なぜだか、叱られました
茶碗におかゆをよそい、菜っ葉を入れた味噌汁と辰姫が買ってきた魚の干物を添えれば、朝食の出来上がりだ。
吉花と辰姫が二人で茶碗や皿を並べている間に、葉月が茶を入れてくれる。茶葉は、急須ごと辰姫が部屋から持ってきたものだ。吉花の部屋はまだまだ足りないものだらけなので、お給料を貰ったら買い足していこう、と決意する。
全員の膳が整うと、三人そろって手を合わせ、食事が始まった。
「それで? 昨夜の話を聞かせてくれるかな?」
味噌汁をひと口すすり、葉月がさっそく話を始める。
井戸端で妖怪に会ったと聞いたときから、聞きたくてたまらなかったのだろう。さきほど、長屋の外で立ったまま話を始めようとした葉月に、今日も仕事があるから朝食を食べながら話したい、と言ったのは吉花だ。
「ええと、昨日はあのあとすぐお風呂に入りに行ったんですけど、なんだかんだしてるうちに、暗くなってしまって……」
なんだか笑顔が怖い葉月に、吉花はしどろもどろになりながらいろいろと端折って伝える。
湯屋までの道のりで、あちらこちらへと寄り道したと言えば辰姫が叱られるだろう。番台の女性を困らせたのも、たぶん葉月の顔をさらに怖くさせるだろう。風呂用品を見て盛り上がったのは、吉花も同罪だから伝えても良い。いっしょに謝ろう。
けれど、そのあとに辰姫が洗い場や湯船をじっくり観察していて日が暮れたことは黙っていたいから、けっきょく話せることはなにもなかった。
気まずく思いながらお粥をすする吉花の横では、フードを下ろした辰姫がお粥に魚のほぐし身を乗せて、むぐむぐと食べている。辰姫の意識は食事のみに向けられており、葉月のじっとりとした視線は気づいてもいないようだ。
「昨日、言ったよねえ。早く帰っておいでよ、って」
視線と同じようにじっとりした声で葉月が言うも、辰姫は茶碗を空にし、味噌汁を飲み干すのに一所懸命で、返事をしない。葉月がむっとした顔で再度名前を呼んで、ようやくうんうんと頷く。けれど、辰姫の目は食べ物に向いていて、まともに聞いているようには見えない。
吉花がはらはらしながら二人の様子を見守る中、菜っ葉をもぐもぐと噛んで飲み込んだ辰姫が、立ち上がる。右手に汁椀、左手に茶碗を持った彼女がいそいそと向かうのは、かまどに置かれた鍋の元だ。
草履を突っかけてかまどに着いた辰姫は、首だけでくるりと振り向いて、期待に満ちた眼差しで吉花を見つめる。
「……ああ! おかわりはお好きなだけどうぞ。お昼はまかないが出ますし、夜はいつも買って帰ってるから、残っても困るんです」
視線の意味に気づいた吉花がそう言うと、辰姫はいっそう目を輝かせてうきうきと椀を満たす。表情こそ変わらないが、明らかに幸せそうな雰囲気を醸し出しながら座布団に座る辰姫を見て、葉月が諦めたようにため息をついた。
「まったく……。無事に帰って来られたから良かったものの。これからはもっと気をつけるように」
仕方なさそうにそう言う葉月に、辰姫は口をもぐもぐさせながらこっくり頷いた。それを見て、ようやく葉月は表情を和らげて食事を再開する。
「それで、昨日の夜のこと詳しく教えてくれる? 吉花さん」
「ふあいっ?」
場の空気が穏やかになり、安心して食べることに集中しようとしていた吉花は、急に戻った話題に妙な声を出してしまった。驚いて顔をあげれば、こちらを見ている葉月と目が会う。
「覚えている範囲でいいんだ。調査のためにも、話を聞かせてほしい。今は黄場に聞いても、ちょっと無理そうだから」
苦笑する葉月の言葉にも、辰姫は反応を示さず飯を頬張っている。それならば、と手早く食事を済ませた吉花は、箸を置く。
そして、のっぺらぼうの美肌っぷりに力を込めて昨夜の顛末を話して聞かせた結果。
「きみたちね……もうちょっと危機感を持ちなさい!遅くならないように気をつけて、夜道を女の子だけで歩かない! 変なやつに会ったら、近寄らない! できるだけ早く逃げる! わかった? わかったら、返事っ」
「は、はいっ」
頭を抱えた葉月に叱られ、吉花は背筋を伸ばして返事した。辰姫は、食後の茶をすすりながら右手を上げる。おそらく、返事のつもりだろう。
叱った後も、葉月は深い深いため息をついて頭痛を堪えるような顔をしている。
「まったく……得体の知れないものに会ったら、悲鳴を上げて逃げ出すのが普通だろうに」
ぶつぶつと言う葉月になんとなく申し訳なさを感じて、食事を終えた吉花はひと言付け足した。
「あの、でも、初めは近所の方だと思ったんです。先日、わたしひとりで帰ってきたときにも見かけましたし」
のほほんと放たれた吉花の言葉に、葉月が動きを止める。お茶を飲んだ吉花は、葉月の眉がきりきりとつり上り、恐ろしい形相になっていくのに気づかず続けた。
「そのときはあいさつだけして帰って。顔は見なかったから妖怪さんだとは思わなかったんですけど」
あいさつして振り向いたら居なくなっていたのだから、ちょっと不思議だなあ、とは思ってたんですよ、と笑う吉花は、そのあと再び、葉月に説教をされるはめになった。