#4 本当の吾妻さん①
勉強会を始めて一週間。吾妻さんに勉強を教えつつ、俺は自分の成績を維持するために睡眠時間を削っていた。
朝のショートホームルームと一限のあいだの時間。俺が大欠伸をしていると、
「凄い欠伸だな?」
と隣の席の皆の頼れる学級委員長、如月将太が笑いながら話し掛けてきた。
「あぁ、テスト近いし、遅くまで勉強してるから」
「首席の峯田でも追い込み勉強するのか?」
「そりゃあな? 俺は天才じゃなくて秀才だからな」
首席であることに俺は謙遜せず、寧ろ自慢気に話す。当然である。俺は首席を努力で勝ち取ったのだ。てか、首席なのに「そんなことないよ〜」とか、「偶々だよ〜」とかの下手な謙遜したら絶対に嫌われるだろ……。
「はっはっは! いつも本を読んでいるか、及川と何処かへ行って教室に居ないから知らなかったが、意外と面白いなお前!」
如月はそのガタイの良さ通りの豪快な笑いを教室中に響かせる。同時に俺の背中をバシバシと叩いた。煩いし、痛い……が俺は高校で始めて雪音以外と楽しく会話した気がして、内心喜んでいた。
「……ところで」
さっきとは打って変わり、急に小声で話す如月。
「お前、最近B組の吾妻とよく話してるよな?」
「確かに話してるけど……それがどうした?」
なんだこいつ……さては吾妻さんのファンか? 吾妻さんは美人だし、眼鏡フェチにはたまらないのかもしれない。ただ、俺達はただの勉強仲間であり、今はまだ友達ですらない。狙うなら勝手に狙え。
しかし、如月は俺の考えていることとは全く違う事を言った。
「悪い事は言わない。あいつと仲良くするのはやめておけ」
「……え、なんで?」
如月は俺を本気で心配している様子だった。
「俺は吾妻と同じ中学だったんだが──」
如月が言うには、吾妻さんは中学時代に仲の良い友人が二人いたらしい。ある日、吾妻さんがその友人の一人が恋をしていた男子にアプローチをして、略奪したという。それ以来、外面は良いが裏ではとんでもなく性格が悪い女として嫌われたらしい。
俺はその話を聞いてから昼休みまでずっとモヤモヤして授業に集中出来なかった。
前に吾妻さんに何気無く将来の夢を尋ねた。
「私、獣医師になりたいの。小学生の時に近くの公園で猫が捨てられていたの。でも、その子猫は弱り切っていて、パパと子猫を動物病院に連れて行った時にはもう手遅れだったの」
吾妻さんは目に涙を浮かべながら話した。そして、手で目を擦ってから決意に満ちた目で、
「だから、そんな子を少しでも多く救いたいと思ったの。でも私、馬鹿だから大変な道のりなんだけどね」
と言った。
その目は凄く真っ直ぐだった。とてもじゃないが、そんな優しい心を持った彼女が、友人を悲しみに陥れるようなことをしたなんて信じられなかった。
「りんりん!」
「うわぁ!」
どうやら、ぼーっとしていて気付かなかったが昼休みになっていたらしく。目の前に現れた雪音の顔に驚いて、ようやく現実に引き戻された。
「ずっと上の空でどうしたの? 早く食堂行こうよ」
「お、おう……そうだな」
俺は弁当を机横のリュックから取り出して、雪音と食堂へ向かった。
食堂にはいつもの席で、いつものように吾妻さんが手を振っていた。もしかしたら彼女に裏の顔があるのかもしれないと思うと、そんな姿が今日は少し怖かった。
吾妻さんに対する不信感を彼女自身に勘付かれないように平然を装いながら勉強を教え始める。しかし、男の嘘など女には直ぐに見抜かれてしまう。案の定、吾妻さんが不思議そうな表情で尋ねてきた。
「なんか今日の峯田くん元気ないね? 何かあった?」
「え? いや、何もないよ」
「嘘。絶対に何かあったよ! 悩み事?」
ぐいぐい来るな……。でも、ここで正直に話すほど俺も馬鹿じゃない。
「平気だよ。ほら、この単語、スペル間違ってる」
「あ、ホントだ。危ない危ない……」
強引に話を逸らすことに成功。その後も怪しまれないように怒涛の出題で乗り切る。ようやく予鈴が鳴ったとき、俺はいつもは感じることの無い、妙な疲れがあった。
「今日の峯田くん、元気ないと思ったら急にスパルタ……疲れちゃった」
「ごめんごめん。でもこれで俺に元気ある事が分かったでしょ?」
ぐったりとした吾妻さんに笑いながら謝罪し、俺達はそれぞれ教室に戻った。
やっぱり改めて接してみて、彼女に裏があるとは思えない。きっと何か事情があったのだ。第一、俺は吾妻さんに勉強を教えているだけ。彼女の過去を詮索する立場ではないだろう。
午後の授業も恙無く終了し、放課後を迎える。
「雪音、行こうぜ」
「あー、ごめん。今日は用事があるから先に帰るの」
「そうか? じゃあ、また明日な」
雪音が用事なんて珍しいな。まあいいか、自習室に向かおう。
自習室の扉を開くといつも通り吾妻さんが居るだけ。本当にこの自習室誰も使わないな。
「あれ、及川さんは?」
「なんか用事あるから先帰るってさ」
「ふーん……じゃあ、二人っきりか」
と、少し嬉しそうな笑みを浮かべる吾妻さん。
え、何その反応。意識しちゃいそうなんですけど!
今日の分の課題を終わらせると、いつの間にか二時間が経過していた。
「さて、詰め込み過ぎも良くないし、今日はもう終わろうか」
そう言うと、吾妻さんは少し悩んでから口を開いた。
「私さ、まだ疲れてないし……その……」
と、恥ずかしそうに言い淀む。
まだ勉強するにしたって、もうすぐ下校時間になる。諦めて貰うしか……
「私の家で勉強しない?」
え? 今なんて? 吾妻さんの家で勉強しようと言ったのか?
いやいや……いくら何でも知り合って一週間程度の女子の家に上がり込むのはマズいでしょ。ここは丁重にお断りしなくては。
「だめ……かな?」
「テスト近いし、吾妻さんが良いなら是非」
おいぃぃ!! 口が勝手にオーケーしちゃったよ!
だって仕方無くない? あんな上目遣いされたら断れるわけないだろ。
そして気付けば吾妻宅前。茶色を基調とした普通の一軒家だ。
「い、今更だけど、急にお邪魔しちゃって良いのか? 御家族に迷惑じゃ?」
「大丈夫だよ。誰も居ないから」
誰も居ないなら迷惑じゃないか……って、おい!
それって一つ屋根の下で、出会って日の浅い男女が二人きりってこと? それは社会的に駄目だろ!
「吾妻さん。本当に良いの? その……俺も一応男なんだけど。襲われるかもとかって考えないのか?」
「え、峯田くん、私のこと襲うの?」
「いや、襲わないけどさ」
「じゃあ平気だよ。ささっ、中には行って」
ええ……? この子、俺のこと信用し過ぎじゃないか? それとも俺のこと男として全く見てない? まあ、良いか……考えたら負けな気がする。
「ちょっと待ってて、部屋散らかってないか見てくる」
階段を上がって正面にある、吾妻さんの部屋と思しき扉の前で待たされる。人の家の匂いがして、凄く新鮮な気持ちだ。見渡すと、廊下の奥の扉には『まゆのへや』と書かれたドアプレートが吊るされていた。お姉さんか妹さんだろうか。などと考えていると、制服のポケットのスマホから着信音が鳴る。相手は……雪音だ。
「もしもし」
「おう、どうした?」
何の用だろうと、何も考えずに通話し始める。すると、目の前の扉が開いた。
「おまたせ~! 散らかってるけど入って入って!」
制服から私服へと着替えた吾妻さんがそう言って、部屋の中に手招いた。
無論、吾妻さんのその声は俺の電話の向こう側にいる雪音の耳にも届いたらしく……
「……りんりん、今何処にいるの?」
汗が頬を伝う。心臓の音が速く、大きくなる。おまけに頭が真っ白になった俺が返した言葉は、
「あ……吾妻さんちです」