21 隣国の王子に誘拐される。
目が覚めると、誰かに抱き締められていた。優しく頭を撫でながら、「大丈夫ですよ」と囁いてくる。僕はぼんやりとした頭のまま、その人に擦り寄った。額に口付けが落ちてくる。
もっと撫でてもらいたくて、その人の胸に顔を押し付けた。すると、彼は僕を抱き締める腕に力を込めてくれた。優しく背中をさすられ、気持ちが安らぐ。
僕はゆっくりと目を開いた。目の前にクラウスの顔がある。僕が起きたことに気が付くと、彼は微笑んだ。
「目が覚めましたか? カミル殿」
クラウスにそう囁かれて、僕は飛び起きた。僕の身体を腕で押さえつけているクラウスを認識して周囲を見渡す。馬車の中にいるようだ。馬蹄の音と揺れが身体に響いてくる。
「え! ここどこ!? あれからどのくらい時間たった? シャルロッテは!!?」
混乱しながらも、次々と問いかけてしまう。するとクラウスは穏やかな声で僕に話しかけてきた。
「落ち着いて下さい。お疲れでしょう。私がいるから、もう大丈夫ですよ」
クラウスはそう言って微笑むと、僕の背中をポンポンと叩いた。心地よい振動が伝わってきて、僕はなんだか眠くなりそうな気がした。でも今はそんな場合じゃないと思い直す。しっかりしなくては。
「シャルロッテは既に修道院に戻っています。数々の御無礼な発言をお許しください。……彼女は心の病を患っているのです。あの男に閉じ込められていたせいで、歪んでしまったようです。カミル殿への失礼は私が代わりに謝罪いたします」
「あの男……?」
気になる発言はあったが、シャルロッテが修道院に戻っていると聞き、僕は少しだけ安心した。シャルロッテが誘拐される心配がなくなったからだ。そうなると、今の状況が気になってくる。
「あの、どこへ向かってるんですか?」
恐る恐る尋ねてみると、クラウスは真剣な表情を浮かべて答えた。
「アブドル王国……私の生まれ育った国です。共に行きましょう。間もなく国境です。必ず貴方を幸せにしますから」
クラウスは僕を見つめながらそう告げる。その瞳からは強い意志が感じられた。しかし、彼の発言に僕は益々困惑するばかりだった。
「えっと……何故僕がクラウスさんと一緒に行く必要があるんでしょうか……」
僕が震える声で尋ねると、クラウスはフッと優しく微笑んだ。
「カミル殿……シャルロッテの告げた話は全て戯言ではありません。先日も貴方は学園で泣きながらあの男から逃げ出そうとされていたでしょう?……可哀想に。あの男は貴方に執着し過ぎています。恐らく卒業後は監禁した上で、貴方を自分の所有物にしようとしているのでしょう。私はそんな未来を阻止すべく、貴方を迎えに来ました」
「へ……?」
クラウスの突然の宣言に僕は呆然となる。彼は一体何を言っているのだろうか? 意味がわからない。あの男ってレオンハルト王子のこと? 泣きながら逃げてたって、甘味欠乏症に成りかけた時の事を言ってる? だとしたらとんでもない誤解である。
「貴方がもし、あの男やその仲間が追って来る可能性を心配していらっしゃるのであれば、その可能性を潰しにかかりますのでご安心ください」
「え? え??」
それってアリシアの言ってた卒業パーティーでの全員惨殺事件なのでは? え? ええ?
あれ?
ひょっとして僕、誘拐されている?
***
派手な音を立てて馬車が急停車した。何事かと前方に目を遣ると、窓の外には騎士団と思われる人物達が複数集まっており、何やら揉めている様子だった。しばらく膠着状態が続いた後、突如剣戟の音が辺り一面に鳴り響いた。悲鳴があちらこちらから響く。金属同士がぶつかる音や人が倒れる鈍い音などが耳に入ってくる。何が起きているのだろうか。
「ああ……鬱陶しい。あと少しなのに。こんなところで邪魔立てされるなど……」
クラウスは忌々しげに呟くと僕の額にそっとキスをしてきた。僕は思わず固まってしまう。するとクラウスはさらに強く抱き締めてきた。
「すぐに片付けますから、待っていてください。もし、私が戻らなければ……」
耳元で囁かれ、彼は僕から身体を離した。そしてこちらを振り返ることなく馬車の扉を開けると、するりと出て行った。
外では変わらず激しい戦闘音が聞こえてくる。段々と大きくなる甲高い悲鳴。怒号も多数上がる。
馬車の中に放置され、ガタガタと震えながら不安になる僕の目の前で、ノックの音もなく扉が再び開いた。中に入ってきたのは、笑顔のレオンハルト王子だった。何故、王子がここに?
「やあ、待たせたね。カミル。迎えに来たよ。帰ろうか」
そう言って爽やかに微笑む彼からは、いつもの薔薇の香りではなく血の匂いが立ち込めていた。王子はいつも通りの優雅な仕草で馬車に乗り込むと、僕の隣に腰掛けた。鮮烈な血の臭いが何故か鼻腔を刺激する。黒衣の騎士服に身を包んだ彼は息ひとつ乱していない。腰に下げている宝剣には研ぎ澄まされた刃を煌めかせている。
日常生活と同じ仕草を心がけているのかもしれないが、僕の知らないレオンハルト王子の一面が垣間見えた気がした。
王子は青ざめて震えている僕の頬の傷跡に触れると、悼まし気な顔をして言った。
「君を怯えさせてしまったみたいだね。すまない。……怖い思いをさせたくなかったんだけど……カミルを失うくらいなら、他はどうでもいいから……」
王子は僕の手を優しく握りしめながら心底ホッとしたように呟くと、僕の額に口付けてきた。そしてそのまま頬を擦り寄せている。彼の頬はヒンヤリと冷たい。王子は暫く僕に顔を寄せて何かを確認するようにじっと静止した後、おもむろに僕を抱き寄せてきた。
「帰ろう、カミル。……俺と、一緒に帰ってくれる?」
僕を抱き締める腕は微かに震えている。今までに見たこともない弱々しい態度で言われたので、僕は戸惑いながらも応えた。王子の方が何かに怯えているみたいで、僕は逆に少しずつ落ち着いてきた。
「はい、……一緒に、帰りたいです」
王子は僕の返答を聞くと嬉しそうに目を細めた。軽く口付けられた後、王子は何故かハンカチで僕の目隠しをする。僕はされるがままだ。
「カミルに余計なものを見せたくないんだ。馬車を移動するから、これを取ってはダメだよ」
目隠しをされたまま、王子に抱き込まれて馬車の外に出ると、途端に辺りの温度が低下したような気がした。僕の身体を包む体温だけが熱を持っているみたいだ。途中、騎士団員らしき人が王子に報告に来たようだったけれど王子が「後で聞く」と冷たい声で追い払っていた。
その後別の馬車に乗せられたのか、体感する揺れが変わる。新しい馬車は乗り心地が良く揺れも少ないようだ。王子は僕を膝の上に乗せると、やっと目隠しを取ってくれた。
馬車の中は壁際に備え付けられているランプの灯りで仄かに照らされていた。王子は僕の身体を引き寄せると、なにかを確かめるように額を合わせてきた。体温の低い肌と柔らかな感触が伝わってくる。
「他に怪我は無い? 何もされてない? あの野郎に触られたりなんかしてない?」
王子は僕の両頬を手で挟み込みながら念入りに顔や体をチェックしてくる。その手つきが妙に艶めかしくて擽ったい。至近距離にある端正な顔立ちは緊張しているのか、普段よりも少し青白い気がする。
「大丈夫です! あ、いや、えと……少し、色々、触られましたけど……」
今度は嘘をつけなかったので、正直に伝える。すると途端に不機嫌そうな雰囲気を纏った王子は鋭い目付きになると、僕の瞼や唇に次々と口付けを落とし始める。徐々に場所を変えていくにつれ、だんだん深いものへ変わってゆく。
最終的には貪るように深く激しい口吸いをされた。何故だか今日の王子は情熱的に求めてくる。
「わりぃ、レオ。アイツ逃がしたわ。国境超えられたかも」
ノックもなく、突然馬車の扉が強引に開かれると同時に騎士服姿のフランツが怠そうに入って来たのが見えた。
僕は慌てて王子から離れようと踠くが、腰をしっかりと抱え込まれていて離れられない。
「……やはりサッサと殺しておくべきだったな」
王子は僕を抱き締めながら、冷たく吐き捨てるように言い放った。
「いや国際問題になるだろ。落ち着けよ」
フランツが密着したままの王子と僕を白い目で眺めながら、呆れ果てた口調で窘めていた。
***
その夜、僕は無事に自宅に戻ることが出来た。「本当は帰したくないけど」と呟く王子を宥めるのが大変だったが。実家の家族が心配しているであろうこともあり、王宮より解放されたのだった。
「無事で良かったわ。前から言ってたでしょ? お菓子くれるからって、ホイホイ知らない人について行くなって……」
アリシアが腕を組みながら怒った口調で言った。僕はその場で反省のポーズをしながら俯くしかない。だが、今はそれよりアリシアに確認しなければならないことがある。
今日は、卒業式の三日前だ。
何故か、僕は今日クラウスに誘拐されかけた。そしてクラウスはどうやら逃亡中らしい。そのまま国境を越えてしまっているなら問題ないが、万が一王国内に潜伏しているかもしれないと考えると背筋が凍りつく思いだ。
その場合は、アリシアが言っていた『全員惨殺』ルートになるかもしれない。
多分、まだ終わっていない。




