夜が、明けます
友情を確かめ合った辰姫と吉花はその夜、行灯の明かりを囲んでパジャマパーティならぬ寝巻きパーティーを楽しんだ。
辰姫からは外の町で流行っている新しいスイーツの店の話を聞いたり、今冬の流行カラーを教わる。
お返しに、吉花は町の中で新しくできた店の話や、季節と共に変わった棒手振りの売り物のことを話して聞かせた。と言っても、葉月に連れていってもらった店や、小料理屋の常連に教えてもらった棒手振りさんなど、人に聞いた話ばかりだ。
それに気がついて、自分が住んでいる町のことさえ自分では知らないのだと、吉花はへこんだ。へこみながら、どれも人に教えてもらった情報ばかりなのだと辰姫に伝えると、辰姫は喜んでくれた。
「吉花ともだち、いっぱい。吉花みんなとなかよし!」
「……そう、ですね。そういう考え方もあるんですね……!」
目から鱗が落ちたような思いで、吉花の胸は軽くなる。そして、これからは自分でも誰かに伝えられるように、いろんなことを気にかけながら歩こうと胸に刻む。
そんな調子で辰姫に元気づけられながら、盛り上がって楽しい気持ちのまま二人は眠りについた。本当は朝までだって話していられそうだったけれど、吉花は次の日に仕事が控えていた。そのため、日付が変わる前に行灯の明かりを消したのだった。
ぐっすりと眠っていた吉花の意識が、かすかな鐘の音をとらえてふと浮かび上がる。
ぼんやりと寝転がったままの耳には、鐘の余韻しか聞こえない。いつも遠くに聞こえる人びとのざわめきが感じられないのは、夜明けまでもう少し時間があるということだろう。
それならばこのまま寝ていようか、それとも早めに起きて身支度を整えてしまおうか。
考えるともなく考えながら隣で寝ている辰姫に目をやれば、頭まで布団をすっぽりと被って眠っている。その中で丸くなって寝ているのだろう。ぽこりとした膨らみをなんとなく微笑ましい気持ちで眺めていると、視界のすみで影がぞわりと動いたような気がした。
なんだろう、確かめようと吉花が身を起こしたとき。
「おまえはほんと、なんにもしらない。なかみがからっぽ。だれかのことばをくりかえすだけのやつなんて、だーれもいらない。ひつようない」
誰かの声が聞こえた。
声が聞こえたのは、さきほど影が動いたような気がしたあたりだ。
暗さに慣れた吉花の目は、暗い部屋のすみにひときわ濃い暗闇を見つける。いつもの影だ。
けれど、明かりのない部屋でもわかるほど、濃い影だったろうか。
以前はささやくようだった声がはっきりと聞こえるのは、町中がしんと静まり返っているからだろうか。
吉花は、影について冷静に考えることができていた。
影の言葉が胸に刺さらなかったわけではない。
「……なにも知らない私でも、いないと寂しいと言ってくれる人がいます。私は空っぽかもしれませんが、それでも仲良くしてくれる人たちがいます……!」
「……」
はじめての吉花の反論に、影は答えない。吉花も、
そうして、黙ったままの影を見つめてどれくらい経っただろう。
遠くで、人びとが暮らす雑多な音がさざめきだした。
それに気を取られた途端、とろりとほどけた影を吉花は見失った。
ぼんやりと、部屋のすみを見ている吉花の頬に明かりがさす。
夜明けだ。
吉花はよく眠っている辰姫を起こさないように、そっと布団から抜け出した。
できるだけ音を立てないように、身支度を整える。着物に手を通し、お端折りを作ってマジックテープ式の作り帯で止めていた吉花は、ふと思った。
一度、本当の帯をしめてみたい。
とにかく着られればいいやと簡単な作り帯ばかり使ってきたけれど、せっかくだから着物の着方をきちんと知っておきたい、とそう思ったのだ。
もちろん、着物の知識をほんの少し身につけたところで、吉花の中身が豊かになるわけではない。けれども、影の言うとおりに空っぽのままでいるのも気に入らない。
そうとなったら町民向けの着付け講座を受けようか、それとも細川の祖母に教えてもらえるよう頼んでみようか。
だったら帯も手に入れたい。帯にも種類があると、以前聞いたことがある。一番立派なのが袋帯だということは覚えている。半幅帯と名古屋帯の違いはなんだったろうか。どんな結び方があるのだろうか。
考えはじめると、少し楽しくなってくる。
鼻歌まじりの吉花が朝食の支度を済ませるころに、布団の山の中から辰姫が這い出てきた。
「……おあよぅ……」
「はい、おはようございます。もうすぐごはんができるので、着替えてしまってくださいね」
寝ぼけたままの辰姫の身支度が整うのを待って、二人そろって朝ごはんを食べる。
寝起きの辰姫は口数が多いわけではないから、笑いが絶えない食卓とはならなかったけれど、それでもじゅうぶん楽しい時間を送ることができた。
「それでは、白重さんにお会いしたらよろしくお伝えください」
「ん。いってきます」
食事が終わると、まだ早い時間にもかかわらず辰姫は出かけるという。久しぶりに町をぶらつきついでに、白重のいる教会にも足を運んでみるという。
肌寒い空気のなか駆け出していく辰姫の背中に向けて、吉花はにこにこと手を振るのだった。