16 隣国の王子に餌付けされる。
卒業パーティーが数日後に迫るある日の昼下がり。
僕は中庭でいつものように花壇の花に水をやっていた。最近はレオンハルト王子と会えない日でも、なんとなく中庭に来てしまう。その場合はここで一人ぼっちでお菓子を食べて過ごすことが多くなっていた。寂しさはあるけれど、こんな日も悪くないかなと自分に言い聞かせている。
水の入ったジョウロを片手に持ち替えながら、ふと視線を感じた。
「君は、この学園の生徒ですか?」
背後から突然低く威厳のある声で問いかけられた。振り向くと、そこには見たことのない美丈夫が立っていた。漆黒の髪に紫水晶のように輝く瞳。端正な顔立ちに鍛えられた逞しい身体。そして身に纏う豪奢な衣服は明らかに高位貴族のものだった。しかし制服ではないし、学園では見かけない顔だった。
青年は僕の顔を少し驚いたように見つめた後、ニコリと微笑んだ。まるで太陽のように眩しい笑顔だ。彼の雰囲気に圧倒されて僕は言葉を失った。
「ああ……すまない。失礼しました。私はアブドル王国から参りましたクラウスと申します。この学園にしばらく滞在させていただくことになりました」
流暢な公用語で挨拶された。アブドル王国は大陸最大の国家で、豊富な資源と強大な軍事力を誇る大国だ。かつては鎖国政策をとっていたが最近では外交政策の転換を図っており、周辺諸国との関係強化を目指しているらしい。彼も留学生か何かだろうか。少なくとも僕には縁のない存在だ。
ただ、どこかで彼の名前を聞いた覚えがあるような気がする。
「カミル・ローズハートです。この学園の3年生です」
緊張しつつも僕は答える。するとクラウスと名乗った青年が片膝をついて跪き、僕の手を取ると甲に口づけた。驚いて固まっている僕を見て彼は微笑みながら立ち上がると、
「本物にお会いできて光栄です。とても可愛らしいですね。想像以上の可愛さです」
などとさらっと告げてきた。驚愕しながらも僕は曖昧に笑みを返すことしかできない。普通は女性に対して使うセリフだと思うのだが……。というか、本物ってどういうことだ? 偽物の僕がいるとでも言うのだろうか?
「あの、失礼ですがクラウスさんは何故……」
「呼び捨てで結構ですよ。私のことはクラウスと呼んでください」
「で、でも」
「では私もカミルと呼びますね」
そう言って彼は満面の笑みで僕を見つめた。完全にペースを握られている気がする。彼の圧倒的なオーラと完璧な容姿に気圧されっぱなしだ。
「この学園には薔薇がたくさん咲いているのですね。美しい場所です」
「えっ? ああ、そうですね……」
咄嗟に周囲を見渡す。確かにこの中庭は学園の中でも薔薇が多いエリアだ。季節に関係なく、赤やピンクなどの色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りが漂っている。
「特にこの色の薔薇が素敵だと思います。真っ白ですね」
クラウスが近くの花を指差して僕に微笑みかける。本当に爽やかで眩しい笑顔だ。心の中で(眩しっ!)と叫ぶ。
しかし彼はこの場に何をしに来たのだろうか?
クラウスは僕の反応を観察するように見つめている。居心地が悪くなり視線を逸らそうとした時、急に彼の顔が僕の耳元に近づき囁いてきた。
「カミル殿は甘いものは好きですか? 実はこちらに来る際に我が国のお菓子を持参したのですが……良ければ、一緒に食べませんか?」
突然の申し出に僕は戸惑った。甘いものが大好きなことは事実だが初対面の相手と2人きりというのは少し躊躇われる。ましてや彼のような超絶美形ならなおさらだ。レオンハルト王子からも苦言を呈されている。他人からもらう食べ物は控えろと。断ろうとした矢先、彼はすでに僕の返事を待たずに僕の手を引っ張って歩き出した。
「あちらのベンチにしましょう。薔薇が綺麗に咲いていますし、天気が良いので外で食べるのは気持ちが良いでしょう?」
「えっ? あの……でも……」
僕の戸惑いなど気にも留めず彼はどんどん進んで行く。仕方なく後をついていった。ベンチに着くと彼はさっそく包みを広げた。中には丸い形をした茶色の塊がいくつか入っている。初めて見る食べ物だ。
「これは我が国で広く親しまれている『パム・パンプキン』というパンの一種です。皮ごと焼いた南瓜を薄くスライスして揚げたものですよ」
「……はあ」
言われてみれば南瓜の甘い香りがする。彼はそれを一つ取り出して僕に渡してくれた。表面はかりっとしていて中はしっとりとしている。一口食べてみると予想以上の甘さに驚いた。
「うわっ! これすごく甘くて美味しいですね」
思わず顔を綻ばせた僕を見て、クラウスは嬉しそうに目を細める。
「そうでしょう? 私は小さい頃からこれが大好きなんですよ。手で直接持ちやすいですし、移動中の携帯食としても便利なのです。妹とよく分けあいました」
「……妹さんが、いるのですか?」
「はい、妹は事情があってこちらの国におりまして。今度久し振りに会うことになりました。お菓子づくりが趣味らしいのですが、非常に楽しみです。今度是非カミル殿にも紹介させてください」
クラウスはそう言いながら自分の分を袋から取り出し、嬉しそうに齧りついた。その横顔は凛々しく整っているが、食べる仕草は意外と豪快で少年っぽい。ギャップがあって面白いなと思いつつ見惚れてしまう。
「もう少し召し上がりますか?」
「あ、はいっ」
「では口を開けてください」
「えっ?」
驚いて目を瞬かせていると、彼はニコニコしながらパンプキンを一つ摘まんで僕の口元に持ってきた。このシチュエーションはあれだ。レオンハルト王子から禁止されてたやつ。餌付け……
「あの……、自分で食べられますので……」
「遠慮することはありませんよ。ほら」
そう言って彼は強引に僕の口にパンプキンを押し込んで来た。意外と積極的だ。仕方なく咀嚼するしかない。甘さが広がって幸せな気分になる一方で、恥ずかしさが勝る。頬が熱くなっているのがわかる。しかし当の本人は全く気にせず楽しそうに笑っているだけだ。
「カミル殿は本当に可愛いですね」
「え?」
突然の言葉に思わず聞き返してしまう。彼は悪戯っぽく笑いながら、僕の口に再びパンプキンを押し当ててくる。食べるしかない。その後も無言で口を開けさせられ彼の手から直接パンプキンを受け取る羽目になった。口の中に彼の指が入ってしまわないよう気をつけながら頬張る。甘さについ顔が綻んでしまうのは許して欲しい。
彼は嬉しそうに笑っていたが、その笑顔にはどこか含みがあるように思えた。彼は一体僕をどう思っているのだろう。単なる餌付け対象なのかあるいは……




