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誰にも、言えません

 部屋に現れたなぞの黒い影。

 そいつのことを、吉花は誰にも相談できずにいた。


「つまらないやつ。なさけないやつ。うじうじなやんで、くらいったらありゃしない」


 今日も黒い影は吉花の部屋の中で、気分の悪くなる言葉をささやいている。影は、はじめてその存在に気がついたときよりも濃くなっているような気がする。

 毎日、ひとりきりの部屋に現れては吉花の気持ちを暗くさせることばかり言う影。薄気味が悪く、気分も沈むため吉花の顔色は優れない。

 日に日に元気を無くしていく様子を見て心配してくれる人はたくさんいるが、吉花はまだ誰にも黒い影のことを話せないでいた。

 影のことを話せば、影がつぶやく言葉もみんなに伝えなければならない。そうしたら、それらの言葉が吉花の胸からこぼれ出たものだということも伝えなければならない。

 

 「いやだ、いやだ。うっとうしいことばかりかんがえて、いやなやつ」


 つぶやく影のように、面と向かって言うような友人知人はいない。けれども、その胸のうちはわからない。

 面倒なやつと思われたら。うっとうしいと思われたら。そうして、距離を置かれてしまったなら……。

 それを思うと吉花は誰にも言えなくて、薄気味の悪い影を部屋に居つかせてしまう。

 

「本当のことなのに、みんなにそう思われるのはいやだなんて、わがままだよね……」


「ほんと、わがまま。めいわく、じゃまじゃま」


 吉花の言葉をすかさず拾い、影はつぶやく。

 自分で思って言ったことなのに、自分以外の口から聞こえるとどうしてこうも傷つくのだろう。吉花の気持ちはずっしりと重たくなる。


「そうだよね。こんなことばかり考えてしまうなんて相談されても、迷惑だよね。葉月さんだって、明るくて可愛い子のほうがいいに決まってるよね……」


「めいわくめいわく。くらいくらい。そんなやつはやあだやだ」


 より一層暗さを濃くした影の言葉に、吉花がため息をついてうなだれたとき。

 とん、とん、とん。

 部屋の戸を叩く音がする。続いて、もうし、と呼ぶ声は落ち着いた男性のものだ。

 はっと体を起こした吉花は、誰だろうと首をひねる。

 葉月は、今朝から町の外で仕事があるということで、出かけている。帰ってくるのは数日後だと言っていたし、まず声が違う。赤塚から食事の誘いも受けていないし、細川が来る約束もしていない。

 大家の田谷だろうか、と思いながら吉花は部屋のすみに目をやる。もやのような影は見当たらない。行燈の明かりが届かずにできた影が、音もたてずににじむばかり。

 ささやく影がいないことにほっとしながら、吉花は土間におりる。


「はあい、いま開けます」


 草履を履きながら返事をし、からりと引き戸を開けてみる。

 そこにいたのは、思わぬ相手。墨染の衣をまじまじと見て、吉花は目をぱちくりさせる。


「ヨルさん、こんばんは。どうしたんですか?」


 町中や小料理屋などでしばしば顔を合わせているため久しぶりではない。けれども、招いたとき以外にヨルが吉花の部屋を訪ねてきたことなどなかったので、吉花は驚いて首をかしげる。

 

「いや、なに。春野どのに元気がないと、ほうぼうから泣きつかれてな。某になにができるわけでもないが、顔を見に来たのよ」


 笑いながら言うヨルの言葉に、吉花は応えに困って苦笑いする。ほうぼうとは誰のことだろう。葉月だろうか、辰姫だろうか。ヨルにまで相談するほどに、心配をかけてしまっていると思うと、つまらないことで悩む自分が申し訳ない。


「わざわざありがとうございます。でも、みんなにも言っているのですけど、このところ朝晩が冷えるから、それで元気がないように見えるのだと思います」


「ふうむ?」


 心配してくれる人たちに説明している通りに伝える吉花に、ヨルは納得しかねるような声を出してあごをさする。そして、じっと吉花の顔を見て口をへの字にした。


「そうは言うが、それだけではあるまい」


 確信をもっていうヨルに、吉花はどきりとする。うつうつとした気持ちを見透かされたのだろうか。


「寒暖差による体調不良もあろうが、それ以上に今の姿からは覇気はきが感じられぬ。まるで、負の気に飲まれた者のようだ」


「負の気に……?」


 独特の言い回しがわからなくて、吉花は首をかしげる。


「ネガティブな気持ちとでも言おうかのう。いつもの明るさが見えぬ。昼間にうたときとは雰囲気が違うように感じる」


 言いかえてくれたヨルの言葉に、吉花はぎくりとする。

 吉花をひと目見ただけで、暗い気持ちになっていることを見抜いてしまった。そんなヨルが見たら、部屋にわだかまるささやく影も、気づかれてしまうのではないか。影に気づかれれば、重苦しい吉花の胸のうちまで見透かされてしまう。それが怖くて、吉花は無理して明るく振る舞う。


「もう、嫌ですよ。お化粧している昼間と比べないでください。すっぴんが根暗な顔だって、言われてるみたいじゃないですか!」


「おお、これは失礼した。某の思い違いならば、それで結構」


 わざと怒ったような顔をして言う吉花に、ヨルもおおげさに申し訳ないと謝る。


「まあ、なんにせよ思うところがあるならば誰かに相談すると良かろう。もしくは知らぬ場所に出掛けるのも、気分転換になろう」


 そう言って、懐から取り出したいち枚の紙を置いて、ヨルは去っていった。

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