所に追い込むことで黙らせた。
合理的だった。
もう一度、そう思おうとした。
しかし、今度は少し時間がかかった。
吉岡の顔が、頭の中にあった。工場の床を見ていた、あの顔が。
大島は工場を出た。
外に出ると、夜風が来た。山の夜の、涼しい風だった。
大島は空を見た。
俺は今、何をしている?
問いが浮かんだ。
追い払った。
予行演習だ。これは全部、現実のための練習だ。吉岡はAIだ。死んだ使用者もしょせんはデータだ。俺が感じていることは、レンダリングレベルの錯覚だ。
大島は歩き出した。
農道の砂利が、足の下で鳴った。
その音が、やけにはっきり聞こえた。




