尾行、失敗です
一回目の尾行が失敗に終わり、吉花は落ち込んでいた。もう少しうまくやれると思っていたのにあまりにも見事に失敗したものだから、はた目に分かるほどに落ち込んでいた。
それを見て慌てた細川は、吉花を連れて手近な甘味屋に誘導した。
表通りから一本入ったところにあるその店は、店自体は長屋のひと部屋ほどの大きさしかない。その中にかまどと作業台、水の入ったかめ、それから木製の臼が並ぶことで、もう店内はいっぱいいっぱいだ。そのため、店の外には無垢材で作られた簡素な縁台が並べられている。買ったその場で甘味をつまみたい客がちらほら、腰掛けて食べる姿が見られた。
嬉しげに何かを頬張る人たちの間に空いている縁台を見つけた細川は、ひとまず吉花を座らせる。それから何屋かもわからない店に入ってとりあえず列に並んでいると、前の客が次々と商品を手に店を出て行き、すぐに細川の番になった。
「包むかい、食べてくかい?」
「え、ええと。たべ、食べていきます」
忙しげに手元を動かしながら聞いてくる女将さんにうろたえながらも細川が答えると、間髪入れずに次の質問が飛んでくる。
「いくつ?」
当然のように投げられた言葉に、細川は息を詰まらせて視線をうろうろさせる。
何を売る店なのかもわかっていないせいで何と答えるべきか迷ったのもあるが、そもそも細川はこういった店が苦手だった。コンビニで食べ物を買うと聞かれる、おしぼりおつけしますか、という言葉に、滑らかに返事ができたためしがない。あるとき、勇気を出して足を運んだ有名チェーンのコーヒーショップではまず飲み物の大きさがわからずまごついて、その後に続くクリームの量やらオプションについて聞いてくる店員に圧倒された。どうにかこうにか手に入れた飲み物の味は覚えておらず注文の難解さばかりが記憶に残り、二度目の挑戦には至っていない。
そんな細川にこの女将の質問は難しすぎた。返答に困った時点で後ろに並ぶ客が気になりだして、細川はますます言葉に詰まる。
「あー、お兄ちゃんの分だけでいいのかい?」
黙って焦る細川に気がついたのか、手元の作業をやめて顔を上げた女将が聞き直してくれる。
「あの、二人分で、お願いします!」
せっかくの助け舟を逃してなるものか、と意気込む細川に女将はあいよ、と軽く返して代金を告げる。喋り方こそぶっきらぼうだが、きっと優しい人なのだろう。そう思いながらも薄ら笑いを浮かべることしかできない自分に嫌気がさして、細川は受け取った皿を手にとぼとぼと吉花の元に戻る。縁台に腰かけた細川は、自分と吉花の間に菓子の乗った皿を置いてしょんぼりとうつむいた。
二人して黙って落ち込むことしばし。ふと、吉花は自分の横に置かれた皿に気がついた。
「あら。これ、うぐいす餅……ですかね?」
吉花は皿を手にして、しげしげと眺める。皿の上には、もっちりとした小振りな和菓子が四つ乗っている。中の餡が透けて見える柔らかそうな餅生地に、けぶるようにかかる粉。その粉の色が吉花の知るうぐいす餅とは違ったため、疑問形になってしまった。
「ここの店は、本物のうぐいすの色をしたうぐいす餅を出すんだよ」
そんな吉花のつぶやきに応える者がある。驚いた吉花がきょろきょろと辺りを見回すと、思わぬ人がそこにいた。
「葉月さん!」
吉花たちの座る縁台の後ろに、明るい草色の半纏を羽織って立つ葉月がいた。彼の姿を見てどこか喜色の混じる声を上げた吉花に、葉月は組んでいた腕を解いて笑顔を見せる。
「やあ、久しぶりだね。このところ会えなかったけど、元気そうで良かった。吉花ちゃんはデート……逢い引きではない、よね?」
にっこり笑って聞く葉月に見つめられ、細川はぶるりと震える。そんな細川が答えに迷う間もなく、吉花が大きく頷いた。
「わたしたち、ちょっと調査をしてたんです。今日は失敗しちゃったんですけど、うまくできたら葉月さんたちにご相談させてもらうかもしれません」
それを聞いた葉月が表情を曇らせ説教をはじめようとした雰囲気を察して、吉花は慌てて話題をそらす。
「それよりも、本物のうぐいすの色ってなんですか? あの緑色のうぐいす餅は、うぐいす色じゃないんですか」
葉月さんが着てる服みたいな、と明るい緑色の半纏を指す吉花の強引な話題転換に葉月は付き合うことにしたらしい。軽く息を吐いて表情を緩めると、葉月は頷いた。
「ああ、吉花ちゃんが思ってるうぐいす色は、たぶんメジロの羽の色だね。間違えて覚えている人も多いんだけど、うぐいすはもっと落ち着いて茶色がかった色なんだよ。ちょうど、この餅にかかっているきな粉みたいにね」
そう告げられて、吉花と細川は並んで衝撃を受けた。二人とも、間違った色と呼び名を覚えていたのだ。
「あの、どうしてそんな間違いが起こるんですか……?」
片手を上げて恐る恐る質問をする吉花の横で、細川も首を縦に振っている。仲良く答えを待つ二人を見て、なんとなく小学生にものを教えているような気持ちになりながら、葉月は口を開く。
「うーん、そうだね。うぐいすはホーホケキョって鳴き声が有名だよね」
並んだ二人はうんうん、と頷く。
「うぐいすが鳴く時期には梅が咲いて、梅の木にメジロがとまる。すると、梅の花の間に綺麗な緑色をした可愛い鳥がとまり、ホーホケキョと綺麗な鳴き声が聞こえるという状態になる」
そこまで聞いて、二人ははっとした顔になる。言われたとおりに想像してみて、ホーホケキョと鳴くメジロを思い浮かべたのだろう。
「それで、声の主と梅にとまる鳥とが混同して、間違えられるようになったんじゃないかな。確かなことはわからないけどね」
自信なさげに付け足した葉月とは対照的に、吉花と細川はなるほど! という顔で目を輝かせて葉月を見ている。なんとなく居心地が悪く感じた葉月は、もごもごと口を開く。
「まあ、綺麗な声や派手な色だけに目を向けるんじゃなくて、きちんと調べたり観察してみれば、わかることだよ」
そこまで言ったところで、少し離れたところから葉月を呼ぶ声がした。見ると、墨色の着物を着たヨルが立っている。まだまだ忙しいのだろう、葉月は短く別れの挨拶を告げると慌ただしく去って行った。早めに相談においでよ、と最後に告げることも忘れずに。