逃げ出した自動人形
昨夜の死闘――もとい、新作魔薬の被験という名の拷問――から一夜。
疲労困憊で意識も朦朧とした僕が、よろよろと研究室の床掃除をしていると、背後からやけに上機嫌な声がかけられた。
「レオ!見なさい、ついに完成したわよ!」
声の主はもちろん、僕の主人であるファウスティナ様だ。
徹夜明けだというのに、その美貌は少しも衰えず、むしろ新たな発明品を前にして瞳は爛々と輝いている。その有り余る元気を少しでいいから分けてほしい。
彼女が自慢げに掲げてみせたのは、手のひらにちょこんと乗るサイズの、金属でできた人形だった。
全体的に丸っこいフォルムで、昆虫のようにも小動物のようにも見える。六本の足で器用に自立し、頭部には大きな水晶の目が一つ。ガラクタと薬品の匂いが充満するこの研究室において、その無機質な輝きはどこか異質な存在感を放っていた。
「これは……ゴーレム、ですか?」
「ただのゴーレムと一緒にしないでちょうだい。『自律思考型・汎用雑務処理君三号』よ。私の代わりに、面倒な雑務の一切を完璧にこなしてくれる、次世代の助手なのさ!」
ファウスティナ様は得意げに胸を張る。
しかし、そのネーミングセンスの壊滅っぷりには、心の中でそっとツッコミを入れておいた。それに三号ということは、一号と二号はどこへ……?いや、考えたくもない。きっと悲惨な末路を辿ったに違いない。
「まあ、見てなさい」
ファウスティナ様がゴーレムの頭に指で触れると、その水晶の目がカッと青い光を灯した。
小さな機械音と共に起動したゴーレムは、器用に足をもぞもぞと動かし、ファウスティナ様の手のひらの上でくるりと一回転してみせる。
おお、なんだか少し可愛いかもしれない。
「すごいじゃないですか!これなら、僕の仕事も少しは楽に……」
「え?何言ってるの?これは私の助手であって、君の助手じゃないわよ。君は今まで通り、私の身の回りの世話から、危険な実験の後片付けまで、馬車馬のように働きなさい」
「……はい」
一瞬抱いた淡い期待は、無慈悲な一言によって打ち砕かれた。
まあ、そうですよね。知ってました。
満足したのか、ファウスティナ様はすぐにゴーレムへの興味を失ったらしく、「あとはよろしく」とだけ言い残して、それを机の隅にぽんと置くと、また別の怪しげな研究へと没頭し始めてしまった。
本当に、この人の興味の移り変わりは嵐のようだ。
◇
数時間後――僕は言われた通り、研究室の掃除を続けていた。 ファウスティナ様は相変わらず研究に夢中で、時折ぶつぶつと独り言を呟いている。 そして机の隅では、起動したままの小型ゴーレムが、青い単眼をきょろきょろと動かしながら、静かに待機していた。
そんな、比較的平和な時間が流れていた、その時だった。
僕が薬品棚の上段に手を伸ばした拍子に、バランスを崩し、棚に積まれていた空のビーカーを数個、床に落としてしまったのだ。
ガシャン!と、けたたましい音が研究室に響き渡る。
「このドジ!何をやっているのよ!」
「も、申し訳ありません!」
ファウスティナ様の鋭い叱責が飛んできて、僕は慌てて縮こまる。
だが、その音に最も激しく反応したのは、僕たちではなく、机の上の小さな住人だった。
青い光を放っていたゴーレムの単眼が、突如として警戒を示すように赤色に点滅。
そして次の瞬間、驚異的なスピードで机から飛び降りると、脱兎のごとく研究室の扉へと向かって走り出したのだ。
「あ、こら!待て!」
あまりの俊敏さに、僕の反応が一瞬遅れる。ゴーレムは僕の制止を無視し、扉の下にあるわずか数センチの隙間に、その小さな体を滑り込ませて、廊下へと姿を消してしまった。
「あら、逃げ出したわね」
ファウスティナ様は一瞬だけゴーレムが消えた扉に目をやったが、面倒くさそうに眉をひそめると、僕に顎をしゃくった。
「レオ、あんたが捕まえてきなさい。私の最高傑作をなくしたら、どうなるか分かってるでしょうね?罰として、新作の『脳が痺れる薬』の実験台よ」
「そ、そんな……!」
理不尽な命令に反論しようとしたが、彼女の冷たい視線に言葉を飲み込む。奴隷である僕に、拒否権はない。
「……かしこまりました。すぐに連れ戻します」
僕は重い足取りで扉へと向かう。
ファウスティナ様の命令で追いかけるだけなら、まだマシだった。しかし、僕の呪われた目は、その単純な『お使い』が、命懸けの任務であることを冷徹に告げていた。
扉の隙間、ゴーレムが消えたその場所に、ゆらりと陽炎のように浮かび上がる、毒々しい黄色の文字。
【魔力暴走による自爆】
「ひっ……!」
僕は息を呑む。
(やっぱり欠陥品か!しかも爆弾!)
どうする?ファウスティナ様に報告するべきか?いや、ダメだ。彼女は「ちょうどいいわ、爆発のデータも取りなさい」とか言い出すに決まっている。それに、禁忌魔法のことも絶対に知られるわけにはいかない。
そうなれば、やることは一つ。
ファウスティナ様の命令を遂行しつつ、僕が一人であのゴーレムを無力化し、惨事を未然に防ぐしかない。
僕は覚悟を決め、研究室を飛び出した。背後から「さっさとしないと薬の量が増えるわよ」という悪魔の声が聞こえた気がした。
◇
王宮の石造りの廊下は広く、そして複雑に入り組んでいる。
僕は必死に周囲を見回し、あの小さな逃亡者の姿を探した。
「どこだ……どこに行った!?」
幸い、ゴーレムは逃げる際に、微弱な魔力の痕跡を残していた。僕のかろうじて人並みレベルの魔力探知でも、なんとかその軌跡を追うことができる。
痕跡を辿って角を曲がると、廊下の先をちょこまかと走る小さな金属の塊を発見した。
いた!
しかし、その様子は明らかに異常だった。
ゴーレムは廊下の壁に設置された魔力灯に近づくたびに、その光を吸収しているかのように、自身の青い輝きを増しているのだ。
(まさか、周囲の魔力を無差別に吸収する欠陥があるのか!?)
だとしたら、あまりにも危険すぎる。
王宮の中には、警備用の防衛術式や、貴族たちが持つ強力な魔道具など、魔力の塊がそこら中に転がっている。
そんなものを手当たり次第に吸収し続ければ、いずれはキャパシティを超えて暴走し、自爆するだろう。
それが、あの【死亡フラグ】の意味。
僕は速度を上げ、ゴーレムとの距離を詰める。
しかし、相手も魔力を吸収してパワーアップしているのか、そのスピードはどんどん上がっていく。
まるで追いかけっこをしているようだ。衛兵に見つかったら、不審者として捕まりかねない。
「くそっ、止まれ!」
僕が小さな魔力の矢を放って威嚇するが、ゴーレムはそれをひらりとかわすと、あろうことか、その魔力の矢さえも吸収してしまった。
逆効果か!
追い詰められたゴーレムは、近くにあった一つの扉――古い魔道具を保管しているだけの、薄暗い物置部屋――へと飛び込んでいく。
好都合だ。ここでなら、人目につかずに捕獲できる。
僕は息を整え、ゆっくりと物置部屋の扉を開けた。
中は薄暗く、埃っぽい。
使われなくなった魔道具の数々が、雑多に積み上げられている。
そして、その部屋の中央。
ゴーレムは、大量の魔道具から溢れ出す残留魔力を、まるでご馳走を前にした子供のように、一心不乱に吸収していた。
その身体は、もはや直視できないほど眩い青白い光を放ち、ブーンという不気味な唸りを上げている。 そして、その背中に浮かぶ【死亡フラグ】は……いつの間にか、血のように禍々しい赤色に変色していた。
(まずい、まずいまずい!もう限界だ!)
爆発まで、もはや一刻の猶予もない。
どうすればいい?魔力を使えば、さらに暴走を加速させるだけだ。
物理的に捕まえようにも、下手に近づけば感電死、あるいは爆発に巻き込まれて圧死、良くて熱で焼かれて焼死だ。
どの未来も、僕が望むものではない。
絶望的な状況に、思考が停止しかける。
その時、僕の脳裏に、昨夜の出来事が閃光のように蘇った。
(そうだ、あれがある……!)
僕は懐に手を入れ、指先に触れる革袋の感触を確かめる。中には、昨日使った「中和スライムの粘液」がまだ半分ほど残っていた。
ファウスティナ様はあれを「どんな魔薬の効果も初期化してしまう失敗作」と呼んでいたが、昨夜の分析で彼女はこうも言っていたはずだ。『魔力反応がほとんど消失してる』と。
そうだ、あれはただ薬の効果を打ち消すだけじゃない。
魔薬とは、液体に溶け込んだ魔力そのもの。つまり、あの粘液は液体に溶け込んだ不安定な魔力を分解し、霧散させる性質があるんだ!
だとしたら……?
魔薬という、ある程度安定した形で存在する魔力にさえ効くのなら、今目の前で暴走している、剥き出しでより純粋な魔力の塊に対しては、もっと強く作用するんじゃないか?
これは一か八かの賭けだ。もし仮説が間違っていれば、僕の体は木っ端微塵になるだろう。
でも、何もしなければ、結末は同じだ。
(……やるしかない!)
僕は物置部屋の隅に、錆びついた金属製のバケツが転がっているのを見つけた。
これだ。
僕は覚悟を決めると、自身の持つ微弱な魔力を極限まで絞り出し、小さな、本当に小さな光の玉を一つだけ作り出す。 そして、それを狙いを定めて、バケツの中へと放り込んだ。
案の定、魔力の光に引き寄せられ、ゴーレムがバケツへと猛スピードで突進する。
金属の体に魔力を纏ったゴーレムが、バケツの中に飛び込んだ、その瞬間。
「今だ!」
僕は持っていた革袋を、バケツの中に全力で投げ込むと、すぐさま近くにあった木箱の蓋を拾い上げ、バケツに叩きつけるように被せた。
直後、バケツの中から、世界が圧縮されたかのような鈍い音と、蓋の隙間から漏れ出す眩い光が一瞬だけ迸る。
そして、全ては沈黙した。
恐る恐る、バケツに近づく。
中から、何の音も聞こえてこない。僕は震える手で、ゆっくりと蓋を開けた。
そこには、全ての光を失い、ただの金属の塊に戻った小型ゴーレムが、黒い煙を上げて転がっていた。
中和スライムが、暴走する魔力を見事に無力化してくれたのだ。
「……助かった」
僕はその場にへたり込み、安堵のため息を漏らした。
今回も、なんとか死なずに済んだ。
◇
僕は誰にも見つからないよう、完全に機能を停止したゴーレムを懐に隠し、足早に研究室へと戻った。 幸い、ファウスティナ様は僕が戻ったことにも、彼女の最高傑作(笑)がどこで何をしていたかにも、全く関心がないようだった。
ゴーレムを机の隅に戻し、僕は中断していた掃除を再開する。 一見、何も変わらない日常。
しかし、僕の懐の中には、もう一つの「秘密」が増えていた。この欠陥品のゴーレム、 このままではただのガラクタだが、もし僕の知識で改造し、魔力吸収の欠陥を制御できるようになれば……。 それは、いざという時に僕の命を救う、「切り札」になるかもしれない。
僕は誰にも気づかれないよう、口の端に微かな笑みを浮かべた。
理不尽な日常の中で、ほんの少しだけ、未来を切り開くための武器を手に入れた、そんな気がしたからだ。




