ちょびっと、騒動です
優しい瞳で見つめる葉月に、吉花はなにも言わない。それどころか、葉月の言動に対してまったく反応を返さない。
沈黙ばかりが続き、葉月は焦る。
「あの、もしかして好みじゃなかった? でも、その飾りは梅でね。縁起のいい花だから、季節を問わず使えて使い勝手も良くて……」
「葉月さん、見てください!」
気に入らなかっただろうか、と慌てて補足する葉月の言葉を遮り、吉花が大声を上げる。吉花の視線と指先の示す先に目をやった葉月は、口を開けた。
吉花の示す先にあるのは、提灯の明かりが揺れる川。見れば、川面の明かりのひとつに何かが照らされている。
大きさは子どもの頭くらいだろうか。形はたて長のだ円で、てっぺんがやや平たい。そう、ちょうど皿を乗せたかのように。
「かっ、ぱ……?」
葉月が呆然と呟いたとき、川べりのいくつかの店から驚きの声が上がる。川を眺めていた客の幾人かが河童に気がついたらしい。
声につられて河童を見つけた人のどよめきや、もっとよく見ようと河岸に出てくる人々で、しだいにあたりが騒がしくなってくる。
「まずいな。あまり近寄ると、河童がなにをするかわからない」
その様子を見て顔をしかめた葉月は川に向かいかけて、足をとめた。吉花を振り返ったその目にためらいが見えて、吉花は背筋を伸ばす。
「葉月さん、行ってください! 私は、近くの番所に応援を頼んでから、赤塚さんたちを探して呼んできます!」
そう言って吉花が力強くうなずくと、葉月は一瞬おどろいたような顔をした後に破顔した。
「ありがとう、吉花さん。俺、やっぱり吉花さんが好きだなあ」
「へっ!?」
しみじみと言う葉月に、吉花は思わず変な声を上げてしまう。
けれどそんな吉花に構わず、葉月は嬉しそうに笑うと着物の裾をからげてから駆けだした。
「それじゃあ、そっちはよろしく! ちょっと行ってきます!」
「あ、あのっ。お気を付けて!」
駆け去る葉月の背に慌てて声をかけて、吉花は火照った頬を押さえて気持ちを静める。
何気なく言われた言葉が気になるけれど、今は気にしているときではない。
「よしっ」
どうにか気持ちを切り替えて、吉花も動きだす。
まずは番所に行き、場所と要件を伝えて応援を頼む。体育会系の職員が多いのか、もめごとが起こるかもしれないと言うと喜び勇んで駆けて行ってくれた。
次は赤塚たちだ、と彼らが姿を消した方面に向かえば、いくらも行かずにその姿を見つけることができた。
いくらか酒の入った赤塚と田中は、なぜか楽し気に現場へと急ぐ。残された森は、自分のおごりで開催された飲みが早々に切り上げられたことが嬉しかったのだろう。いそいそと勘定を済ませている。
「あの、いっしょに行きませんか?」
赤塚たちに置いていかれた吉花は、所在無げに立っているのっぺらぼうと連れ立って現場に向かう。森も、うしろをついてくる。
道中聞いてみれば、河童はのっぺらぼうさんの知り合いではないらしい。今日まで、この町で見かけたこともないという。
「あまり、乱暴な方でなければいいですけど」
川にたどり着くと、心配する吉花を森に任せてのっぺらぼうは土手をおりていく。
葉月や番所の人、それに赤塚たちも加勢したおかげで、川岸の人影はみな店の中から顔を出すばかりとなっている。
大勢が見守る中、のっぺらぼうにほど近い川面に、ひょこりと河童の頭が浮かぶ。
何か話しているのだろうか。河童がくちばしを開け閉めすると、のっぺらぼうが頭を上下させてあたりを見回した。そして、川岸にいた葉月を呼んで、なにごとか伝えている。
すると葉月も川面に近づいて、何か話している。
しばらくすると河童がとぷんと川に消え、葉月とのっぺらぼうは土手を登って吉花の元にやってきた。
「あの、どうなったんですか?」
そわそわと待っていた吉花が聞けば、葉月はにっこりと笑顔を見せる。
「大丈夫。迷子になって道を聞きたかったみたいだから、もういないよ」
その言葉にほっとする吉花にひとつ微笑んで、葉月は森に笑顔を向ける。
「というわけなので、他の方々に伝えて来てください」
「はいっ、行ってきます!」
元気の良い返事を残して駆け出す森に、ここに帰ってこなくていいですよ、と声をかけて葉月は見送る。
のっぺらぼうは暗闇に潜んでいるのだろうか。いつの間にか姿を消している。
気づけば、川岸には吉花と葉月のふたりきりしかいない。
「なんだか、ばたばたしちゃったね」
「でも、何事もなく終わって良かったです」
なんとなく顔を合わせづらくて、ふたりは並んで川を眺める。
川沿いの店の明かりが水面に揺れて、どこか寂しい気持ちになる。ひやり、吹きつける風の冷たさも夏が去るのだと告げているようで、祭りの後のような物悲しさを運んでくる。
そんな寂しさのせいか、ふたりはどちらからともなく距離を縮めていく。ふたりの間を吹き抜ける風がなくなったとき、吉花が口を開く。
「あの、簪、ありがとうございます。さっきは言いそびれてしまって……」
「良かった。勝手に選んだ物だから趣味に合わなかったかも、って思っていたんだ」
ほっとしたように息をついた葉月は、吉花の髪に咲く花を指でつつく。
「でも吉花さんの好みも知りたいから、今度いっしょに買い物に行きたいな。髪かざりでなくても、他の物でもいいし」
「だったら、葉月さんの会社の商品を見たいです。どんなお仕事しているのか、気になります」
吉花が答えると葉月は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、次に休みが合う日に、俺とデートしてくれますか?」
笑みを浮かべたままではあるけれど、改めて言われると恥ずかしくて、吉花は顔が熱くなってくる。
それでも、どうにか小さな声で返事をする。
「はい、喜んで」