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事情説明、してもらいます

 稲荷が気持ちを固めたところで、一同は門の奥にある大きな平屋建ての建物に向かうことになった。立ち話もなんだし所有者の許可はとってあるから、という葉月に促されてのことだった。

 がこん、と大きな音をたてて、木戸についた錠前が開けられる。用意のいいことに、葉月は鍵を借りてきていたらしい。


「わあ、広いですねえ。お寺みたい」


 葉月と細川の二人がかりで開けられた木戸の向こうを覗いて、吉花は思わず感嘆の声を漏らす。

 真新しい板張りの室内は広く、提灯の明かりだけでは壁まで見通せない。思ったよりも大きくなってしまった吉花の声も、四方に溜まる暗闇に飲まれたかのように、響くことなく消えていった。


「本当だ。物がないっていうことを抜きにしても、ずいぶん広いなあ」


「教室みたいにして使う予定だから、当たり前ね」


 室内を見回して感心したように言う葉月に応えたのは、稲荷だった。

 葉月に続いて戸をくぐった稲荷は、一番最後に細川が入ってきたのを確認すると、壁に寄りかかって腕組みをする。美人ではあるが、つり目がちなところに愛想笑いなどみじんも浮かべないことが合間って、近寄りがたい雰囲気を出していた。

 そんな稲荷に葉月と吉花が声をかけあぐねていると、おずおずとだが細川が口をひらく。


「あの、稲荷さんはここの建物のこと、知っているんですか……?」


「そうね、知ってる。それも含めて、どこから話すべきか……」


 少し考えて稲荷が話し始めたのは、この町に来る前のこと。彼女の働いていた会社の話だった。

 彼女が勤めていたのは、誰でも一度は名前を聞いたことがある有名な企業。そこで彼女は営業として働いていた。


「成績は悪くなかった。その地区では上位の売り上げで、わたしなりに頑張っているつもりだった」


 彼女にはライバルがいた。隣の地区を担当している同期の男性。彼もまたやり手の営業マンとして知られており、互いに切磋琢磨して働き時間が合えば共に飲みに行き、仕事の悩みや愚痴をこぼし合う気の置けない同僚。それが公私共にパートナーになるのは、自然な流れだった。

 そう語る稲荷の話を聞いて、細川がしょんぼりと肩を落とす。いっそ、どんよりと評してもいいその様子に気がつかない稲荷は、淡々と話を続ける。


「順調だった。社内恋愛を咎める会社でもなかったし、彼と付き合いだしてからも仕事に支障はなくて。むしろお互いに売り上げが上がっていて、うまくいってた」


 それが崩れたのは上司のひと言だった、と稲荷が言う。

『お前ら結婚するときは早めに言えよ。稲荷の後釜を用意しなきゃならんからな』

 飲み会の席でそう言ったのは、稲荷と同期の男の交際を知っている上司だった。それを聞いた瞬間、稲荷の気持ちはすっと冷え、アルコールの熱は飛んで行った。


「わたしが仕事を続けたいと思ってるなんて、考えてもいなかった。結婚したら会社を辞めるもの、と決めつけて」


 当時の怒りを思い出しているのだろう。稲荷が絞り出すように言う。

 その場でも怒っていた稲荷だったが、同期の男が適当に話を逸らしてことなきを得たらしい。けれど、稲荷の気持ちは収まらなかった。その夜、彼女はくすぶる思いを彼にぶつけた。

 自分は頑張っているし成果も出している。性別など関係なく営業成績を並べても、上位になるはずだ。結婚したとしても仕事を続けたいと思っている。自分がどれだけやれるか試したいのだ、とまくしたてる。

 そんな稲荷に、彼が申し訳なさそうに告げた。

 同期の彼に、昇進の話がきていること。彼だけではなく、稲荷よりも営業成績の悪い同期の男も昇進すること。


「『いくら頑張ってもうちの会社じゃあ、出世は望めないよ』なんて、さもわたしのためみたいな顔して、わたしに専業主婦をしてほしいって言ってきた。わたしが仕事を続けたがってたこと、知ってるくせに……!」

 

 口にしながら、そのときの気持ちを思い出しているのだろう。稲荷の顔は悔しげに歪んでいる。それを見つめる細川は、自分のことのように悲しげな顔をしていた。

 

「だから、彼と別れて会社もやめた。それで新しい仕事を探しているときに、この町に気になる仕事を見つけたけど、条件があった。江戸の町の中、勤務地の近くに住んでいること。その条件を満たす物件は、どれも借り手がいた」


 稲荷の言葉に、葉月が「この町に住みたい人は多いからね。なかなか物件に空きが出ない」と返す。それを聞いた吉花は、のっぺらぼう騒動で空いた部屋を借りられた自分の運の良さを再確認した。


「空室待ちの人も多くて、そんなものを待っていられなくて。母の知り合いの伝手で紹介してもらったのが、細川さんのお宅だった」


 そう言って、ほんの少し目元をやわらげた稲荷は細川に目をやる。

 見られた細川はそれまで浮かべていた悲しそうな顔を一転させ、おろおろと視線をさまよわせた。

 そんな細川を見つめながら、稲荷は続ける。


「だから、あなたのおばあさんは、わたしの事情を全部知ってる」


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