はじまりはきっと、些細な事でした
エリザベートを見た者の反応は主に二つに分けられる。
一つはこんなものかという失望、もう一つは憐れみに見せかけた嘲りだ。
エリザベートには兄が一人、姉が一人いる。
二人共美しい顔立ちをしているが、中でも姉は飛びぬけて愛らしかった。
珍しいピンクブロンドの髪はふわふわと柔らかく波打ち、極上の絹のような光沢を放っている。
小さな顔に収められたパーツは一つ一つが整っている上に神が特別に手掛けたのかと思うほど完璧な配置で並べられていて、特に大きな垂れ目が可愛らしい。キラキラ光る茜色の瞳はまるで宝石のようで、見つめていると思わず吸い込まれそうになるほどの輝きに満ちていて誰もが魅了されてしまう。
そのあまりに可憐な容姿から、妖精姫と謳われる程の美姫だった。
そんな姉と比べ、エリザベートは平凡な容姿をしていた。
姉のピンクブロンドと比べるとありふれた金髪、姉の傷一つない初雪のような白い肌と比べるとイマイチくすんだそばかすの散った肌、姉の愛らしい美貌と比べるべくもない華のない顔立ち。
本当に姉妹なのか、という言葉は悪意あるなしに関わらずずっと聞かされてきた。
幸い家族には可愛がられていたが、同時に憐れまれているのも感じていた。
出来る限り差をつけないよう可愛らしいドレスも豪奢な装飾品も用意されるが、姉が身につければそれこそ御伽噺のお姫様のように可憐に輝くドレスも、エリザベートが身につければごくありふれた布の塊となってしまう。家族に褒められても、他ならぬエリザベート自身が痛い程その差を思い知っていたので全く心に響かなかった。
容姿はどうしようもないのだからせめて、とエリザベートは自分の中身を磨くことにした。
勉学に励みマナーを洗練させ身体も鍛える。だが、どれだけ我武者羅に自分を磨いても、容姿に恵まれないからといって無駄な努力を、少しは姉君を見習って美しさを磨いたらいいのにと嘲られ、笑いものにされるだけだった。
だが、エリザベートはそんな言葉に折れなかった。どうせ容姿を磨いたとしても、姉に及ぶわけがないと笑われるだけだ。言いたい者には好きに言わせ、自分をひたすら磨き続ける。それがエリザベートの意地で、矜持だった。
必死の努力は実を結び、エリザベートは学園の入学試験で最も優秀な成績を納め、新入生代表に選ばれた。
今までの苦労が報われたと喜ぶエリザベートだったが、現実は残酷だった。
エリザベートと入れ違うように卒業した姉は、学園でも注目の的だった。同じ時代に学園に居た男子で彼女に恋をしなかったものはいないと言われる程だ。卒業式では最後に一言でもいいから話したいと思った者が多すぎて、行列まで出来たという。
そんな妖精姫の妹が入学する、しかも首席で入学する才媛だ。あまり似ていないという噂はあったが、それでも血が繋がった姉妹だ。きっと彼女と同じとまではいかないだろうが美しいだろうと期待と注目が集まる中、新入生代表の挨拶の為登壇したエリザベートの容姿にほとんどのものが失望した。
貴族である彼ら彼女らだから、入学式という大事な式典の中で無作法はしない。だが、ひそやかなため息や失望の眼差しは隠しきれるものではない。一人二人ならささやか過ぎて会場に紛れたかもしれないが、在校生のほとんどが行えば誤魔化せるものではない。
自分の容姿を見て会場の空気が冷めきったのに、エリザベートが気付かないわけがなかった。
なんとか挨拶はやり切ったが、頭の中が真っ白になる。どれだけ中身を磨いても、見た目がよくなければ意味がないのか、と心が折れそうになった。
「エリザベート嬢がいかに努力を重ねてきたかはこの手を見れば一目でわかる。私はこんなに努力している手を見たことがないよ。本当に、美しい手だ……」
だから、優しい言葉に、微笑みに、恋に落ちるのはあっという間だった。
入学式が終わり、エリザベートは教室でこれからの学園生活に対して簡単な説明を受けた。
その日はそれで終わりで、帰り支度をしていると周りから抑えられない笑い声と遠慮のない視線が向けられた。
(見ろよ、本当にあの妖精姫の妹か?)
(姉君はあんなに可愛らしいのにな)
(あの容姿で妖精姫の妹……。なんてお可哀想なのかしら。私だったら耐えきれませんわ)
(えぇ、本当にお気の毒なこと。ほら、廊下をご覧になって。あの方を見に来た方々がこんなに……)
(てかさ、首席ってのも本当なのかな。挨拶の時みっともなく声が震えてただろ?)
(さぁな。まぁでも、あんな平凡そうなのに俺らが負けるなんて思えなくはあるけど)
向けられる視線に、囁かれる言葉に、耐えきれなかった。自分の努力の成果である成績まで疑われ、エリザベートは深く傷ついた。心の柔い部分に鋭いナイフを差し込まれたような痛みを感じ、目頭が熱くなる。
だが、絶対にこんな連中の前で泣きたくなかった。優雅さを失わないギリギリの速度で支度を済ませ一刻も早く帰ろうとする。廊下にはエリザベートを見に来た人々がたむろしていて、暇なのかと内心毒づいた。
そんな時、ざわっと廊下の向こうが騒がしくなった。皆慌てて端によけ、空いた道を悠々と誰かが歩いてくる。
「失礼、エリザベート嬢はいるだろうか」
歩いてきた少年に呼ばれ、エリザベートは慌ててカーテシーをする。
短い金髪が動く度にさらりと揺れる。まだ幼さが残っていながらも端正に整った顔立ちに、キラキラ煌めく瞳はロイヤルブルー。その王家特有の色を間違うはずもない。
ーー王家の唯一の子、アラン王太子が、そこに立っていた。
アラン王太子はエリザベートの一つ上だったから、同じ学園に通うこととなるのは把握していた。もしかしたら会うこともあるかもしれないと思っていたが、初日にわざわざエリザベートに会いに来るなど考えもしなかった。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「あぁ、堅苦しいのはいいよ、ここでは僕も学友なんだから、気楽に接してくれ。入学生の皆もおめでとう。急にきて驚かせたと思うが、僕のことはただの先輩として扱ってくれると嬉しい」
ニコリ、と微笑まれながら目で促され、エリザベートはカーテシーをやめ姿勢を正した。
周りもざわめきながら礼をとるのをやめる。上級生らしき人達はあまり動揺していないので、恐らくいつものことなのだろう。気さくな人柄のようだ。
「驚かせてすまない。今回の新入生代表はとても優秀だと聞いて思わず会いにきてしまった。なんでも過去最高得点だというじゃないか。気になってしまってね」
アランの言葉にまたざわめきが広がる。
王太子の言葉は重い。そんな彼が最高得点といったのだ。恐らく本当のことだろう。そんなに優秀なのか、と周りのエリザベートを見る目が少し変わった。
エリザベートは王太子がわざわざフォローしに来たということを正確に察していた。不正を疑うものまでいたのだ。学園の権威が落ちるのは王家にとっても望まないことだろうし、万が一にも変な噂が立たないよう手をうったのだろう。
ただ容姿が優れないだけで王家にまで迷惑をかけるなど、それ程までに自分は悪いことをしたのだろうか、とエリザベートは俯いた。重苦しい気持ちが胸を埋め尽くす。ただ必死に努力しただけなのに、それが余計なことだとでもいうのだろうか、と昏い考えに沈みそうになるエリザベート。その手を、アランが優しくとった。
「会いに来てよかった。エリザベート嬢は美しい手をしている」
「美しい……? この手が、ですか?」
エリザベートの手は貴族令嬢として褒められたものではない。
白魚のようなすらりとした手が美しいとされているのに、エリザベートの手は来る日も来る日もペンを持ち続けたせいでペンだこが出来ているし、血豆が出来ても剣の鍛錬をやめなかったせいで節くれだってごつごつしている。こんな手を美しいというなど、お世辞としても失敗だろう。
胡乱な目で見てくるエリザベートに、アランは眩しい程輝く心からの笑みを向けた。
「あぁ。勿論だ。エリザベート嬢がいかに努力を重ねてきたかはこの手を見れば一目でわかる。私はこんなに努力している手を見たことがないよ。本当に、美しい手だ……」
「は、ぇ……?」
思わず、エリザベートの口から間抜けな声が漏れる。
美しいなど、今まで本心から言われたことはなかった。家族以外に努力を認められたことだってなかった。そんな少女に、アランの優しい言葉は、笑顔は、劇薬だった。
エリザベートの顔が真っ赤に染まっていく。手まで震えてしまったせいでそれに気付いたアランは、ハッとしたように手を離した。
「す、すまない。淑女の手を無断で触るなんて失礼だったな。ともかく、私は貴女を歓迎するよ。これから同じ学園生として頑張っていこう」
そう言って足早に去っていくアランを、エリザベートはただじっと見ていた。周りの雑音などもう気にならなかった。
王家からの打診があり、アランとエリザベートの婚約が決まったのはそれからすぐの事だった。