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夏の気配、感じます

 ちりん、ちりりん、と響く軽やかな音色に目を向けると、色とりどりの風鈴を下げた木枠を担ぐ風鈴売りが歩いてくるのが見えた。朝から人でにぎわう表通りの喧騒に負けず、涼やかな音をさせながら歩くその姿に、吉花はほんのりと笑みを浮かべる。

 このところ、暖かいを通り越して暑くなってきたと思ったら、いつの間にやら夏がそこまで来ていたらしい。

 先日も、久しぶりに会った辰姫と古着を見に行った際、並ぶ着物がいつも着ているものより薄手で軽い気がした。夏用の着物だからかなと話す吉花と辰姫に、店の主人が単衣ひとえといって裏地のない着物だよ、と教えてくれた。他にも夏用の着物は数種類あるらしいが、この町は雰囲気を楽しむための場所だから細かいことは覚えなくていいよ、と言うのが古着屋の主人のげんだ。

 今日、吉花がまとっているのもそのときに購入した単衣の着物である。青みがかった緑地に淡い色の蜻蛉とんぼ柄が入った涼しげな一枚は、吉花のお気に入りとなった。

 古着とはいえ新しい服を身につけて歩くと、どこか気持ちが浮き立ってくる。日に日に強くなる日差しも、いつもほど気にならない。

 機嫌よく大通りを進む吉花は、朝顔売りやうちわ売りなど、見慣れない売り物屋を見つけては目を向けて、仕事に遅れない程度にのんびりと歩いていた。


「それって、ぬりかべってやつじゃないですか?」


 そんな声が聞こえたのは、番所の近くを通りかかったときのこと。細川幸路と出会った日に狐騒動の話を聞いた番所の中から、吉花でも知っている妖怪の名前が聞こえてきた。


「おはようございます。また妖怪が出たんですか?」


 気になった吉花が声をかけながら番所を覗くと、中にいた職員たちが振り向く。

 

「ああ、春名さん、おはようございます。そうなんですよ、ぬりかべをね、見たんですって。ねえ、森さん」


 興奮ぎみに頷いているのは、中肉中背で特徴がないのが特徴の職員、田中さん。

 

「うん、ああ……そう。たぶん、だけどな」


 その田中さんに問われて、どこか歯切れが悪い返事をしている大柄な職員が、森さんだ。身長も高いが、横幅もある。何かスポーツをしているのか、太っているのではなくてがっちりと大きな体をした人だ。

 

「ぬりかべというと、大きな壁の妖怪ですよね。やっぱり、森さんよりも大きいんですか?」


 森の顔を見上げながら聞いた吉花に、すかさず答えたのは田中だった。


「そうらしいよ。なんでも、森さんが超えられないくらい高くて、ラグビーやってる森さんが押しても倒せないくらいの壁だったんだって」


 すでに吉花が来る前に話していたことなのだろう。ですよね森さん、と田中が話を振る。振られた森は手元の書類にちらちらと目をやりながら、あいまいに頷いた。


「ああ、いや、まあでも夜明け前で暗かったし、本当に妖怪だったかはちょっとわからんけれども」


 この番所は昼間こそ観光案内所と化しているが、本来は町の住人と観光客の相談を受け付ける場所らしい。この江戸の町の中で数少ない電話が設置されており、町の外との緊急連絡窓口も担っているため二十四時間、いつでも誰かが詰めていなければならない。そして、今日の森と田中は夜明け前から勤務する早番だったらしい。


「いやいや、だっていつも通ってる道が塞がれてたんでしょう。それでぐるっと回り道して今朝の早番に遅刻したって言うんだから、それはもう妖怪のしわざですよ」


 はっきりしない森の言葉に、田中が力強く言う。

 ちぐはぐな二人の様子を不思議に思った吉花は、少し考えてそのわけに思い至った。


「森さん、大丈夫ですよ」


 森を安心させるために、深く頷いてから吉花は続ける。


「そのお話、わたしが必ず葉月さんやヨルさんたちに伝えておきます」


「え!? いや、それはちょっと……!」


 慌てる森に、吉花はすっ、と手のひらを向けて首を横に振った。


「わかってます。不安なんですよね。ご自分の会ったものが妖怪かどうか自信がなくて。でも、心配いりません。その旨もきちんと伝えますから、大丈夫です」


 任せてください、と吉花はもう一度大きく頷く。そんな吉花を田中が後押しする。


「良かったですね、森さん! 僕らが訪ねて行って話すとなるとちょっと大ごとみたいになってしまうけど、同じ長屋に住んでる春名さんなら世間話のついでに伝えてもらえますからね。彼らの手が空いたときに調査なりしてもらえるかもしれませんし」


 嬉しそうに言う田中に頷いて返し、吉花は番所の出入口に向かう。物言いたげな森の視線には気がついていたが、あまりゆっくりしていては仕事に遅れてしまう。


「わたしそろそろお仕事の時間なので、行きますね。詳しいお話は、また改めてお願いします!」


 手短にあいさつをした吉花に、田中が行ってらっしゃいお気をつけて〜、と声をかける。にこにこと手を振る田中の横で、森は黙って立ち吉花を見送っている。

 いつもであれば豪快に笑いながら声をかけてくれる森の沈んだ様子に、吉花は胸を痛めた。妖怪という未知の存在に遭遇したことが原因だろう、と思い至った吉花は、できるだけ早く葉月たちに相談しようと心に決める。

 田中さんたちもお仕事がんばってください、と手を振り返し、吉花は意気揚々と歩きだした。

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