19 主人公に餌付けされる?1
翌日は、朝からどんよりとした雲が空一面に覆い尽くしているせいか、湿っぽくて重い空気に包まれていた。まるで僕の今の気持ちを表しているような気さえする。
その日、レオンハルト王子は待ち合わせ場所の中庭に来なかった。
急用で行けなくなったらしい。伝言を預かったという使用人に書簡を託された時は、がっかりした。王子からの伝言には詳しいことは書かれていなかったのだが、その後僕はアリシアから、理由を聞くことができた。
「シャルロッテが行方不明らしいのよ」
王子が来れなくなった理由は、シャルロッテだった。彼女は昨夜忽然と修道院から居なくなり、現在行方不明らしい。今は密かに捜索が行われているそうだ。
「少し状況は違うけど、『ゲーム』のイベントで同じような流れがあったわ。卒業パーティーの開催三日前に主人公が誘拐されるのよ。犯人はアブドル王国の第三王子クラウス。学園内では虐められ、第一王子であるレオンハルトからは執着され行動を制限されていた彼女を助けるためって筋書きだけどね。そこで主人公はクラウスを攻略するんだけど」
アリシアの話を聞いて僕は唖然とした。そんな恐ろしいことになっていたなんて知らなかったのだ。
その日、王子が来ないのは分かっていたけど、僕は結局いつもの中庭へ行き昼食を摂ることにした。今日のメニューはシューケーキ。プリンみたいなカスタードクリームが挟まっていて幸せの味がするはずなのだが、一人で食べてもいつもほど美味しく感じられないかもしれない。
そんな風にぼんやりしながら歩いていたからか、芝生の段差に躓いてしまう。ふらついてバランスを崩すと同時に手に持っていたケーキの箱が地面に投げ出された。蓋が開いてしまい、せっかくのおやつたちがあっと言う間に土埃に塗れてしまう。同時に、僕自身は薔薇の生垣に顔から突っ込んでしまった。薔薇の棘が頬を掠めて痛みが走る。
「痛っ!!」
ズキズキする頬を押さえつつなんとか立ち上がると今度は枝に引っ掛かって制服のシャツのボタンが弾け飛んでしまった。シャツ一枚なので露わになった胸元に風が当たり寒さが増す。
折角のシューケーキが土まみれで食べられなくなった上にこのザマだ。最悪である。
「……っつ~」
僕はボタボタと涙を零しながらその場に蹲った。恥ずかしさと悔しさで涙が止まらない。でも、本当はそれだけじゃない。
レオンハルト王子にとっては、僕よりシャルロッテの方が大事なんじゃないかって。そんな疑念が頭から離れずグルグル駆け巡ていた。遂には嗚咽まで漏れ始める。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を隠そうとして両手で覆う。こんな醜態晒したくないのに、止まらない自分が情けなくなるばかりだ。
「君……どうしたの?大丈夫かい?」
その時だった。後ろから突然声を掛けられ驚いて振り向くと、そこには黒髪の青年――クラウスが立っていた。どうしてここに?と考える暇もなく彼は素早く跪くと僕にハンカチを差し出してきた。
「あ……ありがとう……ございます」
受け取る手が震えて上手く掴めない。それでもなんとか掴み取り顔を拭いたがもう遅かったようで、頬の傷と涙に濡れた跡までは隠せなかったらしい。彼の顔が強張るのがわかった。気まずい雰囲気が流れるなか、僕はとにかく誤魔化そうと言葉を探すことに必死になった。
「あの……僕ちょっと転んでしまって……そ、それで」
吃りながらなんとか事情を説明しようと試みるものの、うまく纏まらず途中で中断してしまう。そんな僕を見てクラウスは僅かに眉根を寄せた後、何か納得した様子で小さく頷いた。
「……カミル殿。辛かったでしょう。そんな嘘をつかなくても大丈夫です。貴方の今の姿を見れば、貴方かどんな目に遭ったのか容易に推測できますよ。……愚かな者がこのような狼藉を働くとは……許せないな」
「ちち違います! これは事故であってっ!!」
制服のシャツのボタンが外れて肌蹴てしまっているのに加えて、僕がワンワン号泣している姿を見られたせいで大変な誤解をされてしまった。全く嘘はついていないのに。非常に気まずい。
彼は慣れた様子で自らの上衣を脱ぎだした。止める暇もない速さだった。脱いだ服を僕の肩にかけてくれると同時に、座り込んでいる僕の膝裏に腕を回して抱き上げられる。所謂お姫様抱っこだった。なんという紳士的な振る舞い。いきなりのことに僕は硬直してしまい抵抗できなかった。
「あ、あの! 降ろしてください!!」
「大人しくして下さい。あとで安全な場所へ送り届けてあげますから。……ただ、申し訳ございません。妹と待ち合わせをしていますので、少しばかり一緒にお待ちいただけますでしょうか?」
クラウスが庭園を移動しつつ尋ねてきたので、戸惑いながらも頷く。僕は彼に抱えられたまま、いつも王子と一緒に座っているベンチから少し離れた位置にある木陰へ連れ込まれてしまう。
「妹さんって、この間話してた?」
何とか質問しようとするも緊張で声が上擦ってしまう。それを察したのか彼は宥める様に微笑みかけてきた。
「そうです。私は幼い時に父上の祖国であるアブドル王国に戻ってしまいましたから。こうやって学園で再会出来るとは思わなかったので本当に嬉しいんです。妹と言っても血のつながりは全くありませんけどね。お菓子を手作りしたそうです。カミル殿に会えれば彼女も喜ぶでしょう」
木陰に腰を下ろしたクラウスの膝の上に僕は乗せられている状態だ。居心地悪く身じろぎすれば、クラウスが優しく腰を支えてくれた。逃げようとすると引き戻されてしまう。それどころか彼は更に距離を縮めて来て、ぴったり密着する形になってしまう。どういう状況だ、これ。
そんな思考を巡らせていたところ、不意に後ろから足音が聞こえた。反射的に振り返ると、この学園の制服を着た女子生徒がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
ふわりと風になびくピンクブロンドの髪、薄紅色の唇、薔薇色の頬、まるで天使のような絶世の美少女がそこにいた。手には小型のバスケットを持っている。
その少女は僕たちの存在に気づいたようだった。大きく目を見開いた後、すぐに目を逸らし俯いてしまう。頬が紅潮し瞳は潤んでいるように見えた。どうやら照れているらしい。
「……クラウス、あ、あの、貴方が膝の上に抱えている御方は、ひょっとして……」
「以前話したカミル殿だ。お前、会いたがっていただろう?」
そうクラウスが説明すると同時に彼女は僕に突進してきた。
「カミル様!! 会いたかった!!! 私ずっと貴方に逢いたくて逢いたくて逢いたくて逢いたくてっ!! 本物おにカワすぎて激ヤバですぅ!!」
ピンクブロンドの美少女は目に涙を浮かべながら、意味不明ワードと共に僕に飛びついてきた。彼女の華奢な腕が僕の背中に周り力一杯抱き締められる。柔らかい身体が押し付けられてドキドキする。香水だろうか甘い香りが漂ってきた。
すると、僕のお腹に回されていたクラウスの腕にグッと力が込められた。今度は彼女を引き剥がすようクラウスは僕を引き寄せ、そのまま彼の腕の中に抱き込まれて後ろから羽交い締めにされてしまう。
「シャルロッテ、離れなさい。カミル殿が困っている」
「クラウスずるい!! 私もカミル様に癒やされたいっっ!!」
ピンクブロンドの美少女ことシャルロッテは、クラウスに向かってプリプリ怒って文句を言い始めた。なんだか状況がよく分からない。
「カミル殿、彼女が先ほど話していた妹です」
クラウスは淡々と僕に語りかけるが、僕は事態に全くついていけなかった。
今、クラウスは彼女のことを何と呼んだ?
「え? シャルロッテって、まさか……」
僕は愕然となった。
「あ、ごめんなさい! ちょっと興奮してつい……、えっと、はじめまして、カミル様」
改めて向き合う形になった美少女は、満面の笑みを浮かべている。やはり可愛らしい。庇護欲を掻き立てられる可憐な容姿と仕草に魅了されてしまいそうになる。
「シャルロッテ・エルスハイマーと申します。実家が潰れてしまって路頭に迷っていましたが……今はレオ様に保護されております。私、ずっとカミル様にお会いしたくて、レオ様にもアロイスにも何度もお願いしてたのに、会わせてもらえなくて、だから最後の手段でクラウスと取引してお願いしたんです! 私、ずっとカミル様とお茶しながら、お話ししてみたかったんですよ!」
シャルロッテはそう言うと、僕の手をギュッと握り締めてきた。
彼女はニコニコしながら、大きなコバルトブルーの瞳で僕の顔を覗き込んでくる。整った顔立ちはまるで人形のようだ。
だがしかし、僕の思考は完全に停止していた。何故かというと、今まさに目の前にいるこの美しい少女こそが、現在進行形で行方不明中の筈の彼女だったからだ。
「え? シャルロッテって……え?」
アリシアが話していた『ゲーム』の主人公、正真正銘、本物の『シャルロッテ』である。
僕の頭の中は大パニックを起こしてしまい、思わず後退りしてしまいそうになるが、クラウスの胸板によって阻まれて逃げることができなかった。
「あ、あの、修道院から消えたって聞いたけど……、本当にシャルロッテなの? なんでこんなところに……」
僕はオロオロしながら、シャルロッテを見つめた。彼女はあどけない笑顔を浮かべて、僕を見つめている。
「てへへ、そんな大袈裟な! カミル様とどうしても会いたくて、クラウスに頼んでちょっと抜け出しちゃっただけですよ! レオ様を誘き出すために、攫われたっぽく演出しちゃったけど」
シャルロッテがパチンと可愛らしくウインクをした。
「え、ええーっ!! なんでっ!?」
僕は驚愕のあまり、卒倒しそうになった。
「うふふ。戸惑ってるカミル様、とっても可愛い!」
すると、シャルロッテはまた僕の手を握り締め、グイグイ迫ってくる。僕は積極的な彼女に圧倒されてしまう。
「シャルロッテ」
クラウスが僕の背後からシャルロッテに注意を促すとシャルロッテは、はたと動きを止め、申し訳なさそうに謝ってきた。
「……カミル様とご一緒にお喋りできる機会なんて夢みたいで、嬉しくって!……あのね、カミル様、よろしかったらこれから皆でお茶会しましょう。私お菓子づくりが趣味で、今日はクッキー焼いてきたんです。クラウスがカミル様をちゃんと捕獲してくれたので、夢が叶えられそうです。えへへ」
シャルロッテが瞳をキラキラ輝かせながら、僕を見つめてきた。
「え? えっと……僕、あまり時間が……。そ、それに修道院では多分騒ぎになってるよ。すぐに連絡した方が……みんな多分心配してるよ」
僕が狼狽えながらクラウスの方を見ると、クラウスは僕のお腹に回している手に再び力を込めてきた。背後にいるので表情が分からないが、声色は穏やかだ。
「ご安心ください。すでに神官長へ連絡を入れています。私がお傍におりますので、問題はありません」
クラウスはそう述べると僕の肩越しにシャルロッテを見遣った。その視線を受けて彼女はニッコリ笑ってから頷いている。
「はい。お茶会が終わったら素直に修道院に帰りますね。なので、少しだけカミル様を独り占めしたいのですが……ダメですか?」
シャルロッテは大きな瞳を潤ませ上目遣いで訴えかけてくる。まるで捨て犬のように哀愁漂う眼差しを向けられると、胸が締め付けられる思いになる。どうしたものかと思案していると、ふと思い出したことがあった。
アリシアは卒業パーティーの数日前に、主人公がクラウスによって誘拐されるといった内容を語っていた。もしそういった展開が起こっているのであれば、本来なら主人公は今頃危機的状況下である筈なのだ。しかし現実はどうかというと目の前の美少女はクラウスに対して和やかに接しているではないか。コレって『クラウス』のルートに入ってるってこと?
その場合、クラウスと主人公は確か隣国へ逃走する。そして残された人々は卒業パーティーで……
(全員惨殺……)
脳裏を過った恐ろしい想像に、僕の全身から血の気が引いた。青ざめてプルプル震えだした僕を見兼ねたのか、クラウスが「大丈夫ですか?」と優しく背中を撫でてきた。
「カミル殿、シャルロッテはずっと修道院内に閉じ込められていたのです。外の世界に憧れていたので可哀想になり、私がこっそりと国へ連れ帰ろうとしましたが……」
「そ、それはダメ!!」
アリシアの警告に従い、咄嗟に僕は叫んでいた。クラウスは怪訝な表情を浮かべている。




