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しらす雲

 空が高い。

 日暮れ前のかすれた青色をなでるように広がる雲は、いかにも秋の空といった風情があった。


 しらす雲だったかな、空を見上げながら吉花は誰かがそう呼んでいたことを思い出した。


「何か見えるの?」


 縁台に並んで座っていた葉月が、吉花に顔を寄せて同じように空を見上げる。


「雲が、秋だなあって」

「ああ、本当だ。しらす雲だね」


 吉花が指差す先を見て葉月が言うものだから、吉花はなんとなくうれしくなった。それと同時に、疑問が浮かぶ。


「しらす雲って、どうしてしらすなんでしょうか。しらすの旬って、秋なんでしょうか」


 秋、とくちにしたところで、ちょうど風が吹き抜けた。ひんやりと涼しい、秋の風だ。袖の長さを変えられない着物でも、心地よく過ごせる季節になっていた。

 ちりりん、と澄んだ音を立てる軒下の風鈴も、そろそろ仕舞わなければならない。風鈴の旬は暑さといっしょに、過ぎようとしてきた。


「でも、しらすって春にも食べますよね。生しらすは春によく見かける気がしますし」


 首をかしげたところで吉花は、横に座る葉月がきょとんとした顔で自分を見ていることに気がついた。

 どうしたのだろう、と吉花が目をぱちぱちさせていると、葉月の顔がだんだんとゆるんで笑顔になる。

 ますます首をかしげる吉花を見ながら、葉月がにこにことくちを開いた。


「しらすの旬はね、冬以外ならいつでも大丈夫だったはずだよ。だから、あの雲の名前の由来もしらすじゃないんだ。しらす雲の別名、巻雲のラテン語学術名Cirusシーラスが由来だったはずだよ」

「しらすじゃないんですか!」


 驚くと同時に、吉花は恥ずかしくなった。雲を見て食べ物としか思えないなんて、食い意地が張っていると思われたのではないか、と顔が熱くなる。


「でも、しらすも良いね。ちょうど夕飯の時間だし、食べに行こうか」

「え、ええと、あの、その……」


 気をつかってくれたのだろう葉月の誘いに、どう答えたら食い気ばかりでないと思ってもらえるだろう、でもいっしょにご飯に行きたい、と吉花があれこれ考えていると。


「吉花、お出かけ? ご飯、まだ?」


 辰姫が、長屋の角からひょっこり顔を出した。


「飯に行こうぜ!」

「食事のあとに立ち寄る店ならば、案内いたしましょう。開店したての眼鏡屋があるのですよ。それがまた、こじんまりとしていながらなかなかの品揃えをしておりましてね。ぜひとも多くの人に立ち寄っていただき、さらなる眼鏡の充実と発展に貢献してもらえれば、人類のためにもなるというものです。あなたもそう思うでしょう?」

「………」


 辰姫のうしろから赤塚、水内が現れて、水内に話を振られたのっぺらぼうがおろおろとしている。

 三人の後ろから草履をぺたぺた鳴らしてやってきたのは、田谷だ。


「やあ、二人ともここに居たのか。今日は珍しく全員がこの町に来てるっていうからね。みんなでご飯でも、と思って探してたんだよ。ヨルさんは店で落ち合うってさ」

「わあ! みなさんいらしてたんですね! ご飯、行きたいです。あ、葉月さんはお忙しいですか……?」


 吉花はぱっと浮き立った気持ちのままに返事をしてから、葉月を振り返った。

 ちょっと時間ができたから、とやって来た葉月は、もしかしたらもう帰ってしまうかもしれない。そう思うと吉花の浮き立った気持ちはしゅるしゅるしぼんでいく。

 

「……いや、時間は大丈夫だよ。おれも行きたいな」


 葉月は、なぜか苦笑を浮かべてから答えた。よほど吉花が情けない顔をしていたのだろう。

 けれど、葉月もいっしょにご飯が食べられるのだとうれしくなった吉花は、出かける準備のために辰姫と手をつないで部屋に入った。

 いそいそと荷物を持って、髪を整え、辰姫にも合格をもらった吉花は草履を履いて表に出た。


「お待たせしました」


 集まる男たちの背中に声をかければ、いちばんに振り向いた葉月が、吉花を見て目をみはり、そして破顔した。


「よっしゃ、行こうぜ。腹減った!」

「食べる、いっぱい。吉花とわけっこ!」

「走らずとも、店は逃げません。しかも、走るという行為は眼鏡との相性が悪い。しかし、相性が悪いと断定してしまうのは愚かなことです。偉大な先人は断定せずに、運動に適した眼鏡を開発しました。それが、ゴーグル型をしているのですが、これがまた優れものでして……」

「…………」

「ほらほら、君たちまとまって歩きなさいな。前のふたりは走らない、水内くんはお話ばっかりしてないで、ちゃんと前を見て歩いてね。のっべらぼうくんが困ってるでしょうが」


 にぎやかな一団からすこし遅れて、吉花と葉月は並んで歩く。


「それ、つけてくれたんだね」


 ぽつり、と言った葉月の視線を追って、吉花は笑顔でうなずいた。


「はい。お気に入りなんです」


 吉花の動きに合わせてさらり、と流れた髪を飾るのは、葉月がくれた梅の花のかんざしだ。

 この町に来て手に入れたもののなかでも、特別に大切なものだったから、ためらいなく吉花は答えた。


「うれしいな」


 そう言って笑う葉月が本当にうれしそうで、吉花もつられてにこにこと笑顔になる。


「今日はしらすを食べに行けないけど、しらすは旬がないからまたいつでも、いっしょに食べに行こうね。梅のかんざしも旬がないから、いつでも使ってね」

「はい。きっと、行きましょうね!」


 秋風に風鈴がちりん、と澄んだ音を響かせた。


挿絵(By みてみん)

イラスト、藤乃 澄乃さま

かわいい吉花のイラストは、長岡更紗さんのイラスト交換企画で藤乃澄乃さんに描いていただきました!


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