やっぱり、なんだか気になります
「それじゃあ、おやすみなさい。また明日!」
部屋の前まで送ってくれた葉月にあいさつをして、吉花は引き戸をからりと閉める。
とん、と軽い音を立ててつっかえ棒をして部屋を閉め切った吉花は、後ろに何かがいるような気がして、そっと振り向く。
狭い部屋には誰もいない。格子窓から射し込む陽の光に照らされて、見慣れた部屋が橙色に染まっているばかり。
やはり気のせいだったと、吉花は夕飯の支度をはじめる。今日は久しぶりにひとりの夕飯だ。
葉月は仕事の関係でこれからまた出かけるらしく、辰姫は平日なので学校に行っている。しばしば茶わん片手にやってくる赤塚は、仕事が立て込んでいるのだと嬉しそうに言っていた日から数日、見かけない。
思えば、この町に来たばかりのころはごはんもまともに炊けなかったな、と米を研ぎながら吉花はひとり微笑む。この半年ほどで、浸水さえしっかりしていればそうそう失敗しないと学んだ。
さくさくと米を研いで、水に浸す。米が水を吸うあいだに、かまどに火を入れおかずに取り掛かる。
四分の一に切られたかぼちゃをひと口大に切り分ける。細川にお裾分けでもらったものだ。ひとりでは丸ごとのかぼちゃを食べきれないので、とても助かる。
作るのは先日、細川に教えてもらった粉ふきかぼちゃ。水を少なめに入れて醤油と砂糖で煮て、最後に煮汁のない状態で軽く炒れば、完成だ。
さっそくひとつ、味見してみる。
「んん! おいし」
舌に乗せれば煮汁の甘じょっぱさが口に広がり、噛めばほっくりと甘いかぼちゃの旨みを感じられる。ほんのり焦がしてしまったのはご愛嬌として、なかなか上手にできたのではないか。
自画自賛してならかぼちゃの煮物を器に移し、吉花は次のひと品に取り掛かる。
次に使うのは、赤塚からもらった抜き菜だ。赤塚は町の外の住居まわりで家庭菜園をしているらしく、食べきれない間引いた野菜の葉を持ってきてくれた。色んな野菜を一緒くたにしちまってるから、まあなんかてきとうに食うてくれ! と言っていたのが彼らしい。
吉花は抜き菜なるものを調理したことがないので、ひとまずみそ汁に入れてみようと刻んでみる。水を張った鍋に刻んだミックス抜き菜を入れて、ひと煮立ち。鍋を火からおろしてみそを溶かしたら、沸騰しない程度に温めて完成だ。
そうこうしているうちに米が水を吸って白くなったので、みそ汁の鍋を退けて米を炊き始める。
米の鍋が吹きこぼれないように見張りながら、吉花はみそ汁をちょっと味見する。
湯気の立つ汁をひとくち飲んで、ほうっと息を吐く。
舌先にだしの旨みが触れたかと思うと、みその塩味と風味がふわっと広がる。刻んだ抜き菜のほんのりした苦味が、ほどよい後味を残してくれる。
「あぁ〜、おいしい。かぼちゃはちょっと焦がしちゃったけど、これはかなり自信作」
だし入りみそを使っているのでそうそう失敗のしようもないのだけれど、吉花は染み入る温かさに顔を蕩けさせた。
このところ自信を持てない自分を持て余しているから、意識して前向きな言葉を使ってみる。すると、なんだか気持ちも上向いてきた。
「これだけ作れたら、もしかして幸路さんの代わりに厨房をお手伝いできたりして」
吉花はアルバイト仲間になった細川を思い出しながら言ってみる。
家事が得意な細川は、店主に請われて厨房の手伝いに入ったのだ。ふだんはおどおどしており接客はできないと本人も認めているが、料理の手際は店主に褒められるレベルにある。
「なんて、まだまだ無理だよね」
細川に代われるなどと本気で思ってはいない吉花が冗談めかして呟くと、どこからかささやき声がする。
「ない、ない。むり、むり。できやしない」
一瞬、心の声が口から出たのかと思って、吉花は自分の口に手をあてた。
けれど、口を動かした覚えはない。
慌ててあたりを見回すけれど、人影はない。傾いた陽射しに、ひとりきりの部屋が先ほどよりも暖かみを減らしているばかり。
そら耳だろうか。そういえば、先日もこんなことがあったように思う。
「……あ、明かり。明かりつけよう!」
なんだか気味が悪くて、吉花はわざと明るい声を上げると行灯型の照明をつける。火事に配慮して配布される内蔵バッテリー型の行灯がぱちりとかすかな音を立てて明るくなる。せまい部屋ににじんでいたうす闇は、瞬く間にかき消えた。
ほっと息を吐いた吉花は、ふと視線を動かしてぎくりと固まる。
消えない闇が、部屋の隅ににじんでいる。
「だれのやくにもたちゃしない。なんのとくぎもありゃしない。つまらないやつ、つまらないやつ」
また、ささやくような声が聞こえる。今度こそ、そら耳ではないし吉花がしゃべったのでもない。声は、にじんだ闇から聞こえてくる。
吉花が恐る恐る目を凝らして闇を見つめようとしたそのとき。
鍋が吹きこぼれ、かまどがしゅうしゅう音を立てる。
吉花ははっとして、慌てて燃える薪を崩す。弱火になったことで落ち着いた鍋に息をつき顔を上げると、部屋の隅ににじんでいた闇は消え去り、いつもの壁が行灯の明かりをしらじらと照り返していた。