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同居人

作者: 蒼井ふうろ


「ただいまですよー」



 明るい声が静かだった部屋に響く。ふっと顔を上げるともう室内は暗かった。いつの間にか眠っていたらしい。寝ぐせはついていないだろうか、と手櫛で髪を整える。ぼさぼさの髪の毛にあまり効果はなさそうだが、やらないよりはましだろう。



「ここみちゃーん?」



 声の主はバタバタと音を立てながらここに近づいてくる。私が返事をするよりも早く部屋の扉が開け放たれる。「なぁんだ、いるじゃないですかー!」という底抜けに明るい声と共に部屋の中が明るくなる。白黒に点滅する視界を元に戻すべく何度かまばたきをしてみる。ごそごそと服がすれる音がして、次に視界が戻った時には目の前に満面の笑みがあった。


 街を歩けばみなが振り返るような絶世の美女。御年三十四になるが、どう老けて見積もっても女子大生にしか見えないその女性は、私の今の同居人だ。



「もう! お返事してくださいよー」


「……さとこさんが、私の返事より早く動くからじゃないですか」


「そんなことないのにー」



 にこやかにそう言ったさとこさんは私の頭を二、三度撫でるとそのままゆっくり私を抱きしめる。初めこそ恥ずかしさから抵抗をしていたが、最近は慣れたものだ。なんならそのままさとこさんの背中に手を回して抱きしめ返すことだってできる。



「ああー、癒されます……」



 しみじみそう言うさとこさんに笑いそうになるが、ここで笑ってはいけない。彼女は本気でこれに癒しを感じているのだから。笑う代わりに「お疲れ様です」と労いの言葉を投げる。へへ、と嬉しそうな笑い声が返ってきた。



「遅くなっちゃってごめんなさい。おなか空いてますよね?」


「ううん、さっきまで寝てたから」



 さとこさんが私から離れる。それならよかった、とほっとしたように言った彼女は先ほど私を抱きしめるときに床に置いたカバンを拾うと「服を着替えたらすぐご飯にしましょうね」と言い残して部屋を出て行った。うん、とそれに返事をしてもう一度ベッドに横になる。その昔、食事の支度を手伝おうとしたら長時間説教されたことがあるのでそれ以来台所に近づくのはさとこさんがいない日中だけになった。


 私がさとこさんに誘拐されて始まったこの奇妙な同居も、もう四か月目になる。季節が一つ丸々巡り、徐々に秋の匂いが色濃くなってきたのは小さな窓の外の景色から推察できた。そういえば最近の食事にキノコの類も増えてきた気がする。この同居が始まるまで食事で季節を感じることなんてなかったのになあ、となんだか感慨深かった。


 そういえばはじめこそニュース番組で取り沙汰されていた私の失踪も最近はとんと見なくなった。世間は新しい悲劇の摂取に忙しく、進展のない女子中学生の失踪事件の解決への興味は薄れてきたのだろう。普通なら絶望するのかもしれないが、事件への興味関心が薄れたところで別に問題はない。理由はただ一つ、私にはこの同居が始まるより前に住んでいたところに帰る理由がないからだ。



「お夕飯ですよー」



 扉の外からさとこさんの声がして、私はベッドから起き上がった。扉を開けて廊下に出ると、廊下にはすでに人影がある。



「今日はさとこさん、疲れてたねえ」


「仕事内容じゃな~い? 先月引き継いだクライアント、スケベおやじらしいし~」


「疲れてるんだから、夕飯くらい作らせてほしいよ」


「ま、今日のトップバッターはいい働きしたみたいだけどねっ」



 くるり、最後に開いた私の扉を八つの瞳が見つめている。私はへらりと笑った。



「さとこさんのお仕事の話教えてくれたのはえみりさんだし、疲れてるのに気づかせてくれたのはももさんだし、ハグにはストレスを減らす効果があるって教えてくれたのはみつきさんだし、そもそも今日私に順番回したのはゆきさんじゃない」



 私の言葉に四人はくすくす笑う。私も少しして、彼女たちにつられて笑ってしまった。ゆきさんの「とりあえずダイニングにいこうよっ」という言葉がなかったら、しばらく廊下で笑い転げていたかもしれない。


 私がここに連れてこられた時には、すでにこの四人がさとこさんと同居していた。えみりさん、ももさん、みつきさん、ゆきさん。みんな私より年上の女の子で、やはり私と同じようにさとこさんに誘拐されてここにやってきたのだと教えてくれた。一番年上で今年十八になったみつきさんに言わせれば、以前はまた別の女の子たちがいたらしい。今年はボクがソツギョウする番だからね、とも教えてくれた。



「中二のころにここへ来たから、丸四年になるかな。さとこさんは面白い人でね、ボクらみたいな女の子を見つけると誘拐せずにはいられないのさ」



 ここにきてすぐのころ、四人から彼女たちのことやここでの過ごし方を教えてもらった。


 彼女たちに言われればさとこさんとは“お人好しの変態”であり、その変態性は十二歳から十八歳までの少女に限定して発揮されるということ。変態ではあるが決して性的な手出しはしてこないし、それを提案するととても悲しそうな顔をするということ。彼女の望みは私たちが健やかに成長することであり、彼女の好みから外れる年齢になるころにはなにかしらの仕事を与えて独り立ちをさせるということ。ここに連れてこられる女の子は例外なく“安心して自分の家にいられない”ような子供であること。


 ご多分に漏れず、私もそうだった。私が小さいころに死に別れた父親の顔は覚えておらず、母親は父親が死んで精神的におかしくなり、日常的に酒を飲んで暴れるようになった。助けてくれようとした人はいたが、みんな母親の凶暴性を恐れてそのうち近づかなくなった。大人って役に立たないんだな、と生意気に見切りをつけた私は母親を刺激しないように息を殺して生活することだけ達者になり、それでも外部との交流だけは諦めきれず中学校には通っていた。そして四ヶ月前、中学一年生になって初めての中間考査が終わったころ。突然私の目の前に現れた美人のお姉さんは何の説明もなく私をさらったのだった。



「ここが今日からあなたの家になりますよー、あなたのお姉さんにあたるような人が四人いますけど、みんないい子ですから安心して頼ってくださいねー」



 とんでもないことを言う誘拐犯だと思ったのに、その話し方が驚くほど優しくて、どうしようもないほど安心してしまったのを覚えている。ああ、今日はあそこに帰らなくていいんだと思うとこの珍妙な誘拐犯の言うことを聞くのもいいかと思ってしまった。



「世間から見れば、さとこさんって本当に最低の誘拐犯なんだけど~、私たちからするとありがたいことこのうえないんだよね~」



 安心して泣いてしまった私をなだめてくれたももさんの言葉は、そのときの私の気持ちをこの上なく代弁してくれていた。唯一高校生になってからここにきたえみりさんは「共依存だってわかってるんだけどねえ」と何とも言えない顔をしていたけど、そのあとに「結局、それでもいいかなって思っちゃったんだよねえ」と笑っていた。


 奇妙な関係性だと思う。一般常識が少ない私でも分かるくらい、これは異常だ。少女にだけ愛着を感じる美人すぎる誘拐犯と、それを受け入れて養われている少女たち。うーん、何かの小説にでもなるんじゃないかな。


 ダイニングの扉を開けた。湯気と一緒においしそうな匂いが満ちていて、さっきまでうんともすんとも言わなかったおなかがぐぅぐぅ自己主張を始めた。遅かったですねー、とエプロンをつけて振り返るさとこさんは今日も笑っている。めいめいに決められた席について、ダイニングテーブルに置かれたおいしそうな料理の数々をうっとりと眺める。


 最後に全員分のご飯をよそってくれたさとこさんが席について、私たちは手を合わせた。



「今日もこの素敵な同居が続いたことに感謝して……いただきます」



 いただきますの声が五人分重なり、いつも通りの夕飯が始まる。



「そうそう、今日会社でねー……」



 さとこさんの話を聞きながらこの六人でとる夕飯は、あと何回食べられるんだろう。そんなことを考えかけて、まあいいか、と思い直す。少なくとも私が知ってる限りではさとこさんは四年間捕まってないわけだし、いざとなったら私たちもほとぼりが冷めるまで身を隠すことだってできるだろう。みんなの言うことが真実なら、さとこさんから“ソツギョウ”したお姉さんたちが力を貸してくれるだろうから。


 だからとりあえず今は、この奇妙な同居人たちとの生活を十分に楽しんでもいいかな、なんて。そんなことを思いながら、私もみんなの会話に参加することにしたのだった。




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