二人で、やってみましょう
細川の言葉を聞いて、吉花は狐が家にいるところを想像してみた。
木造、瓦屋根の純和風の家の縁側に狐がちょこりと座っている姿。障子を開けて縁側に出た細川がその姿を見つけて足を止めると、座ったまま小首をかしげる狐。目があって固まる細川に、狐はコンとひと声鳴くだろうか。
「……ええと。狐、ですか」
頑張って想像してみたけれど、いまひとつうまくいかなくて吉花は口ごもる。
そもそも、本物の狐をまじまじと見たことがあっただろうか。簡略化されたイラストならば良く目にしたし、自分でも書けると思う。三角の耳に尖った鼻、細くて吊りあがった目をしているというイメージがある。
けれど、実物はどうなのだろう、と考えると吉花の想像は形をなさない。おとぎ話や昔話では狐という名前をよく聞いたから身近など動物のように思っていたけれど、どうやら本物を見たことはなかったらしい。
首をかしげている吉花に、細川は何度も頷いた。
「僕、変なこと言ってますよね……すみません。でも、本当におかしいんです。狐に化かされているとしか思えないんです」
そう言ってから細川が語ったことの詳細は、こうだ。
吉花に道案内をしてもらって祖母の家に着いた翌日。朝早くに、家の戸を叩く音がする。細川が応対に出ると、そこにいたのは若くきれいな女性がひとり。どうしたのか、と尋ねる細川に女性はこの家に置いてほしいと言い出した。訳が分からず細川が慌てていると、遅れて玄関にやってきた祖母が二つ返事で了承してしまう。幸い、祖母の家は広く部屋も余っていたため、祖母と細川と女性とそれぞれの部屋を確保することができた。けれども、女性に免疫のない細川は終始びくびくしてしまい、まともに話しもできない。だというのに彼女は細川を見るとにっこり微笑んでくれて、細川の手料理を食べておいしいおいしいと言ってくれる。これはおかしい。自信がなくていつもおどおどしていて、家事くらいしか取り柄がない自分のような男に笑いかけてくれる女性がいるなんて、どう考えても変だ。そこで、これは狐のしわざに違いないと思い至ったのだという。
「思い返してみたら僕、この町に越してきた日に家の近くにあった小さい社にいなり寿司をお供えしたんです。だからきっと、彼女は狐が化けて恩返しに来てるんだろう、って……!」
けっしてすらすら話すわけではない細川から次々と出てくる言葉の数々に、吉花は圧倒される。その間にも、あのときいなり寿司なんてお供えしなければ、いやでも狐の話を聞いて怖かったから仕方ない、いやいやあのタイミングですし屋が通りさえしなければ、などとぶつぶつ呟く細川に、吉花どうにか情報を整理して質問をする。
「ええと、つまり、見知らぬ女性が突然きて、お家に住んでるってことですよね?」
吉花の問いに細川はひとつ頷いて、見知らぬきれいな女性です、と付け足した。
「細川のおばあちゃんのお知り合い、ということではないんですよね」
確認のために吉花が聞けば、細川はまた頷く。女性が家に来たその日のうちに、知り合いかどうか尋ねたという。
「祖母は知り合いではない、と言いました。知らない人だけど、若い娘さんが困っているなら、力になってあげたいじゃない。この町ではよくあることよ、とも」
情けなく眉毛を下げた顔でそう言う細川に、吉花も同じような顔になる。
困っている人を助けてあげたい、という細川の祖母の気持ちは素晴らしいと思う。吉花自身もこの店で働きはじめてから親切に声をかけてもらった身であるから、とても細川の祖母らしい言葉だとも思う。
だけれども、さすがに見ず知らずの他人を家に住まわせるのはいかがなものだろうか。狐かどうかはわからないけれど、相手が悪い人間かもしれないと思ってしまう吉花は、心が狭いのだろうか。この江戸を模した町の中では、昔の人たちがそうしていたように気軽に助け合うことが普通で、ここに住む以上は吉花も細川もそのやり方に慣れて、納得できなくとも飲み込まなければいけないのだろうか。
吉花はその考えを自分の中になじませるためにしばらく黙っていたけれど、自分自身と向き合ったことで余計にその考えが受け入れられなかった。
伏せていた目をあげて、吉花は考えをまとめながらゆっくりと口を開く。
「その方が狐かどうかは、微妙なところです。だから、ヨルさんたちに相談しても手を貸していただけるか、ちょっとわかりません」
それを聞いた細川は、下がっていた眉毛をますます下げて情けない顔になる。ついついくすりと笑いそうになるのをこらえながら、吉花は続ける。
「ですが、私もそのお話はちょっと変だな、と思いました」
驚いたように顔をあげた細川の目を見て、吉花は言う。
「ですので、細川さん、じゃなくて幸路さん。私たち二人で、その女性の正体を突き止めましょう!」
ぐっと拳を握って言う吉花に、細川は目を丸くしたまま固まった。
「作戦会議をしたいので、明日はどうですか。お時間あれば、迎えに行きますから」
吉花が言うのに細川が、はあ、と生返事をする。
そのとき、ようやく話に区切りがついたらしい店主と細川の祖母がこちらに向かってきた。動きを止めた細川を待っている間はないので、さきほどの返事は了承だと受け取ることにした。そっと席を立った吉花は細川に近寄り、明日はお休みなので朝一番で迎えに行きます、と告げて店主たちに向き直る。
すぐにお茶を淹れますね、と歩き出した吉花を細川は物言いたげに見つめながら見送るのだった。