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枯れ葉

申し訳ありませんが、愛しておりません 【コミカライズ】

作者: 三香

 大富豪ダリス男爵家には5人の令嬢がいた。

 エリジュは、姉が2人妹が2人のちょうど真ん中であった。

 花のように美しい姉たちと花のように可愛い妹たちに挟まれたエリジュは、ダリス男爵家の枯れ葉令嬢と密かに呼ばれていた。エリジュが茶髪と水色の瞳の地味で平凡な容姿だったからだ。花のような姉妹と並ぶと枯れ葉みたいだ、と。


 そんなエリジュには婚約者がいた。


 斜陽の伯爵家の嫡男マリオンである。

 伯爵家はダリス男爵家の資金援助が目当て、ダリス男爵は歴史ある伯爵家の人脈に食い込んでの商売網の拡大、政略のための婚約であった。


 貴族としての肥大した自尊心の高いマリオンとの婚約は、エリジュの従順と献身によって表面上は穏やかに維持されていた。


 しかし、婚約をして10年後。

 エリジュが15歳の時にマリオンは婚約を破棄した。10年間で伯爵家は財政的に再起して、マリオンも地味なエリジュではなく高位貴族の華やかな令嬢を恋人に望んだからだ。


 ダリス男爵の執務室で婚約破棄の決定を聞かされた時、エリジュは吹き荒れる心の内を隠して黙って頷いた。ずっと以前からマリオンの裏切りは公然としたものであったし、エリジュ自身も婚約の破棄を望んでいた。


「お父様、私がマリオン様と婚約をしていた10年間はお父様の商売の役に立ちましたか? 娘としての義務を果たし、育てていただいた恩に報いることはできましたでしょうか?」

「ああ、とてもな。伯爵家への援助金は小金にすぎないと思えるほどの成果だ」

 満足げなダリス男爵にエリジュは言葉を続けた。

「でしたらお父様、伯爵家からの婚約破棄料と私の将来の持参金をくださいませ。私の個人資産として管理したいと思います」

「大金だぞ。10年間の援助金の返金も含めての婚約破棄料だから莫大な富だ」

「お父様。私はダリス男爵家の娘としての役目はきちんと果たしましたでしょう? マリオン様との婚約は辛いことがほとんどでした。ご褒美を頂戴したいのです」


 エリジュは、父親のダリス男爵が美しい姉たちと妹たちの方にエリジュよりも愛情をかけていることを身をもって実感している。常に姉たちと妹たちが優先されてきたのだから。しかし、父親のダリス男爵が5人の娘を平等に愛そうと努力していることも知っていた。


「お父様も、マリオン様との婚約が私の負担が大きく苦しいだけのものであったことはご存じのはず。本当ならば6歳年上のマリオン様との婚約はお姉様が結ぶべきところを、マリオン様の性格を考慮してお父様は私が我慢強いと言う理由から押しつけたのです。お姉様では耐えられない、と。お姉様が可哀想である、と言われた時の私の心境を想像できますか? 婚約破棄料は私の当然の権利だと思いますが?」

 エリジュは少しドレスの裾を持ち上げ、ちらりと片足を覗かせる。たちまち男爵が顔を苦渋に歪めた。

「……わかった。だが持参金も?」

「持参金は5人姉妹同額ですが、日常におけるドレスや宝石などはお姉様たちや妹たちと金額差がありますよね? 美しい者がより美しく着飾るのは当たりまえだと。それにお姉様たちと妹たちの婚約は、家柄や人柄や財産など吟味なさいましたよね? ダリス男爵家の利益よりもお姉様たちと妹たちの幸福を優先された婚約でした。今まで私はお父様の命令に従って文句ひとつ言ったことはありませんでしたが、客観的にもし私の立場であったならばお父様はどう思われます?」


 エリジュの夏の陽のように攻撃的な眼差しを直視できずに男爵は顔を逸らした。大人しく忍耐強いと思っていたエリジュの強気な態度に驚愕もしたが、男爵は自身の過去の罪を認識していたので目を背けるしかなかったのだ。


 平等に5人の娘に愛情を注ぎたいと思っていても、どうしても優先順位があった。これが嫡子優先であれば貴族としてエリジュも納得できたかも知れないが、単に男爵の気持ち次第による格差である。

 姉妹仲は良くもなく悪くもなく貴族らしい標準的な淡白な関係であったので、エリジュはダリス男爵家において孤独な子ども時代を過ごしたのであった。

「…………わかった。持参金も渡そう」

「では商業ギルドの為替手形をくださいませ、お父様。今ここで」

「今か?」

「はい。私、即断即決即行動をモットーにしておりますので今すぐに頂戴しとうございます」 

 しぶしぶ男爵はペンをとって書き込むと、当主印を押した巨額の為替手形をエリジュに渡した。王国有数の豪商である男爵であっても痛い金額だった。それでもエリジュに渡したのは、男爵がエリジュの足のことで償いきれない負い目があるからだ。すでに男爵に見切りをつけているエリジュは、男爵の泣き処を利用することに躊躇いはなかった。

「ありがとうございます、お父様」


 エリジュも父親のことを恨んだ時期もあったが、長くは続かなかった。

 馬鹿馬鹿しくなったのだ。

 怨念の魍魎ごとく父親を恨んで、日々父親のことを考えるなんてゾッとする、と。

 無理だった。姉たちや妹たちを可愛がる父親を思い浮かべて朝も昼も夜も呪詛を吐くなんて想像するだけで鳥肌が立ってしまい、それこそ人生の無駄遣いであり呪縛だとエリジュは思ったのだ。


 冷遇はされていなかった。

 ただ家族的な愛情を注がれることがなかっただけだ。


 日常の生活は保障されているのだから、父親のことなど捨てて自分の未来のことを考えた方がよほど健全であった。

 という訳でエリジュは将来の自立に向けて邁進していた。寂しさで冬の雪のように冷たくなった身体を目標を持つことで奮い立たせ温めたのだ。


 傷の数を数えて指を折る人生にしないために幼いエリジュは、朝露が小さな水滴に映る世界を閉じ込めるように父親を慕う心を閉じて自分を守ったのであった。


「それからエリジュ、次の婚約が決まった」

 ビキリ、とエリジュの額に青筋立つ。般若のような怒りに染まった雰囲気のエリジュに男爵はたじろぐが、図太い商人貴族である男爵は平静を装って言葉を続けた。

「キリジア侯爵家三男で近衛騎士のフランシス殿だ。顔合わせは明後日になる。準備しておくように」

「お断りします。マリオン様との婚約でお父様への恩はお返しいたしました。しかもキリジア侯爵家のフランシス様? 交友という名の艶聞で有名なお方ではないですか、病気がありそうで嫌です」

「おまえに拒否権はない。貴族の娘は家長に従うのが義務だ」

「拒否権ならばありますよ。私、成人年齢の15歳になったので準男爵位を買ったのです。つまり私は私自身が家長となり、ダリス男爵家から独立しております」


「―――は?」

 

 顔色を変えて男爵が椅子から立ち上がる。

「な、なんだと!? 金で買えるとはいえ簡単に準男爵位は買えない! 紹介状も必要だ!」

「亡きお母様のご実家のローアンヌ叔父様が紹介状を書いてくださいました。ローアンヌ家は新興といえども伯爵家。叔父様はダリス男爵家においての私の立場に深く同情してくださり手続きも。さすがに準男爵位を買うには貯めたお金では足りませんでしたので、叔父様に少々借金をしてしまいましたが、今日利子をつけて返すことができそうです」

 エリジュが為替手形をぴらぴらと振る。


 準男爵位は国で売買されている貴族の最下位の位である。値段は4億ダラ。国の厳格な審査があり、伯爵位以上の者からの紹介状も必要なので、一代限りの位であるが取得は厳しい。それでも有用性の高さから人気の高い爵位であった。平民の富裕層や騎士はもちろん、高位貴族でも子どもに与える爵位のない貴族家は子どもの成人祝いとしてなどに需要が高かった。


「エ、エリジュ!」

 男爵が愕然としてエリジュを凝視する。

「本当に、準男爵になったのか……?」

 おもむろにエリジュは羽織っていた、百花繚乱の花を織り込んだ白く繊細なレースのショールを横にずらす。胸には準男爵位の証明となる黄金色の人魚のブローチが輝いていた。うふん、とドヤ顔をして鼻で笑うエリジュが可愛い。

「はい。ですので私、屋敷を出て行こうと思っております。今までお世話になりました」

「ならんっ! フランシス殿との婚約は決定しておるのだぞっ!!」

 男爵の焦り方にエリジュは眉を寄せた。

 崖っぷちにまで追い詰められた生き物が必死で藻掻くように、エリジュは準男爵位を得て男爵家を出ることを目標にして10年間も逆らわずに水面下で虎視眈々と機をうかがって、男爵の仕事もこっそり調べて把握していた。

「ずいぶんと大切な契約の婚約のようですね? もしかして侯爵家と大規模な共同事業でも始める予定なのですか?」


 エリジュは賢く、勘も鋭い。語学に熟達しており知識も豊かで才幹に優れている。

 男爵は、エリジュが男子であったならば後継者にできたものを、と何度も口惜しく思ったがエリジュは女子であった。王国では女性に継承権はなく、無念さが男爵の落胆に拍車をかけた。

 しかもエリジュは姉妹よりも容姿が劣る、政略に使う駒としては弱い。

 それらが複合した結果、エリジュの存在がイライラと癪に障るようになった男爵はエリジュを遠ざけてしまったのである。自分でも大人げなくみっともないことを自覚しているので、姉妹平等を心掛けているのだが努力は成果として実っていなかった。


「ん~~」

 エリジュは瞬時に計算した。

 独身のまま気楽に暮らしたいが貴族社会は甘くない。資産と爵位持ちのエリジュは格好の獲物だ。

 手順を踏んでの求婚ならばよいが。万が一に既成事実を目的に襲われでもしたらエリジュは逃げられない。片足に後遺症があって、歩くことはできても走ったりダンスをしたり等はできないのだ。

 庇護者は不可欠であった。

 叔父のローアンヌ伯爵に何から何まで頼ってしまうのも申し訳ない。チラリ、とエリジュは男爵に視線を流した。


「そうですね。お姉様たちも妹たちも婚約者と仲睦まじいですものね、その婚約を破棄してフランシス様と新たな婚約となれば波瀾は必須。よろしいですわよ。準男爵位への転籍は一時停止して、まだダリス男爵家から籍は抜きません。私が婚約をいたします」

 エリジュが笑った。にっこりと可愛らしいが。透明なのに底の見えない地底湖のようなエリジュの淡い水色の瞳が物騒に薄く光っていた。

「ふふ、お父様?」


 海千山千の商人であるはずの男爵は、エリジュの微笑みにブルリと震えた。


「では、婚約にあたっての条件を私とお父様の間で結びましょう。拒絶されるのもご自由ですけれども、どうなさいます?」


 エリジュは容赦なく男爵に刃を向ける。返り血を浴びても構わなかった。すでにエリジュは逃走のための切り札を持っているのだから。


 男爵は敗北を悟った。

 がっくりと肩を落とす。

 すでに事業締結に向けて男爵家と侯爵家は書面にて婚約を取り結んでいる。今さら取り消すことはできない。家が傾く。

 エリジュの条件を呑むしかなかった。


 明後日。


 遠い水平線の上に白い雲が帆船のように浮かび、ゆるりゆるりと進んでいた。

 空は天の海のごとく青い。

 緑の葉がびっしりと詰まったような小さな森を背景にするダリス男爵家の別邸のガゼボで、エリジュとフランシスは初めての顔合わせをした。


 その森は絵本で読んだ魔法の杖となるニワトコ、ヒイラギ、サンザシがチラホラと自生していて、エリジュのお気に入りの森であった。

 ガゼボには蔓薔薇が支柱を伝って屋敷を覆い、四方に満開の花を華やかに咲かせている。風が散らすひとひらふたひらの花びらが雌雄の蝶々の戯れのように可憐だった。


 日差しは暖かく、花は芳しく、風は爽やかであったが。

 テーブルの上にはニワトコの花を乾燥させたお茶が用意されていたが、侍女が何度も取り替えても冷めるばかりであった。


「「………………………………」」


 すでに1時間が経過しているが、エリジュもフランシスも名乗ったのみで会話はなかった。

 あからさまにフランシスは見合いが本意ではない態度をしており不満げであった。

 一方エリジュは頬を染めて、フランシスを熱の籠もった瞳で見つめている。恥じらう姿があどけなく初々しい。翳りのない水色の瞳が宝石のように煌めく。


 フランシスが溜め息をついた。

「煩わしい。また一目惚れをされてしまった。いいか、婚約者にしてやるが俺にまとわりつくのは止めてくれよ。俺は美しく華やかな女性が好みなんだ」

 エリジュがキョトンとする。

「え? 一目惚れなんてしておりませんが?」


「いいよ、そんなわざとらしく否定しなくても。取り繕ってもバレバレなんだよ。俺を見てポ〜〜とうっとりしているくせに」

 フランシスは実力のある近衛騎士だが、とにかく顔がいい。社交界の名花たちが大挙してフランシスを取り巻くほどの美貌であった。 

 蝶々のごとく花から花へと浮名を流すフランシスであったが、貴族である故に妻は家が決めるのだろうと思っていた。

「俺と結婚ができるのだから喜ぶがいい。地味でタイプではないが、俺の邪魔をせず大人しくしていれば時々は可愛がってやるから」


 エリジュが秋の葉のように首を傾げる。

「あの〜、フランシス様との結婚を喜んでいませんし、一目惚れとか間違っています。私、再度言いますがフランシス様に一目惚れをしておりません。勘違いです」


「だから言い訳はいらないって。俺を見て赤くなっている顔でまだ言うのならばしつこいよ」

 不機嫌なフランシスに、エリジュがポンと手を打った。

「あ〜、えっと。ごめんなさい、誤解です」


 フランシスが眉を寄せる。


「これは癖と言いますか習慣と言いますか……。その、前の婚約者のマリオン様が自己愛と承認欲求が強い方でして。婚約者はマリオン様を誉め讃えてぞっこんメロメロが当然である、と要求される方だったので10年間そういうパターンの毎日でしたのです。10年間の形式でしたので、婚約者と言うワードで無条件に頬を染めて目を陶然と酔いしれたみたいに潤ませてしまうのです」


「―――は?」


 父親の男爵も「は?」と言って驚いていたけど、驚く時って「は?」が流行っているのかしら、と考えつつエリジュが言葉を続ける。

「ですので、ご安心ください。フランシス様を愛してなどおりませんから」


 グサッ、と見えない何かがフランシスに刺さった。


「でも、共同事業のためにも両家が蜜月であると宣伝するのに似合わしいかも知れません。このままフランシス様が好き好きという演技を継続させたいと思います」


 グサッグサッ、とさらにフランシスの胸が貫かれる。

「演技…………」


 胸を押さえてテーブルに突っ伏したフランシスを、

「まぁ、フランシス様。どうなさいましたの?」

 とエリジュが婚約者らしく甲斐甲斐しく心配する。

「…………それも、演技…………?」

「もちろんです! お任せください、貞淑で従順で心から相手を慕っている婚約者のフリは得意ですから。フランシス様はお好きな方とお好きになさって。マリオン様も浮気し放題の方でしたので、健気に耐える婚約者の役も上手にできます」

「健気……?」

「はい、10年間ボロを出したことは1回もありません! 完璧に恋する婚約者を演じられます!!」

 元気よく返事したエリジュに、フランシスは瀕死の兵士のごとくヨロヨロと立ち上がった。

「……帰る」

「お見送りしますわ。あ、フランシス様、婚約者ではなく人間としての忠告なのですけど。初対面の相手に俺様に一目惚れしただろうと言う自惚れ発言は恥ずかしいですよ。子どもではないのですから。もっと自分を客観視した方が身のためです」


 グサッグサッグサッ。ゴフッとフランシスは血を吐きそうになった。


 風がフランシスとエリジュの間を走り抜ける。フランシスの金色の髪が風に靡き前髪が乱れて絵のように麗しいが、弱い風なのにフランシスは足元をふらつかせていた。


 フランシスの侍従とエリジュの侍女の同情たっぷりの視線が痛い。フランシスはぐらつく身体を真っ直ぐにして歩く。鍛えた騎士の体幹に感謝しつつフランシスは、萎れた花茎のような角度で項垂れて馬車に乗ったのだった。


 フランシスの馬車に手を振ってエリジュが侍女に聞く。

「気の所為かしら。フランシス様、泣いていらっしゃったような……?」

「……気の所為です、お嬢様」

「そうよね。年上の方に失礼よね」

「……はい。見間違いですよ、お嬢様」

 侍女の温情のおかげでかろうじて名誉が守られたフランシスであった。


 その後。


 フランシスは恋人たち全員と別れた。

 エリジュによって高い鼻をバッキリと折られて、「今までの恋人たちも演技をしていたのかも……」と女性不信となり何故かエリジュ一筋にミラクル変身してしまったのである。演技申告をしたエリジュはある意味信じられる、と。


「よく私と仲良くなる気になれましたね?」

「結婚は決定しているのに妻予定のエリジュと冷戦しても利益なんてないだろ?」

 フランシスがかぶりを振る。

「それにエリジュは婚約者モードの時は寛容だけど。結婚して夫婦になったら婚約者モードの適応外になるんだろ? 本来のエリジュモードになったら別居とか白い結婚とか離婚前提とかきっと厳しくなるに決まっている。俺、せっかく結婚するのに白い結婚なんて嫌だからね」

 神の御手による彫像のような優雅で美しい顔をくもらせてフランシスが言った。

「まぁ。フランシス様は、結婚後は私をお飾り妻にして自由に遊んで艶聞を社交界に立てると思っていたのですが?」

「そんなことしたらエリジュにあっさり捨てられる未来しかないじゃないか! 俺は結婚して! エリジュと幸せになりたいんだよ!」

 フランシスがエリジュに縋りつく。

 婚約者モードのエリジュは慈愛がいっぱいなので、よしよしとフランシスを優しく撫でる。


 エリジュとフランシスは王宮の夜会に出席していた。

 エリジュはフランシスの瞳の色をしたブルーダイヤモンドの髪飾りを。

 フランシスはエリジュの瞳の色をしたアクアマリンのブローチを。

 それぞれ飾り物として身に着けてぴったりと寄り添っていた。誰が見てもラブラブの婚約者同士である。


 しかし、エリジュの元婚約者であるマリオンが足音荒くドカドカと近づいてきた。

「エリジュ! この尻軽め! どうして次の男と婚約をしているのだ、僕との婚約が破棄されたのだから普通は泣き暮らすはずだ!」

 とマリオンが怒鳴るように罵る。

「とにかく、この僕がもう一度おまえと婚約してやる! ありがたく思ってその男と別れろ! そして援助金と持参金を僕に寄越せ!」


 マリオンの伯爵家は破産寸前の状態であった。

 ようやく復興した伯爵家であったが、投資に大失敗して再び借金塗れとなっていたのである。もともと投資もエリジュの采配で成功していたのだ。エリジュが成功していたから、と伯爵家は気軽に手を出して巨額の損失を重ね泥沼化してしまったのであった。


「え? 嫌です。伯爵家は何の旨みもない家となりましたから政略の利点もないですし、むしろ重荷でしかないのに婚約なんて誰がすると思うのですか? 現に他の貴族家からも拒否されている噂を聞きましたよ」

 きっぱりとエリジュに拒絶されて、マリオンが激昂する。

「何だと!? おまえは僕を心から愛していただろう! だから婚約をしてやると言っているのに!」


「誤解です。マリオン様を一度も愛したことなどありません」

 出た! とフランシスは遠い目をした。傷口に塩を揉み込むみたいにエリジュは辛辣なんだよな、と経験者は語る表情を浮かべている。

「婚約者でしたからマリオン様に従って支えてきただけです。お父様からも反抗することを許されておりませんでしたから、マリオン様を常に最重要として行動してきました。第一、私が5歳の時の出来事をお忘れですか? 11歳のマリオン様のイタズラにより、私は階段から落ちて足を骨折しました。後遺症により私は走ることもダンスをすることもできなくなりました。そんな方を愛しているって冗談ですか?」


 質問の形をしているが完全な否定形である。


「どういう思考回路をなさっているのやら……。常々感じていましたが、ずいぶんとご自分に都合のよい甘い考え方をなさっているのですね。申し訳ありませんが、愛したことなどございません。マリオン様を愛しておりません」

 念入りに二度宣告してマリオンにトドメを刺すエリジュ。

 フランシスが野良犬を追い払うみたいに指先をシッシッと振る。

「エリジュに愛されているなんて思い違いだよ、浅慮な頭でも理解できただろう。可愛い婚約者と恋の語らいをしているんだ。邪魔しないでもらえるかな? 負け犬は帰りたまえ」


 エリジュも手加減はないが、フランシスも酷い。

 逆上したマリオンは憤怒の相で襲いかかってきた。

 

 だが、フランシスは熟達した手練れの騎士である。


 スッ、と前に足を進めるとフランシスは鋭い手刀をマリオンの顔面に打ち込む。ドゴッ。強烈な一撃にマリオンは悲鳴を上げた。おそらく鼻が折れている。

「衛兵。狼藉者だ、一応貴族だから貴族牢に入れておけ」


 喚くマリオンが連行されていく。


「フランシス様、ありがとうございます。凄くかっこよかったです」

 エリジュが瞳をキラキラさせて称賛してくれるが、フランシスはマリオンのあまりな身勝手な言動に胸がムカムカしていた。

「エリジュ。あんな男を10年も子守していたなんて苦労、いや超絶苦労じゃないか」

「うふふ、投資で引っかかるように伯爵家には置き土産をしてありましたし、マリオン様はチヤホヤされることはお好きでしたが私の足の件がありますのでエスコート以外の接触はありませんでしたし。マリオン様との婚約を盾にお父様にもネチネチできましたので、男性運は悪かったですけど悪いばかりの10年ではありませんでした」


 男性運が悪い、と言うところでチラリとエリジュに視線を投げられてウグッと息を喉にフランシスは詰まらせた。


 しかしフランシスは高位貴族。平然として動じることはなかった。関係ありませんという澄ました顔で、しれっと立て直す。


「ああ、男爵ね。エリジュは金と地位は持っているし、男爵からも離婚の際は屋敷やら援助やらが色々あって、両家からは結婚さえすれば離婚は許可されているとの契約だっけ? でも俺は、結婚はするけど離婚は絶対にしないからね!」

「それはフランシス様次第か、と」

「俺、一途な愛に生きる新生フランシスになったから断じてポイッしないで!」


 抱きつくフランシスをよしよしと撫でて、うふふ、とエリジュは春の花が綻ぶように笑ったのだった。




 そして、エリジュが「申し訳ありませんが、愛しておりません」と言うことは生涯二度となかった。

読んでいただきありがとうございました。




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 作画  北野りりお先生です。


どうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
最後の一文に、ホッ。 フランシス、新生してよかったね!(笑)
姉姉妹妹が全然関わらず描写も薄いなーてのをぼんやり考えてたんですが。 エリジュは父親の気質がっつり継いだ上に上位互換っぽい。 他の4人は母親の気質が濃いんかな。あれ?4人の容貌も母親似だったり? も…
コミカライズ 待ってました~ 個人的にはお父様の ネチネチが物足りないです これから フランシス との間にできるであろう優秀な子供たちと幸せに 細~く長~く ネチネチ お父様に見せつけてあげてください
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