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甘味、ごちそうになりました

 引っ越し一日目の午前は自室の掃除と荷物の整理に終わり、吉花は昼食を買ってきた握り飯で軽く済ませる。近隣にコンビニみたいなお店はありますか、と田谷に訊ねたところ、二十四時間営業のコンビニはないがよろず商いなる店が日中営業している、と教えてもらったのだ。

 よろず商いは、長屋からそう遠くないところにあった。主要な商品は観光客向けに作られた土産物のようで、古風な絵柄のめんこや凧、木と紙でできた団扇うちわなどが並べられていた。その他にも江戸をイメージした土産物などが数多く並んでいる片隅に、竹の葉で包んだ握り飯や竹筒に入った茶が売られていた。店主に挨拶がてら聞いてみると、握り飯を買っていくのは大体が近隣住民だけれど、置いておくと観光客に喜ばれるのだという。ドラマや漫画で見たことがある、と写真を撮っていく人も多いらしい。

 腹も膨れた吉花は、さっそく頼まれた他の部屋の掃除をはじめた。元々さほど汚れているわけでもなかったので、ひととおり壁にはたきをかけ、床を掃いて雑巾で拭くだけで良いと田谷から言われている。言われた通りに仕事をすると、その日の夕暮れどきには掃除が終わってしまった。

 さすがに疲れた吉花は、近くの湯屋で汗を流すと、田谷からの差し入れでもらった団子で夕食を済ませて、早々に寝ることにした。行灯あんどんに火を灯してまでやりたいことも無いし、提灯を持って出歩くほど行きたい場所も無かったのだ。

 翌日、早くに起きた吉花は、働き先になる小料理屋へ行きあいさつがてら朝食を済ませると、かまどの灰を掻き出し、トイレも磨くことにした。半日もかからない簡単な掃除だけでひと月分の家賃の代わりにするのは申し訳ないと思ったのだ。ちなみにトイレは洋式だった。どうせ観光客から見えないところなんだからいいんだよ、和式は使いづらいし、と田谷が言うので、吉花はそういうものか、と納得した。タンクの水は各自井戸から補給する仕様らしいので、忘れないようにしなければいけない。

 そうして、田谷に頼まれた掃除に精を出すこと二日間。吉花は六つの空き部屋をすっかりきれいにした。


「いやあ、本当にきれいになった! 吉花ちゃんに頼んで正解だったよ。ありがとうね」


 掃除に使った道具を受け取りに来て、掃除の終わった部屋を眺めながら田谷が感心したように言う。

 

「こちらこそ、水汲みを手伝っていただいたり、差し入れをしていただいて、ありがとうございました」


 お団子、おいしかったです、と吉花が頭を下げると、田谷は嬉しそうに笑う。


「良かった。俺の一押しの甘味処なんだけど、持ち帰りできるのは団子か餅くらいしか無くてさ。他にも食べてみてほしいものがいっぱいあるんだけどね」


 言ってから、田谷はちらりと空を見上げた。つられて吉花が上を向くと、気持ちの良い晴れ空は陽が傾きはじめており、少し明るさを減らしている。しばらく前に昼の一時を知らせる鐘が鳴っていたから、今はおそらくおやつ時に少し早いくらいの時刻だろう。 


「今日、これから忙しい? もし特別な用事がないなら、今から一緒にその甘味処、行かない?」


 掃除に夢中で昼食を取り損ねていた吉花の胃袋は、その魅力的な誘いに急に空腹を訴えだした。幸いなことに、格別な用事もない。吉花は二つ返事でついて行った。




 田谷の連れて行ってくれた甘味処は、長屋から歩いてすぐの表通りにあった。店の表には緋毛氈ひもうせんをかけられた縁台えんだいが置かれ、野点傘のだてがさの下で外国人観光客と思われる人々が団子を片手に茶を飲んでいる。

 店の中は手前半分が土間になっており、木製の卓と背もたれのない長椅子が並べられていた。奥半分は板張りの小上がり席で、座布団の代わりだろうか藁で編んだ丸い敷物が敷かれている。

 店内の席もそこそこ埋まっており、観光客の合間にちらほらと着物や印半纏しるしばんてん姿の人々が見うけられる。おいしい甘味屋として、地元住民にも人気のようだった。

 昼食をまだ食べていなかった吉花は餅入りの汁粉と、田谷のおすすめである蒸かしたてのまんじゅうを頼む。

 汁粉はこれまで吉花が食べたものよりもずいぶんと甘さ控えめで、ほんのり塩味が後を引くくせになるうまさ。柔らかい餅はよく伸びるけれど、しっかりとかみごたえもある一品だった。

 まんじゅうは、蒸し器からあげたばかりの熱々が運ばれてきた。二つに割ると、中からほっくりと蒸された黄色い芋が湯気を上げる。田谷に勧められるままかぶりつくと、芋のほんのりした甘さともっちりした生地が絶妙で、汁粉を飲んだ後だというのについつい食が進む。気づけば、まんじゅうが冷める前にすっかり食べきってしまっていた。

 田谷は酒まんじゅうをあちあち言いながらかじり、やっぱりこれは出来たてを食べてもらいたいからね、連れてきて良かったと笑っていた。

 そうしてすっかり満腹になり、甘味処の代金を田谷が支払うと言って少しもめ(結局、吉花は言いくるめられておごられた上、土産に味噌まんじゅうとよもぎもちまで持たされてしまった)、あたりを軽く案内してもらって長屋の前で吉花と田谷は別れた。


「もうすぐ日が沈むから、部屋に帰って戸締りをきちんとしてね」


 最近はぶっそうだから、と吉花の部屋の前まで付いてきて、田谷は自分の長屋に帰って行った。その後ろ姿を見送って、部屋の戸を閉めようとした吉花はふと思い出す。明日の朝食を買っていない。このまま帰ったら、夕飯はまんじゅうや餅があるからいいとして、朝食がない。

 棒にかごや桶をつけて品物を売り歩く振売ふりうりが朝早くから歩いている声は聞いたが、何を売り歩いているかまでは見ていない。もし食材しか売っていなかったなら、慣れないかまどで調理をすることになる。そんなことをしていて初仕事に遅刻しては大変だ。


「……よし、急げばまだ行ける、よね」


 ほとんど暮れてしまった空を見上げて、吉花は急ぎ足で表通りに向かった。

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