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妖怪、出会いました

 暗闇に生じた妖怪を間近にして、辰姫はふるりと体を震わせて叫んだ。


「のっぺらぼう!」


 悲鳴ではない。明らかな喜色のこもった叫び声である。叫んだ辰姫の表情こそフードに隠れて見えないが、ちらりと覗くその口角は嬉しげに上がっており、八重歯が姿を見せている。

 顔のない男に対して前のめりになっている様子からも、辰姫が興味津々で目の前の妖怪を見つめているのが想像できた。

 あまりにも凝視されて対応に困ったのか、判断するための目鼻がないため真相はわからないが、のっぺらぼうが首を動かして、吉花に顔を向けた。向けられたところで何もないので、体の向きや手ぬぐいの被り方から、たぶん正面を向いたのだろう、と推測する。

 提灯に照らされた、つるりと白い陶器のような顔。

 まるで、ゆで卵が頬っ被りをしているみたい、と思いながら、吉花はのっぺらぼうににじり寄る。

 首の上、優しくカーブを描くあごにはひげなどもちろん生えておらず、産毛すら見当たらない。ふっくらと柔らかな丸みを持つ顔の中ほどに鼻はなく、にきびに悩むどころか、毛穴さえないすべらかさ。頬っ被りのすぐ下には目も眉もなく、凹凸さえないのだから、目が一重だとか二重だとかで悩むこともなく、小じわを気にすることもないのだろう。

 辰姫の横に並んだ吉花は、その顔をまじまじと見つめ、つぶやいた。


「きれいなお肌ですね……」


 頬に手をそえ、ほうっとため息を漏らしながら羨ましげに見る吉花。

 その横で八重歯をむき出しに笑う辰姫の目は、フードの下できらきらと輝いているに違いない。

 食い入るように妖怪を見つめる二人の手が、そうっと持ち上げられてのっぺらぼうの顔に伸びる。

 左右から襲い来る指先がのっぺりした顔に迫り、そのつるりとした肌に二本の指先が影を落とす。

 滑らかなその頬に今まさに触れん、としたそのとき。

 ふっと風が吹き、提灯の明かりが消える。

 突如、訪れた暗闇にあやかしの白い肌は溶けるように飲み込まれ、吉花と辰姫の指先は空を切る。

 からん、と火の絶えた提灯が吉花たちの足元に落ち、のっぺらぼうの消えた後にはかすかな煙と闇だけが残された。




 翌朝、吉花は井戸端で慣れない洗濯をしながら、ため息をこぼす。


「おはよう、吉花さん。朝からため息ついて、どうしたの」


 かけられた声に振り向けば、短い髪をぼさりとさせた葉月の姿。春になったとはいえ朝はまだまだ冷えるので、寝起きの浴衣に手近な着物を引っ掛けてきたのだろう。その肩にかけられた手ぬぐいを見て、顔を洗いに来たのだろうとあたりをつけた吉花はそっと立ち上がり、葉月のために場所をあけた。


「おはようございます。かまどでお料理するのって慣れなくて。今朝はごはんがふやふやで、おかゆがたくさん出来てしまったんです」


 しょんぼりと言いながら、吉花は手ぬぐいを洗濯板に擦り付ける。洗剤がわりに使うのは灰汁だ。

 江戸時代には洗濯洗剤など売っていないから、どうしたものかと小料理屋の店主に聞いたところ、米ぬかや灰汁を使っていると教えてくれた。吉花もはじめは米ぬかで洗ってみたのだけれど、力強くやり過ぎたのかぬかを入れた袋が破れて、ひどい目にあった。そのため、灰汁を使って洗濯をしているのだけれど、擦っても擦っても泡立たないので、洗えている気がしない。

 あと三十回擦ったら終わりにしよう、と決めて、吉花は心の中で数え出す。


「食べきれないくらいたくさん出来てしまって。でも、おかゆだからお仕事に持って行くわけにもいかないし。鍋に入れて置いておくのも、ちょっと心配で」


「そうなんだ。吉花さん、朝ごはん今から? もし今からなら、ご相伴に預かりたいなあ、なんて」


 遠慮がちな葉月の申し出は、吉花にとって願ってもないことだったので、失敗作で申し訳ないと言いながらも、嬉々として了承する。葉月のほうも今から火を起こして米を炊いて、とやらなくて済んだのが嬉しかったらしい。にこにこと代わりに洗濯を手伝うよ、と申し出てくれた。

 返事をする前に吉花は三十を数え終わり、桶の水を流して捨てる。釣瓶つるべを使おうと井戸を見上げると、葉月が水、入れていい? と聞いてきた。

 ありがたく水を入れてもらい、ざぶざぶと濯ぎ洗いをする。他に手伝えることあるかな、と言う葉月に手ぬぐいを絞ってもらっていると、長屋の方から物音が聞こえた。

 ずるり、ぺたり。ずるり、ぺたり。

 何の音か、と振り向いた吉花と葉月の視線の先には、フード付きケープを被った辰姫がいた。

 よれよれになった浴衣を足にまとわりつかせて、草履を引きずりながら歩いてくる。だらりと垂れた手に手ぬぐいをぶら下げていることから、葉月と同じく顔を洗いに来たのだろう。


「黄場、おはよう」


「んー……」


 葉月が声をかけても、ぼんやりと頭を下げるばかりで、寝ぼけているようだ。


「おはようございます、お辰さん」


「おー……? おー。吉花、おはよ」


 ふらふらとしゃがむ吉花の真横まで来た辰姫にあいさつをすれば、少しは目が覚めたのかちょこりと八重歯を見せて返事をしてくれた。

 そんな二人を見ていた葉月が、辰姫に井戸の側を譲りながら言う。


「二人はずいぶん仲良くなったみたいだね。いいことだね」


 嬉しげな葉月に、辰姫がこっくりと頷いた。


「吉花、辰姫、仲良し。妖怪見た仲」


「……え?」


 ぴしりと固まる葉月に気づかず、吉花がにっこりと笑って補足する。


「そうです、そうです。のっぺらぼうさん、と言う妖怪を一緒に見たんです」


 逃げられて残念、そうですねえ、と言い合う吉花と辰姫の肩を引きつった笑顔の葉月が、ぽんと叩いた。


「その話、ちょっと詳しく教えて貰おうか?」

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