いつも貴女を想っています
どのくらい経っただろうか。
体感では10分以上そんな彼女を見ていた気がする。
すると、悪女のような顔で眺めていたはずの彼女が少し表情を崩した気がした。
痛みに耐えるような表情だった。
でもそれは見間違いだったと思うほどに一瞬のことでそのあとすぐに凛とした表情になっていた。
悪女のような顔ではなく、淑女の鏡と言われるようなそれだった。
彼女は顔に流れている血を拭って、歩き出した。
水に濡れていたはずの服や髪は、少し風があるおかげか、ほとんどが乾いていた。
僕は先ほどまで踏み出せなかったはずの足が勝手に動き、声をかけていた。
「あの!」
彼女は僕がいたことに気づいていたのか、驚く様子はなく僕の呼びかけにゆっくりと振り返り、
完璧な笑顔で、
「ご機嫌麗しゅう、殿方。」
彼女は王族に対してのみ行う最上級に敬意を払う形の挨拶をした。
名乗ったわけではなかったので、驚いたがそんなことはどうでも良かった。
僕は彼女に聞かずにはいられなかった。
「どうして……
どうして、そんなに強くいられるんだ?」
すると彼女は完璧な笑顔に翳りを見せた。
その笑顔はどこか寂しそうだった。
「強くなんてないわ。
そう見えているのなら私はしっかりやれているってことですね。」
彼女は寂しそうな笑顔のまま、弱気に笑った。
まるでさっきまでの悪女のような雰囲気を微塵も感じない程に。
「ただ、
私と王太子殿下は似ているような気がしたんです。」
「似ている…?」
そして彼女は自分の境遇を語り始めた。
厳しい家の教育のこと。
家族に愛されて育ったこと。
愛してくれた両親を目の前で亡くしたこと。
姉と2人で懸命に生きていること。
それでも寂しくなってしまうことがあるということ。
僕は初めて、同じ貴族の生まれでこんなにも大変な思いをしている人がいることを知った。
もしかしたら僕よりも大変かもしれない。
僕はそんな状況になっても凛としていられる彼女の強さがカッコよく、
そして、
とても羨ましかった。
僕と似て大変な思いをしてるこの子なら、と、
僕は抱えきれないこの思いを、ぽつりぽつりとこぼし始めた。
「さっきみたいなことをよく聞くんだ。
王太子殿下の陰口を。
お、王太子殿下と、仲が良くってさ。
話す機会があるんだけどさ、
僕は…
僕は。
彼の努力を知ってるんだよ。」
僕は弱さを見せてはいけない、ということを守る為に、(もう気づかれているだろうが)他人を装って話し始めた。
「努力をやめた日なんて1日もなかったんだ。
人一倍やらなくては出来ないことが多いから、寝る間も惜しんで勉強したり、
どんなことにだって手を抜いたことなんてなかったんだ。
それは大変だけど、僕にしか出来ないことだから誇りに思っていたんだ。
…って、で、殿下は仰ってたんだ。」
彼女は頑張って誤魔化している僕に気付いており、クスッと笑った。
「だけど…
だけど。
彼の努力はどこにも現れないんだ。
この世界は、人々の努力の結果がつくっているんだ。
美しい庭園を見ると庭師の努力が、
絢爛な絵画を見ると絵師の努力が、
床のタイルや埃一つない机を見ると、使用人達の努力が。
僕の努力はどこにもないんだ。
剣術大会のことだって本当なんだ。
勉学だってろくにできない。
頑張っているのに、
誰も僕の努力を認めてくれない。
こんなこと考える時点で、
王たる資格なんてない…。
自分の愚かさに気づいてしまったんだ。
もうどう生きていいかわからないんだ…。」
僕は他人のふりをすることを忘れ、
それにも気付かないほどに必死に、
抱えきれなかった思いが止まらず溢れた。
彼女はそんな僕に今までとは違う、
悪女のようでもなく、
寂しさも、
弱さも見せない、
かといって、造られたような完璧なものとも違う、
言葉で言い表せない程に美しい笑顔で僕に話した。
「私のお父様は国王陛下の古い友人でした。
生前、よくこの王宮にもいらしていたんですが、
王宮の庭園をお父様はとても気に入っていたんです。
『どの花も強く美しく、千紫万紅の花が咲き誇っている』と。
でも1本だけ少し違ったらしいの。
庭園の隅の一角に、季節外れに咲く1本のグラジオラス。
あれがすごく気に入ったのだと仰っていたわ。」
グラジオラスは僕の名前の元になった花。
僕は昔のことを思い出した。
後継者教育が始まって間もない頃。
花に季節があるなんて詳しくは知らなかった頃、1度庭師に内緒で1本だけグラジオラスを植えたのだ。
深い意味はなく、
父上や母上の花が美しくまっすぐに咲いているのを見て、
自分の花のそういった姿が見たかっただけだった。
だがあと少しで咲く、というところで庭師に気付かれたのかなくなっていたのだ。
開きかけていて、美しく咲く前になくなってしまい、とても残念で悲しかった。
誰の目にも映ることなく、なくなってしまったと思っていたけど、
あの時の花は美しく咲き、見てくれた人がいたことがとても嬉しかった。
あの花は初めて自ら育てた花であり、育て方も1から調べ、丹念に愛を込めて育てていたものだった。
だからこそ、幼心にはとても悲しい出来事であった。
けれど時を経て無駄ではなかったと知って、とても報われた気持ちになった。
「『1度しか見ることができなかった』
と、嘆いていたわ。
だけどお父様は教えてくれたの。
グラジオラスの花言葉は、
『たゆまぬ努力』だと。
それともう1つ教えてくれたわ。
グラジオラスは5本集まると、
『努力が作る勝利』
という意味を持つと。」
僕は彼女から目が離せなかった。
「殿下の努力は今はまだ現れません。
グラジオラスが5本集まると『勝利』という意味を持つのと同じで、
集まることによって努力は形となって現れるもの。
全て、時間をかけて現れている努力の結果なんです。
庭師だって、花を育てるのには3ヶ月や半年かかる花だってある。
その期間、水の量だったり光の量、たくさんのことを気をつけて育てなければならない。
絵師だって、依頼者と構図の打ち合わせをし、実際に描き、擦り合わせ、また描き直しを繰り返したり、
使用人の方々だって、埃や汚れが付いたところを何時間もかけて綺麗さを保っている。
みんな時間をかけているんです。
きっと殿下の努力は、他に比べて果てしなく時間がかかるものなのでしょう。
焦る必要はなく、周りなんて関係ないんです。」
そう話す彼女は、とても神々しいものに見えた。
「私は、出会う前から殿下の努力を尊敬しており、
大変失礼なことも承知で申し上げますが、
幼い頃から積み立てられている努力に気づいており、認めております。」
僕はその言葉を、
誰かにずっと、
言って欲しかった。
その言葉に僕は、
救われた。
「それに。
『認められたい』なんて誰もが持っている感情なんです。
それで王たる資格がなくなるのであれば、
この世界に王になりうる人物なんて存在しませんわ。
『認められて、前を向き、努力を続けて、
民のために歩みを進めることができれば良い』
そう教わりましたわ。
先生の受け売りですが。」
僕の中のわだかまりはもう綺麗になくなっていた。
僕は彼女に、
ありがとう、と感謝を告げようとした。
が、その前に彼女が、
「……と、殿下に伝えて下さいませんか。
出過ぎたことをたくさん話してしまいましたが、殿下は努力家で、きっと優しい心をお持ちなのでしょう。私の無礼も許してくれるはずだわ。
私の言葉が殿下の悩みを解消できるとは思いませんが、
殿下の励みになると嬉しいのです。」
僕は他人のふりをしていたことを今思い出した。
彼女はとっくの前に、きっと僕が声を掛けた時から、僕が王太子であることに気付いているが、ずっと付き合ってくれていた。
その優しさにも胸を打たれた。
これほどまでに、素敵なご令嬢に出会ったことがなかった。
僕は少し慌てて
「あ、あぁ、
伝えておくよ。
きっと殿下はとても救われると思うよ。」
彼女はそんな僕を見て、クスッと笑って、
どこかスッキリしたような笑顔で、
「私にはそれを教えてくれた方がいただけ。
救われる、だなんて、
そんな大層なことじゃないですわ。」
といい、
失礼致します、と、
綺麗なカーテシーをし、
去って行った。
僕は、彼女の後ろ姿をずっと見つめていた。
この日、
僕は彼女に心を奪われたのだった。
やっと出会うことができました笑。
敬語をしっかり使えてないところや、他人のふりをするのを忘れてしまうところは、まだ幼い2人の未熟さ故。
王子は誰かに認めてもらいたかっただけ。
それだけでものすごく救われたんです。




