シオンという男
白楽亭の事務所は事務所というにはあまりに生活感の溢れる場所で、居間といったほうがよほどしっくりする場所であった。
その中央には布団が敷いてあり、その上にはやはりというべきか、顔には痛々しい青あざを残した、メアの父親であろう人物が横になっていた。
その側にはメアの母親らしき人の姿もあった。
これが、メアが1人で店を切り盛りしていた理由である。
「メア....そちらの人は....」
メアが口を開くより早くシオンは動いた。
「シオンと言います。今日からここでお世話になるものです」
「あら....お客さんでしたか...ですが今は......」
そう言って視線を落とすメアの母を無視し、シオンはメアの父親の元へと歩み寄ると、腕をまくり、メアの父親に瓶に入った緑の液体を飲ませた。
「お、お客さん!?」
「ポーションです。これで良くなるでしょう」
シオンの言葉を証明するように、メアの父親の体は緑色の光に包まれると、今まであったあざは嘘のように全て消えていった。
「ポ、ポーション!?そんな高価なものを!」
ポーション、魔素の強い環境でしか育たない『治癒の草』を原料とした液体であり、ダメージの治癒に関して即効性がある。
だが、前述の通り、魔素の強い環境でしか育たないために、希少価値がとても高く、市場では金貨1000枚以上で取引される代物だ。
シオンはある事情により、このポーションを大量に持っていた。
ではなぜ売らなかったのか、簡単である。この世の中でポーションを質に売る人間など存在しないからである。
ポーションの精製というのは実はとても難しい。『治癒の草』を手に入れたところで普通の人間に精製することはできない、それどころか、その道に精通した技巧でさえも丸1ヶ月の歳月を必要とする。
『治癒の草』のまさに10倍の値段でポーションが取引されるのはこのためである。
つまり、このポーションを売るということができるのは技巧であるが、そもそもそんな名職人はこのローレンスに数えるほどしかいない上に、当然、全員自分の店を構えている。
メアの母親がこのように慌てるのはいわば当然のことなのであった。
「いいんです。まだありますから」
そう言ってシオンはまた立ち上がると、事務所の奥へと向かった。
そこから色濃く魔法の匂いがしたのだ。
「ちょ、ちょっとお客さん!そっちは....!」
暖簾をくぐった応接室のような場所にそれはあった。
「剣とは古風な....」
応接室の中央には中心に剣の突き刺さった魔法陣があった。
これは魔法剣というやつである。
剣に術式が組み込まれており、術者の魔力に反応し、剣の干渉した物体に対して、魔法陣が生成されるといった寸法だ。
剣というのは非常に魔力を込めやすいというところからこの魔法剣は生まれた。
術者は魔法式を完成させることなく、術式を唱えることができる。
言い換えれば、少しの魔力さえあれば、誰でも簡単に魔法を使える魔法初心者用の代物だ。当然、魔法式を埋め込む技術が必要なために、魔法剣自体はとても高価なものではあるが。
(こんなものを使うってことは術者の力量も知れたもんだな)
魔法剣は剣を抜くことで魔法陣を崩壊させることができる。だが、この魔法剣は魔力を持たない人間には抜くことができない。
当然、この魔法剣はこの剣が抜かれればそれまでの魔法である、であれば剣自体が抜かれないような工夫がなされるのは当然であり、床との接地面を補強する魔法が魔法陣に組み込まれているのは至極当然のことだった。
「なるほど.....これが抜けなくて途方に暮れてたってことか」
メアは小さく頷くことでそれに答えた。
たしかに、一般の市民にこれを抜く力などあるはずがない。
シオンは歩み寄り、剣の柄を握りしめると、いとも簡単にそれを引き抜いた。
瞬間、部屋は白い光に包まれ、魔法陣は青白い煙となって消滅し、霧散した。
「えっ、えええええええ!!!!」
驚きを隠せないメアにシオンは苦笑いで返した。