協力依頼
「やれやれ、疲れたぜ」
大儀そうに首や肩を回しながら、コールとフレインが戻ってきた。
「フィッケが痩せてるっていっても、身体があそこまで脱力してると重いんだな。浮遊の術の練習をもう少しちゃんとしねえとだめだ。軽いものばっかり持ち上げてたんじゃ、こういう時に役に立たねえ」
そうぼやくフレインにちらりと目をやってから、アインは火掻き棒代わりに使っていた木の枝の先を焚火の中に突っ込む。
崩れた薪から赤い炎が上がり、アインの顔を照らした。
「ご苦労だった」
アインは言った。
「寮の方は大丈夫だったか」
「ああ。全然問題なかった」
気楽な口調で答えたのはコールだ。
「まだみんな庭園で騒いでるから、がらんとしたもんさ。フィッケの部屋まで難なく運び込めたぜ」
「マイアさんやカッシスさんには見付からなかったか」
アインが寮の管理人と用務員の名前を挙げると、コールはそれにもすぐに頷く。
「そっちも問題なしだ」
「これから生徒がいっぺんに夕食に戻ってくるからな」
フレインが言った。
「食堂でその準備に大わらわになってたから、マイアさんたちもそっちにかかりっきりさ」
「それもそうか」
アインは頷く。花火はいつの間にか終わっていたが、試験が終わったという解放感に浸っている生徒たちはそう大人しく寮には戻らないだろう。
そんな日に、僕はこんなところで何をやっているんだか、と自嘲する。
「フィッケのルームメイトはガレインだったな」
それでも、アインの頭脳は回転を止めない。
「あの男なら、フィッケがぐうぐう寝ていたところで騒いだりはしないだろうな」
アインは初等部三年生の中で最も寡黙な少年の顔を思い浮かべた。
身体も顔もまるで岩から切り出したようなガレインは、そのイメージ通りにほとんど無駄口をきかないことで知られている。
喋ることが何もなくても口を動かすことをやめないフィッケが彼のルームメイトなのは皮肉といえば皮肉だった。
とはいえ、今は彼の寡黙さがありがたい。
もしもルームメイトがモーゲンやネルソンだったら、たちまちにフィッケの様子がおかしいと大騒ぎするに決まっているからだ。
今、アインたちがいるのは、寮から離れた庭園の片隅だ。
庭園で焚火をすることは、本来は禁止されているのだが、それをきちんと守っている生徒はあまりいなかった。
特に三年生になると魔法で簡単に火を点けられるものだから、教職員の目を盗んで焚火を囲む生徒も多かった。
かつてはそれが原因で森で火事が起きたこともあるのだという。
昨年の三年生であるジェビーたちは特に焚火が好きで、庭園や森にいくつもの焚火場所を持っていた。
今アインが火を起こしているのは、そのうちの一つだ。
ジェビーたちが食い散らかしたのであろう鶏の骨や貝殻などがまだその辺に落ちていて、きれいな場所ではないが、焚火跡を囲むようにちょうどいい高さの石がぐるりと積まれ、水を沸かすにはちょうどよかった。
「火はこんなものでいいな」
炎が安定したのを見てとったアインは、来るときに持ってきた古い鍋に手をかざす。
湧水の術。
アインの手から噴き出した水が、たちまち鍋を満たした。
「俺、いくら魔法って分かってても、人の作った水ってあんまり飲みたくねえんだよな」
コールが微妙な表情で、鍋を覗き込む。
「なんか、そいつの血とかを飲んでるみたいでさ。この感覚分かるかな」
「分からねえこともねえけどさ」
フレインが肩をすくめた。
「別に今言わなくたっていいだろ」
「君に飲んでもらうわけじゃない。飲みたくないなら、君はフィッケみたいな真似をしないよう気を付けることだな」
アインが言うと、コールは苦笑いして首を振る。
「しねえよ」
鍋を火にかけて待っていると、そこに二人の男子生徒が姿を現した。
「アイン、お待たせ」
一人はルタだ。
「連れて来たよ」
「ああ、ありがとう」
アインは答える。ルタの背後から、ひょい、と神経質そうな顔を覗かせたのは、三年二組のバイヤーだった。
治癒術担当教師のセリアに心酔していて、この学年で一番の薬草博士と言われている生徒だ。
暇さえあれば森や庭園で地面に這いつくばって薬草の採取や観察をしているところから、下級生たちにも有名だった。
「バイヤー、すまないな。せっかく花火を楽しんでいるところを」
「ああ、うん」
アインに声を掛けられると、バイヤーは落ち着かなそうにきょろきょろと周囲を見回す。
「僕に何の用だい」
「実は君に協力してほしいことがあってね」
アインは言った。
「ハジケスズが発酵すると誘眠作用のある臭気を出すことは、君ならもちろん知っているだろう」
「ハジケスズ?」
きょとんとした顔の後で、バイヤーは頷く。
「もちろん。それがどうかしたのかい」
「これを見てくれ」
アインが地面に並べられたハジケスズを示すと、バイヤーはわずかに顔をしかめた。
「ここまで少し匂いがするな。結構発酵が進んでるんじゃないのかい」
「ああ。わざと発酵させてみたんだ。いい出来だろう?」
涼しい顔でそんなことを言い出したアインに、フレインがぎょっとした顔をするが、ルタに肘でつつかれて慌てて表情を取り繕う。
「僕も誘眠作用については本で読んで知っていたんだが、やはりこういうことは実際に自分でやってみないことには、本当に理解したとは言えないじゃないか。だが、実験するには万が一を考えてまず気付け薬を準備してからでないとね」
「まさか、僕に実験台になれっていうのかい」
バイヤーが怯えたように後ずさった。
「自分が吸うのが嫌だから、僕に臭気を吸わせて眠らせようってことなのかい」
「違う違う」
アインは首を振る。
「気付け薬の作り方を教えてほしいだけなんだ」
だがバイヤーは顔をこわばらせたままだ。
「どうしてわざわざ試験の終わったこんな日にそんなことをやろうとしてるんだい。何か裏があるんだろう」
「裏なんてないさ」
「君が嘘をつくのが上手だってことは、知ってるんだ。僕は君を信用できない」
バイヤーは言った。
「僕には君の嘘を見抜くことはできない。だから、君とは関わりたくないんだ」
とんだ言われようだな。
アインは苦笑する。
だが、自分の評判が他のクラスで良くないことは百も承知だ。それも自分でしてきたことの結果だ。
慎重で臆病なバイヤーからこの程度の警戒をされることは織り込み済みだった。
「確かにどうして今日なんだ、と思うだろうが、まさか試験期間中にこんなことをやるわけにもいかないじゃないか」
アインは努めて朗らかに言った。
「タイミングを測っている間に、思った以上に発酵が進んでしまってね。今日を逃したら、もう臭気は失われてしまう」
「ぼ、僕にはそんなこと関係ないよ」
「気付け薬の作り方を教えてくれるだけでいいんだ」
アインは焚火の明かりも届かない暗がりへじりじりと下がっていくバイヤーに向かって腕を伸ばした。
「君なら知ってるだろ?」
「知らない」
バイヤーは首を振った。
「僕は何にも知らない」
アインはコールに目配せをして、バイヤーを逃がさないようにそっと彼の背後に回り込ませる。
それからそれをごまかすために大きな動作でルタに身体を向けた。
「ルタ、僕の言ったとおりじゃないか。やっぱりバイヤーは知らなかった。バイヤーなら薬草のことは何でも知ってるだなんて、君はいいかげんなことを言ったものだな」
一瞬驚いた顔をしたルタが、すぐにその意図を察して申し訳なさそうな顔を作る。
「ごめん。だってバイヤーは二組の薬草博士だから、薬草のことはセリア先生の次に詳しいってみんなが言っていたからさ。僕もてっきりそうだとばかり」
「そんなことを言ったって、気付け薬の作り方すら知らないじゃないか。噂なんて所詮そんなものさ。彼の成績を考えたって、そこまで詳しいわけがないんだ」
「知ってるよ」
かかった。
バイヤーが口を挟んできたとき、アインは思わず会心の笑みをこぼしそうになったが、すんでのところで我慢した。
「なんだい、バイヤー」
素知らぬ顔をバイヤーに向ける。
「今、何か言ったかな」
「知ってるって言ったのさ」
頬を紅潮させたバイヤーが、挑むようにアインを見た。
「気付け薬の作り方くらい、僕は二年生の時にはもう覚えていたよ。アイン、君こそクラス委員のくせに勉強が足りないんじゃないか」
「これは恐れ入ったな」
アインは大げさに目を丸くして驚いてみせる。
「それなら是非、作り方をご指南いただきたいものだね」
「ああ、いいよ」
バイヤーは憤然と頷いた。
「その代わり、僕を眠らせたりしないと誓ってくれ」
「誓おう」
アインは即答する。今度こそ、会心の笑みがこぼれた。
「アイン・ティムガバンの名において。バイヤー、僕が君に危害を加えることは、決してない」




