エリザベートは凛と立つ
その夜は特別なパーティーが開かれていた。アラン王太子の婚約者がお披露目されることとなり、名立たる貴族達を呼び盛大な夜会が開かれることとなったのだ。
招待客達は主役の登場を今か今かと待ちながら、噂話に興じていた。
「御婚約者様はあの妖精姫の妹らしいわよ。さぞかしお可愛らしいんでしょうね」
「あら、私の娘が同じ学園に通っているのだけど、あまり似ておられないそうよ。妖精姫が麗しい花なら、彼女はその葉のように安心感のあるお顔立ちだとか」
「まぁ。どうりで本日は綺麗に装った花が多いこと。この中から葉っぱを見つけ出すのは骨が折れそうだわ」
「そうねぇ。殿方も、美しい花に目移りしてしまうかもしれないわね」
「御婚約者様、しばらく学園をお休みされてるそうよ。そしてずっと城に籠っているとか。王妃教育の進捗が思わしくないのかしらね?」
「ううん、多分それはないと思うわ。とっても成績優秀だそうだもの。……学園では、このパーティーの為にご自分を磨いてるんじゃないかってもっぱらの噂よ」
「あらぁ。結構な期間と聞きましたけど」
「しょうがないわ。石ころを鑑賞に耐えるまで磨くなんて、どう考えても時間がかかるでしょう?」
「フフフ、大変そうね。宝石とまでは言わないけど、キチンと見れる程度ならいいのだけど」
クスクスとあちらこちらでさざめくように笑いが広がる。
今日は妙齢の女性は皆競うように一段と美しく装っていた。
北の大国との戦争が終わった後初めての華やかな会だからということもあるが、このパーティーで王太子に見初められることを夢見る者も多い。
なにせ、直系王族の人数が少なすぎるのだ。現在健在なのはジェイド国王とアラン王太子、そして前国王の3人しかいない。王妃になるのはエリザベートだとしても、あまりに少ない王家の血を増やすため側妃や寵姫を据える可能性はある。そして、冴えないエリザベートからアランの寵愛を奪うことはそう難しくないと考える者は、とても多かった。
淑やかな笑みの裏で牽制し合いながら、年頃の令嬢達はソワソワとアラン王太子の入場を心待ちにしていた。
異常な程の熱気が渦巻く中、ついに王家の入場が告げられる。
初めに入ってきたのは、ジェイド国王とミレナ王妃だった。
その姿に、主に年配の貴族から驚きの声が漏れる。
ミレナ王妃には顔に大きな傷があったはずなのだが、それが見当たらない。化粧で隠すのも難しい程大きく醜い傷痕のはずなのに、その痕跡すらわからないのだ。さらに、身に纏うタイトなドレスは大胆に背中と胸元がさらされたものなのに、見える範囲に傷がない。ミレナ王妃を傷物王妃と蔑み楽しんできた者達の顔が困惑に歪む。
露出の多さに恥じらうように頬を染め、ジェイド国王に隠れるように寄り添うミレナ王妃は誰が見ても美しく、いつもの騎士然とした姿とは違い、色香が漂う様だった。見惚れた何人かが邪な視線をおくり、察知したジェイド国王に微笑まれ小さくなっている。
さらにその後ろからアラン王太子とエリザベートが姿を表すと、会場が大きく騒めいた。
アラン王太子に手を引かれ堂々と歩くエリザベートに、誰もが目を奪われ、呼吸さえ忘れて見惚れた。
輝くような美しい金髪は緩やかに編み込み後頭部で一纏めにされていて、頭の小ささを引き立てている。ミレナ王妃と揃いのデザインのドレスは身体のラインがわかるものなのに不思議と下品さはなく、その抜群のプロポーションを惜しげもなく魅せつけていた。
フリルやレースをたっぷり使いパニエ等で膨らませた流行りのデザインのドレスの中で、シンプルながら質のいい生地の光沢や美しい肢体を見せつけるようなそのドレスはひどく目立った。
そして、その顔立ちはあまりに美しすぎた。雪のように美しい真白の肌には、整いすぎて作り物めいた印象まで感じるパーツが並べられている。華やかな笑みを浮かべる唇はまるで薔薇の花弁のよう。少し吊り上がり気味の目元は寒色系のアイシャドウで彩られ、ともすれば冷たく見えそうなのに、頬に塗られたチークの上品な艶感が透き通るような透明感を与え、ただ美しいという印象しか感じない程昇華されている。
何より、自信に満ちた表情がエリザベートの美しさの源だろう。浮かべる笑みにも、佇まいにも、以前は無かった自信が満ちあふれていた。枯れた花が水を与えられ息を吹き返したように、生命力に満ちた様は他を圧倒するような荘厳さに満ちている。
その姿はまるで冬を統べる女王のように、気高さと美しさがみなぎっていた。
今のエリザベートを嘲笑う者はどこにもいないだろう。現に令嬢達は皆圧倒され、縮こまるようにして息をひそめている。
会場の空気を出てきただけで変えてしまったエリザベートは余裕の笑みを浮かべたまま前だけを見据えている。その眼には、エリザベートの美しさに騒めく会場も、エスコートするアラン王太子の姿も、映っていないようだった。
「今日は集まってくれてありがとう。皆の変わりない姿が見られて嬉しく思うよ。……さて、早速だが皆に目出度い知らせがある」
ジェイド国王が挨拶を始めると、会場の騒めきが収まる。表情や雰囲気には色濃く動揺を残しながらも話を聞く体制になった貴族達を眺め、ジェイド国王は優し気な笑みを浮かべた。
「すでに知っている者も多いと思うが、王太子の婚約者がこちらのエリザベート嬢に決まった。とても優秀で、既に王妃教育もほとんど終わっている才女だ。未来の王妃として私も多大な期待を寄せている。きっと、王太子と共にこの国をさらに栄えさせてくれるだろう」
ジェイドに紹介され、エリザベートは一歩前に進み完璧な礼をしてみせる。その美しさに、会場のいたるところから感嘆の息が漏れた。
その反応を見てジェイドが満足そうに目を細める。
「さて。久しぶりのパーティーだ。長々と喋って顰蹙を買いたくないからね。挨拶はこれくらいにして、始めようか。皆今日は楽しんでいってくれたまえ」
ジェイドが合図すると、待機していた楽団が楽し気なメロディを奏で始める。
それを機に、待ちかねたと言わんばかりに貴婦人達がミレナの元に押し寄せた。
「お久しゅうございます、ミレナ様。お会いできて嬉しゅうございますわ。ところで、本日の化粧品はどちらのものをお使いに? 是非お教えくださいませ」
「私もお聞きしたいわ。いつも凛々しくあらせられましたが、今日は本当に天上の女神もかくやというほどにお綺麗で! 驚いてしまいました」
「まぁ、なんてこと……! この距離でもミレナ様のお肌に傷一つ見当たりませんわ。どのような魔法を使われたのですか?」
「あ、う、ええっと……」
婦人達の勢いにたじろぐミレナを庇うように、エリザベートは滑るような歩みで横に進み出た。そしてミレナを囲う婦人達に向かい優雅な礼をして、ふわりと優し気な笑みを浮かべてみせる。そのあまりの美しさに一瞬皆が見惚れ出来た隙を逃さず、エリザベートはもう一歩踏み込み場の中心に立ってみせた。
「ミレナ様、お声がかかるのを待ちきれずに来てしまいましたわ。今日は私をご友人方にご紹介いただける約束でしたでしょう?」
「あ、そ、そうだったね。ごめん。えっと、こちらが……」
エリザベートがミレナに向かっていたずらっぽく微笑んでみせると、気を取り直したミレナが周りの貴婦人達を紹介してくれる。
(公爵夫人達に外務卿の奥方、さらに今勢いがある侯爵家の夫人に流行の発信源だという伯爵夫人まで……。ふふ、流石ミレナ様に最初に話しかけられる方達だわ。錚々たる面子だこと)
笑顔のまま挨拶と他愛ない会話をこなしながら、エリザベートは釣れた魚の大きさに心の中で微笑んだ。
社交界の中心人物はほぼ揃っていると言っていいだろう。
あまり社交が得意でないミレナを支える歴々だ。エリザベートを静かに値踏みする目線から一癖も二癖もありそうだとは察するが、だからこそ、彼女達が味方になればこれ以上ないほど心強いだろう。
そして、味方につけるための仕込みは万全。後はしくじらなければいいだけだ。
そっと息をつき、気合を入れるとエリザベートは本題に入る為に居住まいを正した。雰囲気を感じ取り、周りの空気も緊張感を持ったものに変わる。
「ミレナ様には今回、私が開発した化粧品を使用いただいておりますの」
「まぁ、エリザベート嬢が手ずから……?」
「えぇ、そうですわ。……国王ご夫婦の活躍で今の治世は非常に落ち着いておりますが、北の大国の脅威は皆様記憶に新しいかと思います」
「……えぇ」
一見関係ない話に婦人達は表情こそ変えないが訝し気な雰囲気を出す。
それを感じ取りエリザベートはより一層笑みを深めてみせた。
「そもそも北の大国は気候が農業に適しておりません。その為食料の備蓄が少なく、前の戦になった面もあるかと思いますの。ですので私考えました。――寒冷地でしか育たない、特産品があれば良いのではないかと」
「まぁ、夢のようなお話ですわね。……もしや?」
「流石、お気づきになりましたか。そうです。こちらの化粧品の主な原料は寒冷地でしか育たない植物ですの」
ざわり、と抑えきれないざわめきが聞こえる。
社交界の中心人物ばかり集まっているここは注目の的だ。さらに、ミレナやエリザベートの変貌具合を気にする女性は多い。こっそり聞き耳をたてていた者達が思わず声を出してしまったのだ。
エリザベートは素早く周囲を観察する。
(拒絶反応は……思ったよりひどくないわね。やはりミレナ様に使っていただいて正解だったわ)
北の大国を嫌う者は多い。その最たる被害者といえるミレナに率先して使用してもらうことで嫌悪感の緩和を狙ったが、思いのほか効果的だったらしい。
そっと安堵の息をつき、エリザベートは周囲のざわめきが収まるのを待って話を続けた。
「化粧品に使いますと、このように肌をとても美しく見せてくれるのですわ。でもそれだけではありません。真価を発揮するのは化粧水などに使用した時なのです」
そう言ったエリザベートは見せつけるように、その白魚のようにほっそりとした、傷一つない腕を持ち上げた。
「ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私元々お世辞にも美しいとはいえない手でしたの。お恥ずかしながらペンだこ等がある傷だらけの手でしたが、特製のクリームを塗りこんだおかげで今は傷一つございませんわ。顔もソバカスだらけでしたが、今では化粧をしなくともいいのでは、とつい思ってしまうような肌となれました」
そう言われて皆ついエリザベートに注目する。美しい微笑みを浮かべる顔は確かにそばかすどころかシミ一つ見つけられない。化粧品のおかげかと思ったが、薄付きの化粧しかしていないのに隠しきれるものではないはずだ。
女性陣の熱狂が上がっていくのを感じ、エリザベートは渾身の笑みを浮かべてちらりとミレナに目配せする。
少しだけ息をつき覚悟を決めたミレナがエリザベートの横に並び立つと、ミレナに視線が集中する。
「あたしの傷跡も、エリザベート嬢の作った化粧品のおかげでほとんど目立たなくなったんだ。流石に全部消えたわけじゃないけど、化粧してしまえばほぼわからないだろう?」
「ミレナ様にお使いいただいたのはミレナ様専用に調整したお品ですのでここまでの効果がありましたの。手間がかかりますので、あまり量を作るのは難しいのですが効果は保証いたします。私が使用しているのは汎用品として作ったものですが、こちらでも充分効果がございますわ。そうだ、せっかくお知り合いになれたのですもの。皆様には是非私からプレゼントさせていただきたいわ! 受け取っていただけますか?」
無邪気そうに微笑んでエリザベートがそう言うと、明らかに周りの空気が変わった。
少し頭が回る者ならエリザベートが今言った内容がどんなに価値があるかわかるだろう。
ミレナの傷跡まで癒す化粧品だ。肌に少しでも悩みがある者なら喉から手が出る程欲しいに決まっている。それをエリザベートは近しい者にだけ配るという。
きっとこれから皆エリザベートに気に入られる為に手を尽くす事だろう。現に目端の利く者はすでに動き始めている。
彼女は、初めてのパーティーで、社交界を牛耳るつもりなのだ。
公爵夫人はぞくりと身を震わせた。今までは彼女達が社交界の中心だった。だが、それでも行き届かない部分はあり、遺憾なことにミレナを誹る者達が出るなど御しきれていなかったのだ。
しかしこれからの社交界は変わるだろう。エリザベートの不興を買えば、これ程効果がある化粧品が手に入らなくなる可能性があるのだ。よほどの愚か者でなければ逆らう気さえおきないに決まっている。
彼女が社交界に麗しき女王として君臨する様が、見えるようだった。
「……とても有り難いお話です。恐縮ですが、一つお伺いしても?」
「勿論ですわ。どのようなことでしょう?」
固い笑顔を浮かべた外務卿夫人に声をかけられ、エリザベートは笑顔で答える。
それに軽く礼をして、外務卿夫人は真剣な表情を浮かべた。
「先ほど原料は寒冷地でしか育たない植物だとおっしゃっていましたね。こちらの化粧品の原料は北の大国から仕入れたものなのでしょうか」
「いいえ、今はミレナ様にお手伝いいただき、ご実家の辺境伯家で栽培の準備を進めておりますの。今回使用しているのはそちらで作っていただいたものです」
「なるほど。ですが、広大な辺境伯領とはいえ、これ程のお品です。供給が追いつかないのでは? 先ほどのお話を聞く限り、将来的に北の大国からの輸入をお考えということでよろしいでしょうか」
「えぇ、おっしゃる通りですわ。まだ陛下にご相談している段階ですのでご連絡いっておらず驚かせてしまいましたかしら」
「まぁ、陛下と……。差し出がましいようで申し訳ございませんが、あちらで生産したものを輸入するということは当然、北の大国が大きな利益を得るということです。そして、それを使い彼らも化粧品の開発に励むことでしょう。下手をすれば彼らが独自で開発し売り出すかもしれません。我が国としては望ましくないのではないかと愚考いたしますが、エリザベート様におかれましてはどのようにお考えでしょうか」
ざわり、と空気が揺れた。
先の戦争を知る世代が特に動揺が激しく、取り繕う様子もなくエリザベートの答えをじっと待っている。その眼には北の大国に利になるくらいならこの事業を、ひいてはエリザベートを絶対に認めないという強い意志が満ち満ちていた。
明らかに逆風だというのにエリザベートは嬉しそうに目を細める。
その様はあまりに妖艶で美しく、誰もが状況も忘れ魅入られたように動けなくなった。
「私、教育の一環として北の大国の方とお話ししたことがございますの。戦を仕掛けてきた方々は皆責任を問われ罰を受けた後でしたので、今国を動かされている方々ですわ。皆とても素朴で真面目な方々でした。外務卿夫人も何度かお会いしたことがあるのではなくて?」
「……えぇ、ございます。確かに、真面目なお人柄の方が多いかと」
戦を仕掛けてきた層にはジェイドが苛烈な報復をしている。
詳細はエリザベートも知らないが、本気で怒ったジェイドの報復だ。えげつないものであることは想像に難くない。
今北の大国を治めているのはジェイドが害がない、と見なし見逃した者達だ。素朴で真面目、言い換えれば凡庸で御しやすい。
確かに、外貨を稼げる特産品があれば研究はするだろう。だが、魔女の知恵で出来上がった薬だ。易々と真似できるものではないし、特に効果のあるものはリリスにしか作れない。より効果の高いものがあるのに、あの国からわざわざ買う者は貴族にはいないだろう。平民相手に安価な物を開発して売りつけるかもしれないが、それこそがエリザベートの狙いだ。
「まだ陛下とご相談中の内容なのでここだけのお話にしていただきたいのですが、我が国からも復興の支援をしておりますでしょう? その一環としてこの化粧品事業の一部、廉価であまり手間がかからない部分をお任せしようという話になっておりますの」
ざわり、と空気が揺れる。注目が集まるがエリザベートはもう臆さない。自信をもって微笑める。
「北の大国も先の戦で大打撃を受けられましたでしょう? 特に男手が足りないと聞いておりますわ。化粧品作りはそこまで力がいりませんので、女性の方でも可能です。気候に合わない農作物を作る手間に比べたら、材料である植物も育てやすいはずですわ。
――ですので私、これが国中の畑で育てられるように、広めたいと思っております」
その言葉にハッと気付いた者達はまじまじとエリザベートを見た。
北の大国の気候では農作物は育ちにくい。寒冷地でも育つ種はあるが、実りも悪く味もそれほど良くないのだ。あるところから買って食料を備蓄しようにも、輸出品として魅力的な物もない為他国からの輸入もあまりできない。それもあり、先の戦の時はある所から奪えとばかりに略奪に走ったのだ。
それが外貨を稼げるようになればどうか。
きっと北の大国の民はこぞって化粧品に飛びつくだろう。実りも味も悪い農作物を放って、育てやすい原料を育てる。そして、より幸福で豊かな暮らしを送るようになるのだろう。この国の食料品を買って。
それを止められるような者はジェイドがすべて葬った。
今の運営陣ではこの流れを止められない。むしろ、豊かな生活の為に推奨すらするかもしれない。
食という、最も重要な命綱を易々とこの国に渡すという事にも気付かずに。
もしまた略奪に走りこの国の怒りを買えば、今後の食料輸入は望めなくなる。重たい首輪をつけられるようなものだ。
この計画をエリザベートがジェイドに話した時、ジェイドは心から嬉しそうな、いっそ無邪気ともいえるような笑みを浮かべた。そしてこの計画がうまくいくよう万難を排すと誓ってくれた。
きっとそこがジェイドがエリザベートを次期王妃として認めてくれた瞬間だった。それ以降ジェイドの見る目が変わったのだ。アランとは関係なく、エリザベート個人を認めてくれた。これでもう、エリザベートはアランに関わる必要はなくなった。
微笑みを湛え堂々と立つエリザベートに、公爵夫人がまず最上級の礼を捧げる。それに伴い貴族婦人達が静かにエリザベートに礼を捧げていく様は圧巻だった。
「なんと深いお考えでしょう……。感服いたしました。私共一同、エリザベート様にお仕え出来ることを誉と思い、王家により一層の忠誠を捧げます」
「まぁ、ありがたいことですわ。皆様どうぞお顔をおあげになって。若輩者ですがこれから宜しくお願い致します」
公爵夫人の手を取りながらそういうエリザベートの顔には慈愛に満ちた笑みが浮かんでおり、神々しいまでに美しかった。
「ふふふ……。社交界デビューの成果としてはまずまずかしら」
貴婦人達としばし歓談した後、エリザベートは王族用の控え室で少し休憩していた。
あの後化粧品の話で盛り上がり、中心人物達には用意していたサンプルを渡すことが出来た。
人は美しいものに惹かれるように出来ている。エリザベートの支持層が化粧品の恩恵で美しくなれば、それだけで寄ってくるものも増えるだろう。
恩恵を受けようとするものが増えれば、エリザベートの地位もそれに伴い盤石になっていく。万が一にもこの立場を追われたくない。だって、ミレナやリリスと関われなくなるのは絶対に嫌だった。
化粧品の開発だってまだ途中だし、ミレナの傷跡も完璧に消えたわけではない。まだまだやることが沢山あるのにそれがちっとも嫌ではなく、むしろ活力が満ちていくようだった。
エリザベートが心地よい疲労感に浸っていると、不意に扉が開く音がした。
王族専用の控え室に入れる者は限られている。エリザベートも婚約者として特例で使わせてもらっている状態なのだ。
ジェイドは先ほどエリザベートが休憩室に行く前に軽く挨拶した時、楽しそうにどこぞの貴族を追い詰めていた。ミレナも婦人達に捕まっていたからしばらく抜け出せないはずだ。
消去法で誰が入ってきたかはわかったが、エリザベートはそちらをちらと見ることもなかった。
「…………エリザベート嬢」
「……なんでしょうか。アラン様」
声をかけられ、エリザベートは渋々ドアの方に視線を向ける。
そこにはアランが一人佇んでいた。珍しいことにデビットの姿はない。従者は入れるはずだけど、と不思議に思ったが興味がわかなかったのでエリザベートはそこで思考を打ち切った。
声をかけたきり無言でエリザベートを見てくるアランを無視するわけにもいかず、二人は無言で向き合う。エリザベートがうんざりする程の時間が経ち、ようやくアランが口を開いた。
「……化粧品事業の話を聞いた。次期王妃の社交界進出への第一歩としてこれ以上ない手だと思う。やはり君は本当に優秀だ」
「まぁ、ありがとうございます」
アランの言葉を、エリザベートは微笑んで受け止めた。
褒めているというのにアランの顔は優れない。だが、エリザベートは理由を聞こうともせずにただ微笑みを浮かべ続けた。
どうでもいい相手に成り下がったとはいえ、アランは未来の国王でエリザベートの夫となる相手だ。最低限の愛想は必要だろうが、今までのように必死に関心を惹こうとする気持ちは湧いてこない。別に向こうも望んでいないのだしそれでいいだろうとしか思わなかったのだ。
また無言の時間が流れ、エリザベートがいい加減微笑み疲れてきた頃、アランは困ったように眉尻を下げた。
「君は、変わったな」
「そうですわね。容姿は変わったかと思います。磨き上げましたもの」
「……容姿だけではない、と思う。内面の方が大きく変わったように感じる」
「まぁ、うふふふふ」
エリザベートは思わず口元を隠しながらコロコロと鈴が転がるような笑い声をあげた。
急に笑い出したエリザベートを驚いたように見てくるアランを放置して、エリザベートはしばらく笑い転げた。ようやく笑いの衝動が収まり、目尻に浮かんだ涙を拭ったエリザベートはひたとアランを見据える。その視線は温度のない冷たいものだった。
「アラン様ったら冗談がお上手ですのね。知りませんでしたわ」
「冗談を言ったつもりはない」
流石にムッとした顔をするアランに、エリザベートは冷ややかな笑みを浮かべた。
「それこそ冗談でしょう。だって私達、お互いの内面を知るようなお付き合いなどありませんもの」
「交流の場は設けていた」
「あぁ、場はございましたわね。今後はなくても大丈夫ですわ。お互い忙しい身ですもの。無駄な時間はなくすべきです」
「無駄、など」
「あら、毎回途中で退座されるような、つまらない時間でしたでしょう? 無駄以外なんだというのです」
「それは……」
言葉に詰まったアランを少しだけ眺めて、エリザベートはそっと立ち上がった。
邪魔が入ったとはいえもう十分休んだ。パーティーの主役がずっと席を離れているわけにはいかない。まだまだやるべきことは山積みなのだから。
アランに割く時間など、もうないのだ。
「そろそろよろしくて? 私会場に戻らないといけませんの。アラン様はお一人でゆっくり休憩なさいませ。では、失礼いたしますわ」
軽く礼をしたエリザベートはアランの横を通り過ぎようとする。だが、すれ違う瞬間腕を掴まれ、エリザベートは目線だけアランに向けた。
憔悴した顔で一心にこちらを見てくるアランに少しだけ胸が疼いたが、瞬きの間に消え去った。
「……まだ何か?」
「その、手、が」
「手?」
エリザベートは自身の傷一つない白磁の腕を眺めた。
醜くゴツゴツとしていた手は、今は傷一つない。丁寧に手入れされた手は爪の先まで美しい完璧な姿をしている。
特に問題があるとは思えず、エリザベートは首を傾げた。
「何か問題がございまして?」
「いや、何もない。令嬢らしい……綺麗な手だと思う」
「ありがとうございます。荒れておりましたから、手入れには苦労しましたの」
長年の鍛錬でできた傷跡やタコを消すのは中々骨が折れた。
そこを褒められて嬉しくなり微笑んだエリザベートに、アランは何か言いたげな顔をした。
「……何か?」
「いや……」
言い淀み、視線を彷徨わせた後、アランは覚悟を決めたようにエリザベートを見た。その真摯な眼にエリザベートもかすかに目を見張る。
「僕は、前の手の方が好きだ。君の努力の跡が窺えて、とても美しかったと思う」
瞬間、エリザベートの脳裏に初めて会った日の記憶が蘇った。
初めて微笑みかけられ、努力を認められた時の胸の震えが鮮明に思い出される。あの時の衝撃は本当に今までのエリザベートを塗り替えてしまう程のものだった。
エリザベートは思わず微笑みを浮かべ、釣られて微笑んだアランの手を、強引に振り払った。
「あ……」
呆然とするアランに、エリザベートは完璧に作り上げた笑みを向ける。
「まぁ、こんなところまで気が合わないなんて思いませんでしたわ。私、今の手の方が好きですの」
容姿を嘆き自身を嫌い、初恋に惑わされていた時の自分は、今のエリザベートにとって恥ずべき思い出だ。それを土足で踏み荒らされるような感覚に苛立つ。
アランに悪気はない。彼にとっては物珍しい荒れている貴族令嬢の手の方が価値があった。それだけなのだろう。
結局、二人は相容れることはなかった。それがすべてだ。
「では私は会場に戻りますわ。ご機嫌よう」
今度は引き止められることはなく、エリザベートは会場に戻ることが出来た。
その後エリザベートは国内外の美容業界を牛耳ることとなる。
北の大国でも救いの女神として人気が高く、不埒にも求愛されることがあったが誰にも靡かず、美しいだけでなく貞淑な令嬢の鑑と言われるようになる。
そのあり様に信奉者になるものも多く、中にはかつて地味だった時の彼女を貶めた者達もいるという。
年をとってもなお衰えることなく輝きを増すようなその美貌を生涯称えられ、後世で最も美しい人物が論争されるときには真っ先に名前があげられ、半ば伝説のような扱いをされることとなる。
その生涯を終える時、彼女はとても幸福だったと微笑んだ。その微笑みはこの世で一番美しいものだったと、彼女が最も可愛がっていた義娘の日記に書き記されている。
前作に比べても長くなりすぎたのでわけました。
くっ短くまとめるの本当に苦手……。1万文字以内で綺麗にまとまってる作品本当にすごいです。
こんなに長いのに読んでいただきありがとうございました。
以下簡単な人物設定
エリザベート
必死に頑張って報われなかったので折れてしまった。
家族の愛はあったがそれ以外からは馬鹿にされまくってたので自尊心がひっくい。恋心で賄えるようになってようやく自分を愛し、自身でかけていた呪いを解いて美しく羽化した。
姉はイエベ春ふわふわ美少女なのに対しエリザベートはブルベ冬ゴージャス美女だったのに、姉への羨望で近付くことしか考えておらず似合わない化粧をしていたので一気に垢抜けることに。
アラン
愛も恋も遠い環境にいたため、情緒があまりにも未発達。デビットの妨害がなければ相思相愛の夫婦になれた可能性もあったかもしれない。
必死に努力するエリザベートの強い瞳に一目惚れしている。本心から、彼女の努力の証であるボロボロの手を美しいと思っていた。
恋心に気付いて絶対手に入らないものに焦がれるか、一生気付かず何かが欠けたような満たされないままで過ごすか、彼の明日はどっちだ。
シュレディンガーのアラン。
デビット
よくいるヒロインを気に入らず虐げてくる小姑従者。
エリザベートがど根性ヒロインならなんとかなったかもしれないが、そんなことなかったのとクリティカルヒットしたため普通に関係が壊れてしまった。
アランの側から離れることは出来ないので自分が壊したものを生涯見続けることになる。
ミレナ
普通の女だったと言ってるけど嘘です。男勝りのお転婆少女で、辺境を護る兄達に鍛えられていたので普通に強かったです。
それでも英雄になれる程でなかったのは本当。薬が無かったら亡国の危機だった。
傷跡は気にしてなかったが、エリザベートとリリスのおかげで消えた時に周囲が泣いて喜んだのでちょっと反省した。今でも武力で言えば最強だがイキイキしてるエリザベートには逆らえないので更に美しくされて広告塔になる運命。
ジェイド
父に疎まれ辺境に追いやられ、そこで出会った腕白少女に人生を変えられた。当然お前女だったのか!?イベントもこなしている。
生にも自身の境遇にもあまり興味がなかったが、恋を知って変わった。無事に初恋の女の子を娶り子まで出来たのに戦争によってすべて狂い、一番大切なものさえ自分の手で差し出すことになる。絶許。
リリス
ローズマリーの話を読んでくださった方はお気付きかもしれないが、実はちゃんと部屋の整頓が出来る系魔女だった。
まさかこの後化粧品の開発で片っ端から植物を持ち込まれ部屋をぐちゃぐちゃにされ、すっかり懐いたエリザベートに振り回される生活をおくる羽目になるとは欠片も思っていなかったがなんだかんだ楽しい。