第2章『短い冒険』
私には名前は無かった。
森の中を徘徊し、獲物を狩る日々を繰り返すだけの生き物だった。
そうして生きてきたし、これからも生きると思っていた。
しかし、衝撃の出会いがあった。
兄上との喧嘩の後に、彼と出会った。
喧嘩で怪我をしてしまった。
死ぬほど痛かった。
だけど彼が治ってくれた。
そしてそのあと、彼を守ると誓った。
私たちは朝食を食べ終わった後、もう一回農場を探す事にした。
主様のよく使う言葉を借りれば、しょうがないんだ。
けれど今回の探検は数分間で終わった。
飼い主様はナイフを見つけた。
逆に私、何も見つけられなかった。
それでも飼い主様はただ、私に微笑みかけてくれて、「おまえ賢いよなぁ」と言った。
嬉しい。
すっごく嬉しい。
このような人間が存在するなんて誰かが信じるかな?
夜になった。
そしていつものように気温が一気に下がった。
私と飼い主様は寒さから脱出するために納屋に入った。
暗い。
いや、私が見えるけど、飼い主様はただの人間なのだからほとんど見えない気がする。
それでも彼は暗闇にさりげに進んだ。
すると納屋の真ん中にある藁塚に腰を下ろした。
私もついていって飼い主様の隣に腰を下ろした。
すると何もない。
でも、それでいい。
飼い主様がいる限り、何でもいい。
壁の隙間から入ってくる風が私の毛皮を撫でていた。
気持ちいい。
けれど飼い主様が凍えそうに見える。
大丈夫かな。
いや、絶対に大丈夫だ。
間違いない。
飼い主様の膝に頭を預けた。
私の行動に飼い主様、そっと頭を撫で始めた。
これも気持ちいい。
何の抵抗もなく、私の尻尾が勝手に振れ始めた。
そして私は目を閉じた。
そのとき、
「もうそろそろだな。
早く寝ないと……」
と、飼い主様がそう呟いた。
私には名前は無かった。
しかし今は名前がある。
そしてその名は『ましろ』。
私は飼い主様の顔をのぞき込んで。
彼なら大丈夫。
少なくともそう信じたい。
「……………………………………」
「……………………………………」
「……………………………………」
「……………………………………」
だ……誰?
翌日。
目覚めると俺の顔をまじまじ覗き込んでいる全裸の女の子が見えた。
言うまでもなくその女の子ってひどく美しい。
流れるかのように白い髪が背中まで瀧のごとく落ちて、薔薇と同じ色の瞳が俺の魂を貫く。
星空に浮かぶ白い満月の儚げな光にキラキラと煌いた輝く雪のような華奢な肌。
女神すら嫉妬に身を焼くほどの美しさーーまあ、その程度ではないが、彼女と同い年の他の女子に比べて、強さや見た目や性格に関して完全に超えているといった印象を与える。
自分の意志が奪われたかのように俺は何も言えなくなった。
一体なんなんだろう、この展開って………文句を言わないのだけど。
結局のところ、俺は未だにオタクだもん。
いや、おかしいぞ。
ましろは?
記憶が確かなら寝るとき、いつも俺の隣にいるはずだが………おい、まさか……
う……嘘やろ?!
「お……おまえ……もしかして、
「ましろ」ちゃん……だろう?」
何を言ってんのか、俺? そんなわけね……
「そうだよ。ましろだよ……」
喋った!!!!
ってか、認めた!!!
「なんでましろちゃんが人間になったの?!
おかしいぞ!おかしいぞ!」
「おかしくないよ」
「いや、どう考えてもぜってぇおかしいぞ」
「そうなの?
知らなかった。
うちの一族でこういうの普通だよ」
なんだこいつ?
狂ってる?
いや、狂ってるのは俺だ。
「で……なんでそんな格好?」
「……なんでって。
まあ、
久しぶりに人間になったので……」
「自由にできる?
これって……」
「うん」
「えー?
すげぇなぁ」
嘘をつく必要がない。
まさかうちのファーストペットは実は人間狼のハイブリッドだ。
惜しい。
と同時に面白い。
「まあ、
とにかく胸から降りてくれ。
今日は忙しいんだから」
「はいよ」
ましろは小さく言うと、俺の胸から離れた。
意外と柔らかい床から体を起こし、俺はあくびを漏らしながら伸びをした。
さっき体を襲った疲労感が溢れ出てきた。
すっきり、俺は広い納屋を横断し、ドアを開けると外の世界に踏み出した。
迎えられたのは太陽の紫外線。
俺は目を細めて、久しぶりにため息をついた。
「おい、ましろ。
一番近い町は?」
俺が聞くと、振り返る。
「それは……イレナだな?
森を抜けて道なりに北へ進めば、
一時間くらい到着するはず」
と、そう答えてくれたましろ。
「うん。なるほどな。
ところで、狼に戻ってくれないか?
おまえ全裸で…もし誰かに見られたら困るよ」
「ええやけど……」
急に関西弁!!
いやそりゃ……
うん。
やはり何でもないや。
ともあれ、お金が欲しいので俺は町に立ち寄る事にした。
もちろん、今は何も持っていないのだけれど、森を彷徨いながら動物を狩って毛皮を昨日の拾ったナイフで剥ぐことをしたら、きっとなんとかなる。
そうすると食料を手に入れることができるのみならず、十分に金も手に入れるはず。
一石二鳥。
頷いて、俺とましろは、イレナという町へのもう一つの短い冒険に出た。
できれば、太陽が沈んでいないうちに到着したい。
♢
森を抜けてから三十分がもう経っていた。
俺とましろはいま、イレナという町への道を歩いているのだ。
世界の果てに広がっていくような青空には明るい太陽が浮かび、何もかもを眩しい光に照らしている。
雲がゆっくりと流れ、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
空を背景にして岩だらけの山々が聳え立ち、目の届かないところへと畑が走る。
やはり田舎だ。
それにしても、
「あと三十分なぁ。
オタクの俺にはキツイ」
と、無意識に言う。
まあ、俺の病院生活を考えれば文句を言えないのだが……
「オタクって何?
食べ物?」
ましろの声に俺は隣に見てみると顔をしかめずにはいられなくなった。
「いや。何でもない。
ってか狼に戻るって」
「いいんじゃない?
見る限り誰もいないし」
いや。
そうじゃなくて……
「いいって。
俺は健全な男だぞ。
唆ったら何をするのかわかんないよ。
早く狼に戻れ」
「いいわよ、
マスターなら」
「………?」
え? 今何って言った?
耳を疑って俺がちゃんと確認するために、
「はい?」
と、聞いた。
するとましろはこっちを見て優しく微笑むと、繰り返す。
「いいわよ。
マスターなら大丈夫」
危険な言葉だ。
俺は未だ、ドウテイだからさ。
「いや。からかわないでよ。
突然そんなことを言ったらマジで自制心を失う」
「ひゃん! いやだ、マスター。
私、まだ処女ですし………きっと、
マスターの性的欲望を満たすことができません」
「やめろ!!」
俺は必死に叫んだ。
もう駄目だ、こいつ〜。
アニメなんかじゃねぇぞ。
「落ち着いてください。
冗談わよ冗談」
微笑みながらそう言うましろ。
…………
冗談……だった。
………あ、そう。
べ、別に、なんか期待したわけじゃないんだから勘違いしないでよ。
ほ…本当だよ。
それはさておき、今何時かな。
どれくらい歩いたのだろう?
俺はため息をついた。
脚が痛い。
足裏がきっと肉刺だらけだ。
「はぁ〜」
♢
しばらく歩くと休憩をすることにした。
道の端に座って俺とましろは水を飲んでいた。
うめー。
「どれくらい歩いたのか、知ってる?」
俺が聞くと、まるでなにかについて考えているかのようにましろは青空を見上げた。
すると、
「全然」
と、返事した。
まあ、そりゃそうだな。
しょうがない。
と、ぼんやり考えながら、なにやら後ろから音がしてきた。
振り返ると遠くからこちらに向かってくる何かが見える。
あれは…馬車か?
えーすげぇ。
馬車なんて初めて見たんだ。現実で。
………
あ、ちょっと待って。
これってチャンスかもしれない。
馬車が近づくにつれ、俺は立ち上がった。
するとジャケットを脱いだ。
「ほら、
これを羽織って怪我が痛いふりをする」
文句を言わずにましろは俺の命令に従った。
では、作戦を行おう。
妻の傷の手当をする夫のごとく俺は跪いてましろを抱きしめた。
すると演技を始めた。
「助けて!
誰か助けて!
俺の妻が……俺の妻が……」
と、大きな声で言った。
必死に見回して、初めて馬車を見たふりをした。
立ち上がり、俺は道の中央に行って空に手を翳した。
気づいたか?
目の前をガラガラと土煙を上げながら馬車が通過していく。
すると停車していることに気がついた。
引っかかった。
「何故キミは道を立ち塞がってるんだ?!」
バタンと馬車の扉を開けて出て来たのは白髪と立派な髭をたくわえた紳士だった。
洒落たスカーフとマントを着込み、胸には薔薇のブローチが輝いている。
明らかに貴族だ。
まるで怒っているかのようにそう叫んでこっちに来たが、俺はそれを無視した。
「ごめんなさい。
ただ、俺の妻が…」
深々と頭を下げ、俺は謝るとましろに目をやった。
貴族もましろに目をやった。
そして気づいた。
「どうしたの?」
彼が聞くと、俺は思い浮かんだことを口走った。
「山賊に襲われた」
よりによってどうして山賊を選んだか自分でもわかんない。
こういうことが起こるような気がした。
「山賊?」
「はい。
襲われたとき、俺は森で探検してるところだった」
だから信じてくれるために地面のあちこちに身の回りを散らした。
俺ほんっと天才だ。
「どうして探検してるんだ?」
どうしてって。知るか、そんなの。
「変な音が聞こえたから。
妻は怖いものが苦手なのであそこにいる事にしたんだが……」
「なるほど。それでね?」
なんとなく避けた。では、終わらせる。
「頼むから次の町まで乗せてくれないの?
俺らは貧乏だから払う余裕がないけれども、」
俺が言うと、貴族はこう答えた。
「いや、大丈夫だ。乗りたまえ」
「え? 本当か?本当にいいのか?」
「大丈夫って。さあさあ」
「あ……ありがとうございます!
あなたのご親切にいくら感謝してもし過ぎることはない」
成功だ。
もちろん、全部は嘘だった。
まあ、全部といっても俺らは本当に貧乏だからそれ以外。
それでも、なんとかうまく説得したんだ。
俺はましろの元へ戻って身の回りを拾った。
それからそっと、ましろを抱き上げた。
すると止まった馬車のとこへと向かった。
こうして、俺らはなんとか馬車にただ乗りすることを許可された。
ちらりとましろの顔を見ると、かすかに微笑んでいることに気づいた。
流石は狼。
♢
ゆらゆらと馬車が揺れる。
やがて、俺たち三人はイレナの町へと到着した。
町の門番らしき兵士に挨拶と軽い質問をされ、早々に入ることを許される。
ガタゴトと馬車が町中を進んで行く。
古めかしい石畳の上を進むたび、ボックス型の車体が小刻みに揺れた。
かなりの時間が経つと、一軒の店の前で馬車は止まった。
「さあ、降りてくれ」
「はい」
貴族さんに言われるがままに、俺はましろの手を摑んだ。
するとゆっくり馬車から降りた。
降りながらましろは俺のシャツを握ってくる。
本当に怪我をしたみたいだ。
まあ、本当に怪我をしてたんだけれど、もう治ったはずだ。
いいぜ、ましろちゃん!
お前本当に最高!
頑張れ!
と、俺の心の中でましろを褒めた。
が、俺の演技力に比べて勝ち目はない。
たぶん。
まあ、それはさておき、俺は目の前の店をじっと見つめた。
店には薬瓶と薬剤みたいなロゴが飾れていた看板があったが、
え?何これ?
日本語じゃない。
と、その下の文字を見て、ちょっとまずいことに気が付いた。
「全然読めない……」
看板の文字が読めない。
これはかなりまずくないだろうか。
話はできるが文字が読めないとは…。
まあ、会話はできるのだから誰かに教えてもらうことは可能だろうが。
はぁ〜
めんどくさいけれど、勉強しなきゃ。
その考えだけで、俺は震えずにはいられない。
他に方法はないよな?
なんか魔法とか?
ないなぁ~
まあ、ないといっても方法がきっとあるだろう?
その方法は何?
「ここは?」
看板から判断すると、どこかのクリニックみたいなとこのように見えるが、ちゃんと確認する為にザック(名前らしい)さんを尋ねる事にした。
「イレナクリニックだよ。
お嫁さんの怪我を癒やすために来ましたよ」
「お嫁さんの怪我を癒やすために?
診療ってことだよな……」
「うん。そのとおりですよ」
あ、そーゆーことな。
つまり、医師っているんかい。
い……いや。
そりゃ普通だろう。
なら問題ない。
ふむ。
それにしても良かった〜
もしザックさんが医師さんだったらどうしようのはわからなかった。
ましろの手をぎゅっと摑んだまま、俺は深々と頭を下げて礼を言う。
「本当にいろいろありがとうございます。
ザックさんは居なかったらどうするの困りますに違いない」
「いや、大丈夫って。
少しでもお役に立てれば幸いです」
本当に優しいよなぁ、こいつ。
貴族なのに。
正直に言えばびっくりした。
思ってもいなかった。
まあでも、現実で貴族に会うことは一度もなかった。
これが、アニメの影響だな。
控えめに言っても恐ろしい。
「では、失礼します。
仕事に戻らなければならない」
「はい。わかりました」
それを言うと、馬車は動き始めた。
そして別れを告げて、ザックさんはやがて、視線から消えた。
「…………」
俺はましろを見た。
迎えられてきたのは期待に満ちているましろのその大きな目だ。
俺を見上げてきて、「早く褒めてくれ」と言わんばかりの光が輝いている。
仕方無く俺は微笑みながら首を振った。
「はいはい。
おまえ、本当にすげぇんだよ」
俺が言うと、ましろは愉快に微笑んで、
「もちろんですわ!」
と、言う。
さて、これからが本番だ。
さっそく始めましょう!
♢
バッグの中に動物の毛皮がたくさん入っている。
先ず、雑貨屋さんを探す。
見つけたら毛皮の全部を売って金を手に入れて、そのあと鍛冶屋を探して見つけたら自分を守る為に武器とか買い、それが終わり、市場に向かって食料品と水を買う……あと、見かけによらずましろはズボンをまだ履いてないが、俺のジャケットが人の視線からアソコを防いでいるから今は大丈夫だけど、やっぱ服飾店に立ち寄らなきゃ。
俺は隣に目をやった。
全然平気のように見える。
変態か?
変態女……考えたことない。
………
はぁ〜
何考えてるの、俺?
気持ち悪っ。
それにしても手続きを済ませたあと、太陽が完全に地平線下に沈み始める前に宿屋を見つけると一泊する。
うん。完璧だ。
俺とましろはいま、人と亜人の活動で賑わっている大通りを歩いている。
目的地は繁華街。
しばらく歩くと、やがて繁華街に着いた。
見る限り、様々な商店が道に沿って走って、人と亜人の数もけっこう増えていた。
ビルにバナーがいっぱいあったが、全然読めない。
それでも、デザインから判断して、たぶんフェスティバルの広告のだろう?
面白い。
「マスター〜。
どこ行くの?」
ましろが急に聞いた。
彼女を見ると俺は、
「雑貨屋だ」
と、素っ気なく返事した。
そしてさらに続けた。
「そのあと順にーー
服飾店、鍛冶屋、市場、宿屋」
「え〜 お金を幾ら手に入れるの?」
ましろがそう聞いた。
確かに幾ら手に入れるのかわかんない。
だから俺は正直に答えることにした。
「わかんない。
でもスカイリムの経験に基づいてたぶん、1000エリスくらい」
ちなみに、エリスはこっちの世界の通貨だ。
「スカイリム?
何それ?
ってか今、1000エリスって言ったでしょう?」
「うん、言ってたよ。
毛皮質と動物自体によって価格が変わられる。
けれど俺たちの場合、兎の三匹、狐の五匹、狼の十匹の毛皮を集めて、錆びついたナイフで剥いだ。
毛皮質は低いに違いない」
「それなら……」
ましろが口を動き始めたが、俺は彼女を遮った。
「おまえ、俺の説得力舐めてるの?」
♢
説得の定義(辞書):よく話して、わからせること。あるいは説き伏せること。
説得の定義(俺):相手の心を弄くり回すこと。
「ここか?」
「うん。
ここだよ」
あてもなく彷徨った後、やがて雑貨屋を見つけた。
看板を全然読めないので、翻訳はましろに任せた。
彼女の指示に従って、俺らはついに着いた。
見た目は一階建ての建物だ。
煉瓦と木でできた、RPGの中によく出てくるようなとても小さな小屋みたいな建物だ。
うん。
いい雰囲気だな。
やはりシンプルに越したことはない。
と、考えながら雑貨屋に入った。
壁に走っているのは様々なアイテムだ。
武器から薬まで。
………………………
あれ?
ちょっと待って………いい考えがある。
他の商店に行く代わりに、ここで必要物を買おう。
よく考えればいいアイデアだな。
必要なアイテムを手に入れるのみならず、太陽が沈む前に絶対に宿屋を見つけられる。
よし!決まり!
「いらっしゃーい」
カウンターにいたお姉さんが声をかけてくる。
赤毛のポニーテールがよく似合う、溌剌とした感じの人だ。
年齢は二十歳前後というところか。
控えめに言っても可愛い。
めちゃくちゃ可愛い。
でも、残念。
ここに来た理由はそれじゃない。
「えっと、
毛皮を売れきました」
そう言うと、手にあるバッグを開いた。
「………」
「………」
誰も何も言わなかった。
雰囲気マズっ。
毛皮を調べていることが一目瞭然だ。
しかし俺はもう知ってる。
「これはダメだよ。
せいぜい200エリスをあげる」
みたいなことを言いやがる。
けど、俺はもう覚悟を決めたんだ。
何と言うとも、俺は負けないぜ。
さあ、かかってこいや!
「2000エリス」
「それだけ?
ほら、いいことを教えてやるっていま何言ってた?」
「2000エリス」
「……………………」
「……………………」
ええええええええええええ?!?!
にににににににににに、2000エリス?!
おいふざけんじゃねぇぞ!
からかってるだろう?!からかってるだろう?!
「マジで?」
「マジで」
からかってねんだ!
どうしようどうしよう?
先ず、落ち着け。
深呼吸。深呼吸。
それ何回もやると、お姉さんの顔をじっと見つめる。
嘘をつく人ではないんだろうな?
もちろん、そんなことがわからないので油断できないけど、やはり気になっている。
「なんで…………
2000エリスって?」
俺が聞くと、彼女はこう答えた。
「なんでって。
私の娘の誕生日プレゼント」
「娘の…………
誕生日プレゼント?」
「ええ。
なんか最近動物の毛皮に興味を持ってさ。
ふわふわして気持ちいい〜って」
「…………あ…あ~。
そうなんだ」
ヤバそうなヤツ。
「そうだよ、
もぉ〜。
で、売るか売らないか…」
「売るに決まってるんだろう!!」
「はい。
じゃあ、毛皮をカウンターの上に置いてください」
と、お姉さんが言う。
これ本当、祝福ですね。
その後、俺とましろは武器とか服を買った。
俺のジャケットの代わりにましろは緑色のスカートを履いた。
そして純白のブラウスを着た。
うん。
結構似合うよな、ぶっちゃけ。
ちなみに俺らはいま、イレナの街を歩いている。
太陽の位置からしてもう夕方になってきたようだ。
つまり、六時三十分くらい。
いつの間にか夜になるよなぁ。
けど太陽が沈んでいないうちにとりあえず、観光する事にした。
「ええ?!
何あれ?!」
ましろが叫んだ。
するとどこかへ素っ飛んだ。
はぁ〜
元気なやつだなぁ、あいつ。
「おい!あんまり走らないで!」
俺が言う。
足首を捻挫する可能性が高いし。
でも、俺の忠告を無視して、彼女は悩みが何もないように走り続けた。
俺はため息をつくしかない
もしかして、聞こえてないか?
可能性はゼロではない。
だって、忠実なましろだぞ。
まあそれでもあいつ、本当に可愛いなぁ。
なんか子供みたい。
彼女を守るなんて俺の義務のような気がしてる。
不思議だなぁ。
「おい!
マスター!
こっち来てください!
面白いこと見つけちゃった!」
「はいはい」
生返事をした。
けれど実際はめちゃくちゃ気になっている。
面白いことって一体なんなんだろう?
と、ぼんやり考えながらましろのとこへと歩き始めた。
「ほらみてみて」
「なんだい?」
近づきながら俺が聞いた。
裏路地?
なんでこんなとこに……
そして気づいた。
寝ている少女がいる。
少女は、小さな体にあまりにも大きすぎるTシャツだけを纏った。
大型ゴミ箱に頭を凭せ掛けているその少女が、怖い夢か何かを見ている顔をしている。
栄養不足かどうかわからないが見た目からして、年齢は三、四歳といったところだ。
少女の寝姿を厳粛に見つめ、俺は屈んで手を伸ばす。
「どうしますか?」
ましろが聞いた。
戻れる場所はないようだ。
見捨てられた?
それとも忘れられた?
わかんない。
でも、全くわけがわかんない理由でこの少女を知ってるような気がする。
ところどころ塵が混じった、流れるように長い金髪に、粉雪と同じ色のとても白い肌。
瞳の色が見えないけど……青い…かな?
空と同じ色の水色。
そっと少女の小さな体を抱きしめて、地面から抱き上げた。
するともう一度少女の寝顔を覗き込みながら、
「今日から君は、俺の愛しい娘だ。君のためなら何でもやる」
と、そう囁く。
何故だろう?
何故そんなことを言っちゃったのだろう。
けれどやはり、答えを知らない。
♢
「おはよう」
昨日の見つけた少女を見つめながら、俺が挨拶をした。
「………」
迎えられてきたのは、沈黙。
まあ、しょうがないなぁ。
もし俺が彼女の立場に居てたら……いや、考えたくなってきた。
それでも気持ちがわかる。
「腹減った?
飯食いたい?」
「………」
俺が聞くと、沈黙。
「じゃ、
じゃあ、
お風呂に入りたい?
ましろといっしょ……」
「お断りします、
マスター」
俺が提案すると、沈黙に迎えられたのみならず、ましろは干渉した。
ってかなんでお風呂に入りたくないの?
きたねえ。
と、その瞬間思い出した。
あ……
あいつ、狼だ。
否、狼だからといって、お風呂に入る必要はないとは限らない!
あとで文句を言う。
今は……
グルル……グルル。
と、何か咆哮のような音に遮られた。
「………」
「…………腹減ったか?」
「…………」
「未だ喋らないの?」
「…………」
き……気まずい。
「ほら、
俺の手をとって……」
と、俺が言うと、手を伸ばした。
それに少女は目を細めた。
な……なんか赤くなってる……瞳が。
「…………」
少女は何もしなかった。
何もしなかったのに、なんか嫌な感じがしてる。
俺はこわごわと手を引く。
ふむ。ツンデレだ。
これからどうすればいいの?
何かしないと全然進まない気がする。
………………………………
あ、そ…そうだ。
自己紹介だ!
よし。
とりあえずこれですまそう。
「あ、
そうや……
自己紹介忘れてました。
俺のうしろにいるやつの名前はましろ、
そして俺の名前は鍵山拓也です。
あなたの名前は?」
「…………」
「カギヤマ……タクヤ?変な名前」
少女から沈黙。
ましろから混乱。
って何を言ってるのかわからない。
うん、アイツを無視したほうがいい。
といっても……
「おい、
ましろ」
と、俺はましろの名前を呼んだ。
なんとなくいける気がする。
「はい?
どうしましたか?」
丁寧なやつだなぁ。ましろって。
丁寧な上に賢しくて可愛いし……いつかいいお嫁さんになるに違いない。
「飯取ってきてくれ」
と、俺が言うと、ましろは恭しく頭を下げて、
「かしこまりました」
返事した。
するとあっさり部屋から出ていった。
素直を言い忘れていた。
血管を走っている狼の血の影響かな。
俺たちはいま、イレナの町の宿屋にいる。
昨日の用事を早めに済ませて、しばらく探すと、やがて、ここを見つけた。
俺たちがいる部屋は小さくて心地良い。
壁に走っているのは本棚、そしてその本棚に様々な本が大から小まで立ち並んでいた。
勿論、表記体系が理解できないので読めない。
悔しい。
そろそろ勉強しなきゃ。
そうしないと、この世界の文学に耽る事ができないんだ。
見かけによらず日本に住んでいた頃、俺ってさ、いわば、本の虫だった。
即ちラノベや漫画以外他に本も読んでいたって事。
はぁ〜
楽しかった。
と、そのとき、
「戻りました、
マスター」
聞き慣れた声が聞こえた。
俺は振り返ると、そこにましろが立っていた。
手には朝飯に飾れていた皿。
これでよしっと。
「ありがとう」
と、俺が礼を言うと、ましろは赤くなった。
皿を手にとって、未だベッドで座っている少女に目を向けて皿を翳すと、
「食う?」
と、尋ねる。
「……………………」
少女は何も言わなかった。
が、皿をじっと見つめているとわかってる。
すると、
グルル、グルル。
その音が聞こえた。
俺は微笑んで、
「ほら、
食えよ」
と、皿を少女に差し出した。
「…………」
少女はまだ無言のまま皿を見つめる。
その空と同色の瞳に「いいのか?」と言わんばかりの光が映っている。
それに俺は頷いた。
渋々と小さな手を伸ばして、やがて皿の端をつよく摑んだ。
そして食い始めた。
最初は肉を食い荒らす野生の動物のようだったが、食えば食うほど、咀嚼力が減少した。
少女は止まった。
すると俯いたまま、
「どうして?」
と、小さな声で聞く。
「どうしてって。
馬鹿なこと言わないでよ。
こういうのが普通だろう?」
「…………」
「それよりおまえ、
なんで裏路地で寝てたの?」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
すると俺はため息をついて、
「答えたくないなぁ。
まあ、仕方無い」
と、言う。
すると少女が、
「…………ごめん」
と、言う。
「なんで謝るの?
話したくないならしょうがない」
と、俺は何気なく言った。
実際はすっごく気になってるけど。
「…………」
「はぁ〜」
俺はため息をつくと、
「早く食い終われ。
夜になっていないうちに俺たちの家に戻りたい。
あ、そうだ。ましろ」
「はい?
なんでしょうか?」
「なんでしょうかって。
もうわかってる気がする。
こいつと一緒にお風呂入れ。
命令だ」
「…………そんなぁーー」
「文句を言わないよ」
「…………了解です」
と、俯きながら降参したましろ。
ほんっと、子どもだなぁ。
「俺たちの家?」
と、小さな声が聞こえた。
少女に目を向け、震えていることに気づいた。
「そう。俺たちの家。おまえも来るだろう?」
「…………」
ノーリアクションか。
まあ、少女の状況を考えれば飲み込みづらいよな。
「いいの?」
と、5〜6秒が経つと、少女が聞いた。
すると俺は、
「別にいいよ」
と、答えた。
そしてその後、俺たち三人は旅を始めた。
目的地は俺の……いや、俺たちの家だ。
「そうや。名前あるの?」
歩きながら俺が聞いた。
「ないです」
と、少女は素っ気なく答えた。
すると俺は、
「じゃあ、付けてもいい?」
そんな質問をした。
そして俺の質問に、
「別にいいよ」
と、さりげに答えた。
よしゃ。さっそく始めるぞ。
髪は金髪、瞳は青い……少女は確かに可愛い。
可愛いからこそ可愛い名前を付けるべきだ。
考えよ、俺。
いい名前はなんだ?
綾野?それとも霧乃。
確かに霧乃という名前は可愛い。綾野も。
でもやはり日本人の名前を付けない方がいい。
じゃあ、リズはどう?それともアリア?アリス?
考えれば、アリスのほうが良いかもしれない。
いや、むしろなかなかいいじゃん?
少女の見た目からして、ツンデレに違いない。
その上にロリキャラだ。
髪型はツインテールだったらピッタリだ。
…………
やはり。これが彼女にとって最高の名前だ。
「よし!今日からお前の名前はアリスだ。どうだ? 可愛いでしょう?」
「…………まなあ」
まあな?
なにそれ?
「お……おい、
ちょっと。
そんな素っ気ない反応はなんだ?」
でも少女は俺を無視して歩き続けた。
「ちょーちょっと待っててば」