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赤色さん、はじめまして

 その日、吉花の勤める小料理屋はいつになく賑わった。

 それというのも、親子で町を目指すためのイベントの一環として県内の小学校に呼びかけて、親子遠足を行なったためだ。食べ物を提供する店であるため食事の時間はもちろん、自由時間の小休憩に立ち寄る者も多く、朝から夕方までけっこうな混乱ぶりだった。

 そのため、店内の様子をちらりとのぞいて苦笑すると、また来るよ、と去って行く常連客もいたぐらいだ。客に気をつかわせてしまったから、常連客たちが次に来てくれたときにお礼をしなきゃね、と小料理屋の店主がこぼしていた。


(森さんにも、悪いことしちゃったな)


 満足な対応ができなかった客の中に番所の職員、森の姿があったことを思い出して、吉花は申し訳なく思う。

 森は昼前にやってきて店の戸を開き、人の多さに驚いていた。相席してもらって席に案内することはできたが、客の多さゆえに注文時と配膳時にほんのひと言ふた言しか話すことができなかった。

 吉花が近寄るたび、森がもの言いたげな視線を送ってきていたから、話したいことがあったに違いない。きっと森が遭遇した妖怪について、今朝、話せなかった詳しいことを聞かせてくれようと仕事あがりに来てくれたのだろう、と思う。けれど、結局、話しができないままに森は席を立ち、振り返りつつ店を出てしまった。

 

(きっと、妖怪のことをちゃんと調べてもらいたい、って葉月さんたちに伝えてほしくて来たんだ。早く帰って、しっかり伝えなければ!)


 使命感に燃える吉花は、日の傾いてきた町の中をずんずん進む。気になる店を見かけても寄り道せずに歩く。自宅のある長屋へと続く木戸を潜ったところで、大家である田谷の背中を見つけた。何やら木製の長椅子を家から運び出している。長椅子の片端を持つ田谷に続いて、もう片端を持つのは赤い着物の男。狐騒動の折にちらりと見かけた、派手派手しい男だ。


「おう、今帰りか! 朝から仕事に行ってたんだろう、勤勉なこった」


 吉花に気がついた派手な男が声をかけてくる。

 朝から仕事に行っていたのは確かだけれど、勤勉と言われるほど真面目な考えで働いているわけではない吉花は戸惑ってしまう。言われるままに仕事に出かけ

、精一杯の働きをしているだけなのだ。

 返事に困った吉花が口ごもっているうちに、こちらに背を向けていた田谷が吉花に気がついた。


「やあ、おかえり、吉花ちゃん。ほんと、いつも朝早くから仕事に行っててえらいよね。それで一日中働いてんでしょ? ほんとすごいわ。俺なんか大した仕事なくても、すぐ休みたくなっちゃうよ」


 長椅子を長屋の軒下に置いた田谷はそう言って、置いたばかりの長椅子に腰掛けて笑う。その笑い声の軽さにつられて、吉花の気持ちも軽くなる。

 言われたことをこなすのに精一杯で、大した仕事なんてできていないと思っていた。けれど、精一杯働いていることは、もしかして少しは誇ってもいいのだろうか。

 気持ちが軽くなると頭も働きだして、ようやく吉花は口を開くことができた。 


「田谷さんだって働いてるじゃないですか。いつも大家さんのお仕事してくれてます。ところでそれ、縁台ですか。田谷さん、お店屋さんでも始めるんですか?」


 縁台といえば茶屋や甘味屋の店先に置いてあるもの、という認識の吉花が訊ねると、田谷は楽しそうに笑う。


「そうだねえ。吉花ちゃんが看板娘になってくれるんならそれもいいかも。そしたら、なに屋さんがいいかなあ」


「ちげえだろ、田谷さんよ。こいつぁな、こうやって使うんだ!」


 くすくす笑う田谷に代わって吉花の質問に答えてくれたのは、赤い着物の男だった。威勢良く言うが早いか、男は勢いよく縁台に腰掛けると腕を組み、大股開きでふんぞりかえる。

 出来上がったのは、縁台に座る二人の男たちの図。どちらも着流しを着ているのはこの町では一般的なことであり、それを除けば縁台にただ座っているだけ。

 使い方を実演されているようだけれども正解に思い至らない吉花は、首をかしげるしかなかった。


「ええと、座ってますね? 休憩用の椅子、ですか?」


「おいおい、これでもわからねえってのか」

 

 疑問符だらけの吉花の答えに、赤い男が呆れた声を出す。

 さらに、縁台の使い方以前に男の名前を知らないことを吉花が告げると、男は大げさに驚きながらも名乗ってくれた。


「俺は赤塚ってえんだ。とっくに(ろく)の字に聞いてるとばっかり思ってたぜ。あんたのことは緑やら黄の嬢ちゃんから聞いてるからなあ。今更はじめまして、って感じでもねえんだが、まあよろしくな!」


 立ち上がって握手を求めてきた赤塚は、にかっと笑って吉花の手をぶんぶんと振る。二人が何を話したのか気になるところではあったが、吉花が口を開く前に赤塚が言葉を続けたため、聞けなかった。


「そんで、縁台の使い方か。こいつは夕涼みに使うんだとよ。ここにゃあ冷房も扇風機もねえからな。日が落ちてきたら打ち水して、少しでも涼しい道端で熱い時間をやり過ごすってえわけよ」


 赤塚の説明に田谷がうなずく。田谷は気づけば縁台に寝そべって、けっこうなくつろぎようだ。


「そうそう。江戸の町には色んな夏の過ごし方があったんだって。今でも、風鈴とか怪談とか直接涼しくなるわけじゃない夏の風物詩ってあるでしょ」


 田谷の言葉に納得した吉花は、怪談と聞いて森の顔を思い出し、森から聞いた話を赤塚に伝える。すると、きらりと瞳を輝かせた赤塚は、待ってました! と一声上げて、振り返りもせず駆けだして行った。


「……縁台、もう二つ出すんだけどなあ」


 急に静かになった長屋の通りで、体を起こした田谷がぽつりとつぶやいた。

 

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