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鍋を囲んで、ぬくぬくします

 出かける支度を済ませて部屋を出れば、もうあたりは暗くなりはじめていた。

 秋の日はつるべ落としという言葉どおりだな、と感心する吉花の横で、葉月がたもとから取り出した提灯を広げて明かりの用意をしている。

 女物と違って、男物の着物は袂が閉じているから物入れにできて便利だな、と吉花は思っていたのだが、葉月いわくそんなに便利でもないらしい。

 袖が重たいと動かしづらいので、あまり重たいものや大きなものは入れないという。洋服より収納力があるのは、男女どちらも変わらないと思うよ、と返された。


「そういえば、さっきは何をしていたの? 長持を引っ張り出してきていたけれど。服でも探していたの?」


 葉月と並んで通りを歩きながらとりとめのない話をしていると、話題が先ほどの吉花の部屋に移る。


「ええとですね。あれは机の代わりにしてたんです。昼間、教会に遊びに行ったら白重さんに宿題を出されてしまって」


「へえ、宿題?」


 白重のことは初めて遊びに行った日に話してあるため、説明は不要だ。とびきり美人でとっても優しいシスターに会ったと話したら、友だちが増えてよかったねと言ってくれた。

 美人だという点にもっと興味を持ってくれるかと思ったのに反応が薄かった。そこで、県のミスコン優勝者なんですよ! と力説したのだけれど、返ってきたのは、すごいねえ、という軽い返事。

 葉月さんはきれいな人が気にならないんですか? と問えば、俺には吉花さんがいるから間に合ってるんです、と返され赤面したのは記憶に新しい。


「この前もお話したと思うんですけど、白重さんは英語が堪能なんです。それで、すごいなあって言ってたら教えていただけることになって」


「ああ、それで宿題を出された、と」


「はい。私なんかでもやればできると言ってもらえたので、ちょっと頑張ってみようかと」


 吉花は言いながら、苦笑いを浮かべてしまう。自分に自信がないものだから、本当にできるようになるとは思えない。

 そんな吉花を見て、葉月は困ったように笑う。


「でもね、自分のことを『なんか』って言うのはやめてあげてほしいな。吉花さんはいろんなことをきちんと頑張って、いろんなことができるようになっているんだから」


 戸惑うように瞳を揺らす吉花の頭を優しく撫でて、葉月は続ける。


「でも、新しいことに挑戦するのはとてもいいことだと思うよ。納得がいくように、やってみて」


「……はい」


 そんな会話をしているうちに、目的の店に着いたらしい。

 葉月が連れてきてくれたのは、鍋物屋。店先の提灯には筆文字で「ねぎま」と書かれている。


「焼き鳥屋さん、ですか?」


「入ってるみればわかるよ」


 首をかしげる吉花を促して、葉月が店に入って行く。

 一歩入れば、ぐっと温度を増した空気に包みこまれた。暖かな店内にほっと息をはいて見回せば、小上がりになった店のそこここで客たちが輪を作っている。人の輪の中心には、白い湯気を立たせる鍋が置かれていた。


「お鍋屋さんですか? でも、表にはねぎまって……」


 案内された小上がりに腰を下ろしながら聞けば、少し間をとって吉花の横に座った葉月が楽しそうに笑う。


「吉花さん、こっちのねぎまは食べたことないんだね。見ての通り、ここのねぎまは焼き鳥じゃなくて鍋なんだ」


 そう言うと、葉月は忙しく立ち働く店員を呼び止めて鍋を二人前注文する。店員が立ち去ってから、改めて説明をしてくれる。


「ねぎま鍋って言ってね。ねぎと、まぐろの鍋なんだ」


「あ、だから『ねぎま』なんですね!」


 合点がいったと手を合わせる吉花に、葉月は首をひねる。


「うーん、どうなんだろうね。ねぎまの『ま』はまぐろから来ているとも言うけど、鍋の主役はねぎで合間にまぐろを食べるから、ねぎまだとも言われているらしいよ」


 どっちなんだろうねえ、などと話しているうちに、吉花と葉月の前にも七輪に乗った鍋がやってきた。

 七輪の横にねぎや赤身の魚の切り身が乗った皿を置き、店員は鍋のふたを取る。刺身でも食べられるまぐろなのでお好きな煮え具合でお食べください、言って店員は去っていく。


「これは……もう食べられるということですか?」


 もうもうと湯気を立てる鍋をのぞけば、ねぎはくったりとして、切り身の魚も色が変わっている。

 

「そうだね。どれくらい魚に火が入ったのが好きかなんて初めてじゃわからないだろうから、いろいろ試しながら食べてみようか」


「それは、なんだか楽しそうですね!」


 はじめての食べ物への期待と、賑やかしい店内の雰囲気に吉花の気持ちの浮き立ちようは、天井知らずだ。

 しっかり煮えたものもおいしいけれど、少し生っぽいのもいける。とろりと煮えたねぎにまぐろの旨みがたっぷり入ってたまらない、とにこにこ顔の葉月が差し出すままに吉花は箸を進めていく。


「そろそろ鍋がおいしい季節だからと思ってここにしたんだけど、気に入ってくれたみたいで良かった」


「とってもおいしいです。体もほかほかしてきて、今日はいつもより薄着で寝ても大丈夫かもです」


 このごろは晴れた昼間でも冷たい風が吹くこともあるので、吉花は寝間着の下に肌着を着て寝ていた。けれども、この体の温まりようなら今日は必要ないかもしれない。


「ねぎのおかげかな? だけど、油断しちゃだめだよ。ずいぶん冷えるようになったからね。服もだけど、部屋も大丈夫? 寒かったりナニか不具合があったり、しない?」


 部屋の不具合と言われて、吉花の頭に影が揺らめく。けれど、言えない。言いたくない。あんな暗い気持ちを抱え込んでいるなんて、葉月に知られたくない。


「……いいえ、大丈夫です! なにもありません。大丈夫、ありがとうございます」


 ほんの少し返事をためらった吉花をどう思ったのだろう。葉月は笑みを引っ込めて、じっと吉花を見つめる。


「本当に? 吉花さんはひとりで頑張りすぎるところがあるから、心配だ」


 葉月のまっすぐな視線を直視できなくて、吉花は無理に鍋に目をやった。


「そんな、本当に大丈夫ですって。それより、鍋がいい感じですよ。さあ、食べましょう!」


「……そうだね。とりあえず食べようか」


 明るく言って促せば、葉月も笑顔に戻って箸を手にする。そしてまた並んで鍋をつつき、あたりの喧騒に混じってとりとめのない話に花を咲かせるのだった。

ねぎま鍋を食べたことがないのは、作者です。

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