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狐騒動これにて落着、です

 稲荷の言葉に、細川が脱力する。ばあちゃん、やっぱり……などと呟いているところを見るに、細川も予想はしていたのだろう。以前確認した際に、稲荷についてある程度の事情は知っていると言っていた細川の祖母は、ある程度どころではなく知っていたのだ。


「少し前に、あなたがわたしのことを聞きたがっている、っておばあさんから言われた。聞かれたら素直に全部話そうと思ってたけど、あなたは聞きに来ないし」


「え、えと、ごめん、なさい……?」


 ほんの少しだけ口を尖らせて言う稲荷に、細川が慌てて謝る。それを見て稲荷はくすりと笑い、目を伏せた。


「本当は、前の会社のことはできるだけ誰にも話したくなかった。辞めて越してきたなんて言うと、負けて尻尾巻いて逃げてきたみたいだし。わたしが仕事を頑張れなかったことの言い訳をしているみたいでかっこ悪いし」


 稲荷の言葉に何か気の利いたことを言わなければ、と顔をあげた細川は自分を見ていた稲荷と目があって、その顔に浮かぶ思わぬ優しい笑顔に固まった。

 つり目がちで意思の強そうな瞳が、柔らかい弧を描いている。いつもはきりっと引き結ばれた口元も、優しくほころんでいた。

 声も出せずに顔を真っ赤にした細川を見てくすくす笑う。


「でも、あなたはわたし以上にうじうじして自信なさげで。あの優しい細川のおばあさんからさえも尻に敷かれてた」


 楽しげに言う稲荷に、細川は衝撃を隠しきれないのだろう。真っ赤にしていた顔を瞬時に青くして、少し涙目になっている。

 その様があまりにも情けなかったからだろうか、稲荷は笑いをおさめて優しく続けた。


「それが、わたしには嬉しかった。得体の知れない女が突然押しかけてきたのに、嫌な顔しないで食事を用意してくれるのも、行ってらっしゃいとお帰りなさいを必ず言ってくれるのも、ごはんが美味しかったって言うと嬉しそうに笑うのも。どれも嬉しくて、前の会社の奴らを見返してやろうなんてとげとげした気持ちが、いつの間にかなくなってた」


 稲荷が喋るごとに、細川の顔に色が戻ってくる。青ざめていた頬に色が戻り、あっという間に耳まで赤くなっていた。


「だから、あなたには聞いてもらいたいと思った。わたしの過去のこと。いまやっている仕事のこと。それから、もし良ければこの先もあなたの家に置いてもらって、これから先のことも色々、話したい」


 駄目だろうか、と首をかしげる稲荷に細川が息を詰まらせる。混乱した頭で必死に言葉を探しているのか、しばらくの沈黙を挟んで細川は喋りだした。


「あの……ぼくは、稲荷さんが言ってたとおり情けない男で。面接ではっきり意見が言えなくて落ちてばっかりで、けっきょくバイトでしか雇ってもらえなくて。でも、それが恥ずかしくて友だちにも言えなくて、ばあちゃんが心配だから、って言い訳してこの町に来たんです。料理とか家事ばっかり好きで男らしくないって言われてて、稲荷さんが言ってたよりもっと情けない男なんですけど、それでも、良ければ、あの、これからもずっと、お願い、します……!」


 目を固くつむって、真っ赤な顔をした細川が右手を差し出す。緊張のためかぷるぷる震える指先を見つめ、優しく目を細めた稲荷がその手を取った。両手を細川の右手に添えて、そっと包み込む。

 目を開けた細川は優しく握られた自分の手を見て大いに慌て、それを見た稲荷がまた楽しげに笑う。その姿は狐というよりもご機嫌な猫のようで、二人の間に漂う暖かな雰囲気に、吉花はほのぼのと笑顔を浮かべる。

 吉花が見守る先で、細川たちはさっそく稲荷の今の仕事について話をはじめていた。どうやら稲荷は、子育て中の人もこの町に住めるように環境を整える仕事をしているらしい。

 活き活きと語る稲荷に相づちを打つ細川を見て、吉花はそっと部屋のすみにいた葉月の隣に移動した。


「幸路さんの狐騒動も一件落着、ですね。ありがとうございました」

 

「どういたしまして。と言っても二人がきちんと話をしただけで、俺は大したことはしてないけどね」


 言いながら、葉月は指にかけた鍵の輪をくるりと回す。その鍵を見て、吉花はそう言えば、と口を開いた。


「この建物は教室にする、って稲荷さんが言ってましたけど、学校ができるんですかね。葉月さんは何か知ってます?」


 鍵の持ち主と面識があるのなら知っているだろうか、と思って聞いてみれば、葉月はすんなりと頷いた。


「学校というか、寺子屋をイメージしてるみたいだね。江戸では手習い所って言ってたらしいけど。この町にはまだ、保育園とか小学校みたいな子どものための建物がないから、それを立ち上げるための組合があって、彼女はそこで働いているみたいだよ」


 学校ができたらこの町ももっと賑やかになるね、と言う葉月の言葉で、吉花はそう言えばこの町で子どもをあまり見かけたことがないと気がついた。ときどき大通りや店で見かける子どもは、観光客なのだろう。

 子どもが着物を着ていると可愛いだろうなあ、と想像してぼんやりしていた吉花は、じわりと近寄ってきている葉月に気がついていない。


「ところで吉花さん」


 言いながらぽん、と肩に手を置かれて我にかえった吉花は、ぴたりと横についた葉月の近さに驚いた。

 肩を震わせた吉花に構わず、葉月はにっこりと笑顔を浮かべて言う。


「細川くんのこと、名前で呼んでるんだね。俺のことも名前で呼んでくれていいんだよ」


「え? あの、幸路さんは細川のおばあちゃんと一緒でややこしいから名前を呼んでるので、あの、葉月さんは葉月さんだけなので……」


 名前呼びに至った経緯を説明しようとする吉花に、葉月が笑顔でずいっと迫る。


「名前で呼んでくれて、いいんだよ?」


 とてもいい笑顔の葉月に吉花はあたふたする。それは、狐を改心させたヨルたちが戻ってくるまで続いたのだった。


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