14 第一王子に抱き締められる。
きちんとお別れしよう。
そう決意して2週間経過しても、僕は未だに王子にそのことを伝えることが出来ずにいた。
王子の婚約者はアリシアだし、彼の本命は本物のシャルロッテなのだ。僕はそもそもお別れする立場にないということに、気が付いてしまった。つまり僕の独りよがりな勘違いにすぎなかったということだ。別れなんて告げたら、さらに恥を晒すことになりはしないだろうか。
ただ、王子とは、普通に会って一緒にお茶するだけならまだしも、最近は恋人同士のような触れ合いがどんどん増えてきている。
王子から触れられることを僕は期待してしまっているし、「好きだよ」と言われると心臓が跳ね上がる。抱き締められると温かさを感じてとても落ち着く。それを受け入れていいのかと逡巡するのだが、離れたくなくなってしまう。そもそも毎日会いたくなっている。けれども胸が痛くなる感情を持つ立場に僕はいない。そんな気持ちになるのが申し訳なくなる。
「やっぱり元気ないな。体調悪い? 甘さが足りなかったかな。蜂蜜もう少しかけて食べる?」
学園の中庭で、僕はいつものように王子の膝の上に跨っていた。たっぷりと蜜がかけられた焼き菓子を口の中に入れられた後、心配そうに王子が呟いた。甘い香りが鼻腔に広がる。
「……いえ、大丈夫です。美味しいです」
僕は咀嚼しながら答えた。
「そう? 最近、甘いものあげても幸せそうに笑わないから、心配だな」
王子は僕の頬を撫でると、指についた蜂蜜を自分で舐めた。いつもは僕に舐めさせてくれるのに。その後にキスされるのも嬉しかったのに。そう思うと涙腺が緩んでしまいそうで焦る。
基本的に王子はいつも優しく、僕のことを気遣ってくれる。僕といる時はいつも楽しそうで、時折照れ臭そうに笑うのが可愛いと感じる。会って顔を見れば、やはり好きだと思って胸が苦しくなってしまう。
「こっそり抜け出してきたから、そろそろ追手が来そうだ。嫌だが戻ろうかな。カミル、すまない。この先また忙しくなりそうだから、中庭にはしばらく来られないかもしれない」
王子は残念そうに呟いた。どうやら、僕が別れを切り出す必要はなさそうだ。王子の方から遠ざかってくれるなら都合がいい。これ以上期待しないですむ。
僕はなんとか微笑んで頷いた。
「大丈夫です。殿下のお仕事がお忙しいのは当然ですから。……僕は、大丈夫です」
王子が心配しないようにと、僕は笑顔を作ったつもりだった。
腰に回されていた王子の手がゆっくり外され、優しい手つきで僕を膝の上から降ろそうとしてくる。僕は思わず王子の袖口を掴んでしまった。
嫌だ、と素直に思った。嫌だ、このまま離れたくない。
「……カミル? どうかした?……もしかして震えてる?」
「……殿下」
言いかけた言葉は飲み込んだ。泣きそうになるのを我慢するため、唇を噛み締める。
僕は手を伸ばして王子の頬に触れると、強引に引き寄せて王子の唇を舐め、そのまま口付けた。王子は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに受け入れてくれた。
「んっ……ぅ」
僕は夢中で唇を貪った。甘い。もっと深く繋がりたくて、王子の首に両腕を巻き付ける。王子は応えるように、僕の腰を抱き寄せ、さらに深く口付けてきた。
舌を絡ませて口腔内を探ってくる。気持ちいい。溶けてしまいそうだ。ずっとこうしていたい。王子に全部委ねてしまいたい。この時間が永遠に続けばいいのに。
「ぷはっ……」
結局僕は息が続かなくなって一旦唇を離した。酸欠で頭がクラクラしている。王子は僕の腰に手を回したまま、僕を見下ろす。顔が近い。お互いの息がかかる距離だ。心臓が高鳴る。
「カミル、どうした? 随分積極的だね」
「……蜂蜜、が」
「……ああ、なんだ。舐めたかったのか。ごめんね」
「違います」
僕はブンブン首を振って否定した。違う、そうじゃなくて。僕は貴方に触れたくなった。触って欲しかったんだ。離れたくなくて。一緒にいたいと願ってしまって。だから、つまり。
「好きです」
僕の口から勝手に言葉が漏れた。もう止められないと思った。堰を切ったように、涙が溢れる。
『ゲーム』なんて僕は知らない。
僕はアリシアのように転生もしていない。だから、自分の未来がどうなるか分からない。
これは、強制力なんかじゃない。誰かに影響されたものでもない。
自分がどうしたいか、なんて最初から答えは既に決まっていた。僕の周囲の人たちは、この人から逃げ出すなら手伝ってくれると言ってくれたけど、一緒にいたいと言ったら軽蔑されてしまうのだろうか。
でも、僕は今更自分の気持ちを誤魔化すことができない。もう遅い。これは僕自身の感情であり、僕の意思であり、僕の願望だ。
僕はこの人とずっと一緒にいたい。
「カミル?」
「僕はレオンハルト殿下が好きなんです」
「知ってるよ」
王子が僕の頬に触れ、涙を指先で拭いながら柔らかく笑う。
知ってる? じゃあどうして? 僕は貴方が好きなのに、貴方は僕に何も教えてくれない。貴方にはまだ婚約者がいて、でもそれを解消しようとしてる? それは他に本命の人がいるから? 王子の態度や言動の真意が全く見えない。不安でいっぱいになる。
「殿下にとっては僕は一体何ですか? 僕は貴方と離れたくないし、ずっと傍にいたい。……僕は一体どうすればいいんですか?」
「カミル」
王子は困惑した表情で僕の名前を呼んだ。そしてそのまま僕を抱きしめた。腕の中に閉じ込めるように強く。
「俺もカミルが好きだよ。大好きだ。カミルにずっと傍にいて欲しいし、離したくない。不安にさせてすまない。けど、俺が君を愛してる気持ちに嘘はないから」
「本当ですか?」
「本当だよ」
王子は微笑みながら僕の額にキスを落とした。優しい温もりを感じて涙がまた溢れる。
「……卒業まで、待っていて欲しいんだ。カミル」
「卒業まで?」
「うん。きっと、その後は誰よりも幸せにしてみせるから。ずっと一緒にいることができるようにするから。そのために今頑張ってる。だから、それまで俺を信じて待っていてくれる?」
王子の目が真剣だった。瞳の奥に強い光を宿している。嘘ではなさそうだ。僕は小さく頷いた。
「……わかりました」
「ありがとう」
王子の声が耳元で響いた。安堵しているようだった。
僕は王子の言葉を信じることにした。不安はあるけれども、それでも彼を信じたいと心から思った。信じてみよう。一緒にいたいから。
それに、王子が僕を求めてくれたことに舞い上がっていた。嬉しかった。僕はもっと王子と繋がりたいと渇望している。この人が望む限り一緒にいたいと素直に思ってしまった。
王子は僕の頬にそっと触れた。そしてまたキスをする。今度は先ほどより長く深く。互いの体温を分け合うかのように何度も角度を変えながら唇を重ね合わせる。唇だけでなく頬や額にも優しく落とされていく。その感触が心地よくて微睡むような感覚に陥る。
「おいこら。サボり魔王子。探しましたよ。何カミルとイチャついてるんですか」
レオンハルト王子を捕獲しにやってきたコルネリウスから溜息混じりに声をかけられるまで、僕たちは抱き合ったまま口付けを繰り返していた。
何も知らなかった僕は、その瞬間、たしかに幸せだった。




