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なんだか、情緒不安定です

 さわやかな朝の空気のおかげで少し晴れてきていた吉花の気分は、一気に元に戻っていた。いや、沈んでいた気持ちが怒りに向いたのだから、悪化したといってもいいだろう。

 早朝、吉花と別れたあとに、何度か葉月のほうから話しかけようとしてきた。けれども、吉花はすべて気づかないふりをした。

 朝食の準備のために部屋を出たときには吉花の部屋の前に立っていたし、吉花がそっけなく挨拶をして通り過ぎれば、そのあと朝食に招いた赤塚について部屋にやってきた。赤塚の背中に隠れながら、入ってもいいかな、と葉月が遠慮がちに言うので部屋には入れたが、話しかけられても吉花はだんまりを貫いた。赤塚が話しかければ普通に返事をするので、途中からは赤塚も葉月も気まずそうにしながら黙々と食事をしていた。

 何がなんだかわかっていなさそうな赤塚には悪いかな、とも思ったが、吉花の中では赤塚への申し訳なさよりも葉月への苛立ちのほうが強かった。


「おいおい、きちの字。ロクの奴と喧嘩でもしたってぇのかい」


 無言の朝食と後片付けが終わるとすぐ、仕事に行くからと部屋を出た吉花を追って赤塚がついてきた。物言いたげな葉月は振り切ってきたから、代わりに赤塚が来たのだろう。

 長屋の木戸をくぐるときに吉花がこっそり振り返ると、葉月が寂しげな顔でこちらを見ている。つい思い切り振り向きたくなった吉花だったけれど、ぐっとこらえて足を進める。


「喧嘩なんて、してません。私と葉月さんはただのご近所さんで、そんなことするような仲じゃ、ありませんし……」


 自分で言っていて、吉花はどんどん落ち込んでいく。

 わかっていることだった。吉花がどれだけ葉月のことを考えていたとしても、吉花と葉月の関係はただの近所の住人。少し話をしたり、仕事のことで手伝ったり、流れで朝食を作ったりもしたけれど、言葉にするならばやっぱりただのご近所さんなのだ。

 葉月から名前で呼ぶように言われたりもしたけれど、あれはきっと円満なご近所関係を作り上げるために、距離感を縮めようと提案してくれたのだろう。もしかして葉月が自分に好意を持ってくれているのかと、吉花が勘違いしただけなのだろう。

 足を進めるごとに鬱々とした雰囲気を増していく吉花に、赤塚が困ったように頭をかく。

 どんよりとした吉花の横を歩きながらしばらく唸っていた赤塚だが、下手な慰めの言葉や葉月を擁護する言葉は言わないことにしたらしい。


「あー、なら、何か俺にできることがあったら言ってくれよな。ところでさ、あれが決まったんだよ。あの、のっぺらぼうが俺たちの調査に手ぇ貸してくれる日がよ」


 不意に明るい声を出して話題を変えてきた赤塚のおかげで、吉花はいくらか気持ちを切り替えることができた。


「それは良かったです。のっぺらぼうさんが調べてくれれば、何か手がかりになることがわかるかもしれませんものね」


「おう! そんで、今日の夜中なら時間が取れるっていうからさ。吉の字も来るか?」


 今夜とはまた急だな、と思いながらも、吉花はすぐに頷いた。今日の夜こそ、何かしていないと考え込んでしまうだろう。


「ぜひご一緒させてください。のっぺらぼうさんにも久しぶりにお会いしたいですし」


 吉花がそう答えると、赤塚は今夜の集合時間や集合場所を伝えてくれる。

 復唱して確認を取ったところで、吉花は赤塚がどこまで付いてくるのかが気になった。話しながら歩いているうちに、ずいぶん長屋から遠くなってしまっている。そろそろ、長屋と職場の中間地点くらいだろうか。

 吉花の考えを見透かしたわけではないだろうが、赤塚がいつまでも足を止めない理由を話し出した。


「そうそう、その調査のときに森のおっちゃんも一緒に行けねえかなぁ、と思っててな。今から誘いに行くってぇわけよ」


 そう言うと赤塚は、目線で目的地を示す。彼の視線を追うとほぼ毎日目にするもの、森たちが勤めている番所が見えた。


「のっぺらがどうやって妖怪の気配を探すやら、よくわかんねぇけどよ。実際に妖怪に会ったやつの話を聞いてからのほうが探しやすいんじゃねぇかと思ってな。おっちゃんの予定を聞きに来たのよ」


 おっちゃんにちょいと声かけてくるわー、と言う赤塚と別れ、吉花は小料理屋へと向かう。

 世間は夏休みとあって、曜日に関係なく観光客が多くて店は忙しい。このごろは仕込みも店主ひとりでは間に合わず、猫の手ならぬ吉花の手が開店前から必要とされていた。

 店に着けば掃除に仕込み、開店してからは客の応対に厨房と客席を行ったり来たり。その合間に物言いたげな葉月の姿を何度か見かけたり、どこか顔色の悪い森とたびたびすれ違ったりしたが、あまりの忙しさにろくに話しもできなかった。

 葉月に関しては、はじめの二回くらいはわざとだが、途中から本当に目が回るほど忙しかったのだ。

 吉花が遠ざかるたびに葉月が悲しげな顔をするものだから、吉花の苛立ちも薄れてやがて胸が軋むような気持ちになっていった。そして話せないまま葉月も森も姿を見せなくなってから、しばらく経った店じまい間近のこと。

 吉花は、本当に目を回して倒れたのだった。

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