#2 従妹は恥ずかしがり屋
完全に告白されると思っていた俺は吾妻さんの発した的外れな言葉を直ぐに認識することが出来なかった。
「峯田くん?」
呆然としていた俺の顔の前でひらひらと手を振る吾妻さん。それがきっかけで俺は現実に戻る。
「えっと、勉強?」
「はい、実は私、要領が悪く、勉強が凄く苦手でして……ここに受かったのも奇跡に等しいんです。このままだと再来週の中間テストは赤点だらけかと……駄目ですかね?」
上目遣い。眼鏡越しに見える長いまつ毛とぱっちりとした目、瞳の色は美しい茶色だ。こんな目で見られて、ときめかない男は居るのだろうか。
「何で俺? 別に隣のクラスの俺じゃなくても同じクラスの人に頼んだ方が良いのでは?」
「恥ずかしながら、未だにクラスに馴染めてないんです。皆に置いていかれまいと寸暇を惜しんで勉強していたら見事に孤立しました」
「あはは……」と苦笑いしながら答える吾妻さん。
彼女は凄く真面目で、頑張り屋なんだ。
「そんな困り果てていた時に出会ったのが峯田くんなんです」
「俺?」
「はい! いつものように自習室で勉強していると、隣に座ったのが入学式で新入生代表挨拶をしていた峯田くんではないですか! 新入生代表挨拶は入試を首席で合格した人がするものですから」
確かに、吾妻さんの言う通り俺は首席合格した。首席を狙った理由は学費免除のためなのだが。
折角、首席で合格したのだから三年間学年一位を貫きたい気持ちはある。人に教えるのが一番自分の勉強になると聞いたこともあるし良い機会かもしれない。
「分かりました。一緒に勉強しましょう!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
花が開いたように笑った吾妻さんはペコペコと何度も頭を下げた。
正直、告白じゃなかったのは至極残念だが、こうも喜ばれると悪い気はしない。寧ろ嬉しいまである。
まあ、これはこれで青春だ。
俺は自習室を出る際に、
「それじゃあ、明日から昼休みは食堂、放課後は此処に集合と言う事でお願いします」
と言うと、今度は深々と頭を下げて
「はい、宜しくお願いします!」
と言った。
真面目だなぁと思いながら吾妻さんに別れを告げて廊下に出ると、扉のすぐ横に雪音が立っていた。
「何だ、まだ居たのか?」
「うん、一緒に帰ろうと思って……」
珍しく覇気のない雪音に少し戸惑ったが、俺が歩き出すと雪音はその隣を同じ速度で歩き始めた。
◇◇◇◇
雪音は凄く繊細だ。恥ずかしがり屋な上に、仲の良い人に対しても嫌われまいと必死に笑顔で振る舞う。だからこそ、何の気遣いも要らず、ありのままの自分で接することが出来る俺に懐いたのだろう。
嫌でも一緒にいる時間は長くなるので、雪音の喜怒哀楽は彼女が隠しているつもりでもすぐに分かる。
そして今、駅までの道を一緒に歩いている雪音が抱いている感情は『困惑』だ。
こんな表情の雪音は珍しいため、どう声を掛けるか悩んでいると、雪音が意を決したような表情をして立ち止まった。
「ねえ、りんりん。さっき自習室で一緒に話してた子……誰?」
いつになく真剣な眼差しをこちらに向ける雪音の言葉は恐る恐る、絞り出した弱々しい声だった。
俺は雪音のところまで近づいて、手を優しく彼女の頭の上に乗せる。
「大丈夫だ。あの人はB組の吾妻さん。落第したくないから俺に勉強を教えて欲しいんだってさ」
「ふーん……」
告白されていたのでは、と心配していたのか知らないが、少し安心した表情を見せる雪音。しかし、その表情には不満気な雰囲気も含んでいるように見える。
「まあ、というわけで明日から中間テストまでの昼休みと放課後は吾妻さんと勉強する。悪いけど、その間は一人で帰ってくれ」
その言葉を聞いた途端、あからさまに雪音の不満の気色は増した。
……しまった。完全に御機嫌斜めだ。
泣きそうな目で俺を睨みつける雪音。どう宥めようかと考えていると雪音が口を開く。
「私も一緒に勉強したい!!」
「え、でもお前頭良いじゃん」
雪音は勉強が得意なはずだ。入学早々にあった実力模試でかなりの好成績だったと、先日意気揚々と話していた。そういう人は絶対に一人でやった方が自分のためになるはず。
しかし、食い下がる気のない雪音は、
「ふ、二人で教えた方が効率良いよ!」
「お前、初対面の人と全く話せないだろ」
極度に内気な性格の雪音には初対面の吾妻さんと勉強は疎か、話すことも儘ならないに決まっている。
図星なため、言い返すことが出来ない雪音が悔しそうにしている。そしてついには、
「嫌! 一人で帰りたくない! 私は邪魔しないように黙って勉強してるから!」
これが本音か。まあ、別に雪音が邪魔だから先に帰そうとしている訳ではないから俺は良いのだが……
「分かったよ……。でも俺の一存では決められないから吾妻さんには明日の昼休みに俺の方から言っておく」
「お昼も一緒が良い……」
凄い我儘だな! 流石に俺しか喋る人がいない訳ではないだ……ろ……?
俺は今までの雪音の学校での動向を思い出す。
入学式の次の日の放課後、皆が自分のスマホを出して連絡先を交換し合っているのを遠巻きに眺める姿。
昼休み、皆で机を向かい合わせて談笑しながら弁当を食べている中でポツンと一人、楽しそうなグループをちらちらと見ながらコンビニのサンドイッチを食べている姿。
放課後、「可愛い子がいる」と他クラスの生徒が男女問わず、自分を見に来ているのを何も悪い事していないのに目を付けられたと半ベソで震えていた姿。
……うん、この子も友達いないわ!
全く、どの口で彼氏が欲しいなどとほざいているんだ?
俺が声を掛けなかったら俺にも遠慮して、ずっと一人で過ごしていたに違いない。そう考えると、独りぼっちにするのは少し心が痛む。
「仕方ないな。じゃあ昼休み、一緒に吾妻さんにお願いしよう」
「う、うん……」
一緒に、という部分に少し納得がいっていないのだろう。歯切れの悪い返事をする雪音。しかし、一緒に勉強したいのは雪音の方なのだから、どれだけ控えめな性格だろうと彼女自身が吾妻さんにお願いするのは当然の事だ。
危うく雪音のことをまた甘やかしてしまうところだったな。
俺と雪音の家は学校からそう遠くはない。徒歩二十分ほどで、出発地が学校からだと先に雪音の家があり、家ニ軒と道路を挟んで俺の家がある。
雪音の家の前に着いたため、俺達はいつものように「また明日」と別れを告げてそれぞれの家の中へと入って行った。
「ただいまー……って誰も居ないか」
我が家は専業主婦の母と会社員の父と俺の三人家族である。両親は二人とも四十半ばにも関わらず、まるで新婚のように凄く仲が良い。
父の会社は平日の火曜と水曜に定休日があるため、父と母は休みの度に何処かへドライブに行ってしまうアクティブ夫婦なのだ。幼い頃は一緒に付いて行ったものだが、中学からは父と母が目に余る程イチャつくのが恥ずかしくて付いていくのを辞めた。
帰って来るのはいつも遅いため夕飯は大体コンビニ飯か出前である。料理にも挑戦した事があったが、炊飯器で米を炊くのを失敗して以来、俺には才能がないのだと諦めた。
時計を見ると、時針は丁度五時を指していた。
明日から吾妻さんと勉強する。教える以上、間違えのないように予習はしておきたい。自分の勉強もすることを考慮すればコンビニに出掛ける時間は惜しいな。今夜は出前にするか。
最近は便利なもので、スマホから電話をせずともネット注文が出来る。俺は適当にカツ丼を注文した。予定お届け時間は三十分後と表示されていたので先に風呂に入ることに。
湯船に浸かりながら、ふとある事に思い付く。吾妻さんの苦手科目は何だろうか。苦手分野の対策は綿密にしたいため、すぐにでも取り掛かりたいのだが、聞くのをすっかり忘れていた。というよりかは完全に告白されると思っていたため、拍子抜けで考えがそこまでに至らなかった。
まあ、明日聞けば良いか……
これから届くカツ丼の香りを想像すると、腹をぐぅと鳴ったため俺は風呂を出た。
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